第76話 王弟の選択、偽者の選択・1

 ───ノアアロイスが語る城の一部始終を、アランは疲労も忘れて傾聴していた。今こうして、皆が五体満足で生きている、と頭では理解していても、ここに至るまでの波乱の経緯を夢現ゆめうつつで受け入れる訳には行かなかった。


(大きくなったのだな………アロイス)


 腹違いの弟の成長を、アランは親のような心境で受け止める。


 アロイスとして最後に会ったのは、三年以上前になる。眼下にいる少年は、あの頃よりも背はずっと伸び、体格も男性らしさが乗り始めていた。どこか頼りがなかった藍の瞳は、今や芯の強さが煌めきを帯びている。見違えるのは当然だった。


 かつてのアランとアロイスの接点は、そう多くはなかった。王子認定されたばかりのアランは、老齢の父王オスヴァルトの名代として城内外を駆けずり回っており、年の離れた弟を気に掛けてやる余裕はあまりなかったのだから。

 しかし、父王の音頭により定期的に茶会は行われており、その際にアロイスの物静かな性分と地頭じあたまの良さに触れる機会はあったのだ。


 文官寄りかと思われたアロイスに、兵士の務めを課した理由は分からない。しかしその選択が、この城とリーファの窮地を救ったのだと思えば、後見人の先見の明を褒めるべきだろう。


(この幼い双肩に、私が負うべき重責を背負わせてしまったか………私もまだまだだな…)


 アランの留守を狙った襲撃であった以上、この事態は避けられるものではなかった。だが、自分が負うべき問題を結果的に押し付ける形になってしまい、アランは自身の迂闊さを恥じた。


(リーファにも、苦労をかけたな………)


 リーファを案じ、アランの指先は膝に置いていた彼女を探ったが、虚しく空を撫でるだけだ。少し前に部屋の支度が整い、彼女はシェリーに連れられて中座していた。


「───アラン兄上がご帰還されて安心致しました。ヘルムート兄上がどこにもおられなかったので、僕の独断で城を放棄して良いものかギリギリまで悩んでおりました」


 安堵に顔を綻ばせたノアの言葉で、アランは我に返る。ノアが話した経緯の中にも、ヘルムートの痕跡一切が感じられなかったが。


「ヘルムートは、見つからなかったのか?」

「はい。側女殿によく探して頂いたのですが、どこにも。お部屋に争った形跡はなかったので、逃げおおせていると思うのですが───」


 ───キィ


「僕ならここにいるよ」


 蝶番ちょうつがいが擦れ合う音が、聞き馴染んだ声が、耳朶じだを撫でた。まるで死人が化けて出てきたような間の良さに、アランの背筋が冷える。


 ノアの方が先に声の元に気付く。顔が向いたのは、1階北側に通じる通用口だ。そちらから靴音を鳴らして、灰色のハンチング帽を被った亜麻色の髪の青年が顔を出す。


「ヘルムート兄上!ご無事でしたか!」


 アランとノアアロイスの腹違いの兄であるヘルムートだ。彼はこの非常時にも関わらず、場違いなまでに愛想の良い笑みを浮かべていた。


「どこを探しても見つからなかったので心配して───」

「こらこら、。陛下の御前だよ?」


 立ち上がり駆け寄ろうとしていたノアを、ヘルムートは困った顔で制した。この期に及んで、彼はこの少年兵を”ノア=アーネル”として扱いたいらしい。


「し、失礼致しました」


 玉座から腰を上げたアランは、広間へと降り立っていた。慌てて頭を下げてくるノアの肩に手を置き、ヘルムートをたしなめる。


「ヘルムート、そんなに邪険にしてやるな。それよりもお前、今までどこにいたんだ」

「爆発騒ぎが起こる前に、部下が異変に気付いてくれてね。脱出路で身を潜めてたんだ。

 リーファを助けに行きたかったんだけど、自分が逃げるだけで精一杯でさ。皆、何事もなくて良かったよ」


 ヘルムートの言い訳を聞いて、アランの胸の内に釈然としないものがよぎる。


 マウリッツからの報告にも、偵察班からの第一報にも、ノアの話にも、ヘルムートの消息は上がって来なかった。まるで、襲撃前から今に至るまで神隠しに遭ったかのような消えっぷりだ。

 ヘルムートなら、私兵と共に城を脱出し、城下巡回隊と合流して城奪還の対策を立てる事も可能なはずだが───


(…いや、襲撃犯は恐らく、ヘルムートも標的にしていたはずだ。城下にいるギースベルト派の目を欺く為に、安全が分かるまで潜伏していてもおかしくはないか…)


 にもかくにも、ヘルムートは無事に帰ってきたのだ。アランは違和感を呑み込み、ヘルムートに向き直った。


「………そうか。ともかく、無事で良かった」

「お互いにね」


 ヘルムートは屈託なく笑っている。アランは勿論、ノアやリーファもギリギリの戦いを切り抜けてきたというのに、彼はそれが最初から分かっていたかのようだ。


(…なんだろうな。ヘルムートを疑っている自分がいる)


 初めての感覚に、アランは気持ち悪さを覚える。彼の落ち着いた振る舞いと、アランが思い描いているヘルムートのイメージが上手く結びついて来ない。もっと血相を変えてくると思っていたのに、肩透かしを食らった気分だ。


(疲れているのか………昨夜はよく眠れなかったし、今日も強行軍だったからな…)


 ここしばらく、戦場で神経をすり減らし、リーファ達の安否に気を揉んだのだ。気持ちが変に過敏になっているのだと、アランは思う事にした。

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