第75話 少年兵の回顧・40~終局

 ───それから三十分後。


「お待たせ致しました」


 植物の回復魔術から解放されたカールは、鈍重に体を起こし、膝をついたままノアに頭を下げた。どことなく動きはぎこちなく、顔色も良いとは言えないが、先程まで胴体に風穴が空いていたのだ。本調子ではないのだろう。


「………ひとまず、彼の格好を整えましょうか」

「そう、ですね」


 苦笑したオスモからの提案に、ノアは只々首肯した。


 今のカールは、水色と白のストライプの下着をはいただけのあられもない格好だ。変質者扱いされる心配はないにしても、さすがにこの姿で歩き回らせるのは可哀想だった。


「ルオマ上等兵、ラーゲルクヴィスト上等兵と一緒に兵士宿舎へ行って、装備を整えてあげて下さい。僕はその間、リーファさんから城の現状を聞いて整理しておきます」

「分かりました。………長剣も、一本持ってきますね」


 オスモの視線がノアの顔から下へと落ちたのに気づき、ハッとした。

 ノアも帯剣していなかったのだ。腰に下げた木の棒が馴染み過ぎて忘れていたが、これからどう動くにしても、ちゃんとした武器は必要だった。


「よ、よろしくお願いします」


 人の格好の事を言える立場にない、と恥ずかしく思っていると、オスモは、ふ、と柔らかい笑みを浮かべ、ふらつくカールに肩を貸してノアに背を向けた。


(あんな風に、周りに気を配れる余裕がある大人になりたいな…)


 謁見の間を出て行くオスモを眺め、ノアは目標ばかりが増えて行く自分がちょっと嫌になってしまった。


 ◇◇◇


 カール達が装備を整えて謁見の間へ戻ってくると、程なく今後の打ち合わせが始まった。

 皆の方針は大体固まっていたのもあって、隣の楽士練習室から持ち込んだ持ち手付きの黒板は、あっという間に白文字で埋め尽くされた。


 襲撃犯は、いざという時に封じ込めがしやすい礼拝堂へ。

 兵士やメイドなどは、医務所と薬剤所へ。

 城の破損部分は、魔術システムとの兼ね合いがある為、ひとまずは触らずに消火のみに留める事が決まった。

 城下への事情説明、援軍要請の案も出たが、植物の操作が難しくなってしまう点や、ギースベルト派が潜んでいる可能性を考慮して、ここにいる三人だけで出来るだけ動いてみよう、という事になった。


 ノア、カール、オスモの内、植物クレマチスの魔術を防ぐロケットペンダントと腕輪を身につけた二人が城内で活動する。残った一人は謁見の間で仮眠を取り、三時間ごとに交代する。

 リーファには、城全体の把握と、文字による伝達を頼む事になった。


 そして───


「万が一、陛下が帰還せず、ギースベルト派が現れた場合ですが………」


 ノアは、チョーク粉で白くなった手を叩いた。隅々まで書き込まれた黒板から、カール達へ顔を向ける。


「僕は城を脱出します。アテはありませんが、国からも離れるつもりです」


 ノアの決断を、ふたりは神妙な面持ちで聞いてくれていた。


 ───この城で学びたい事はたくさんあった。兄達の勇ましい背中に追い付きたかった。同期達とも交流を深くして行きたかった。

 でも、ノアに流れるラッフレナンド王家の血は、ノアの意思に関わらず王位簒奪の火種となってしまった。


 現王アランたおれた場合、ノアアロイスがいなかったとしても、ギースベルト派にそこまでの影響はないだろう。

 次代の王は、先王オスヴァルトの兄弟姉妹の系譜から選出されるはずだ。そこまで遡れば、ギースベルト公爵家にも王位は巡ってくる。

 アロイスの偽物で血を汚す真似などせずとも、玉座にギースベルト派を据える事は可能なのだ。


 ただ、そこに至るまでには、必ず正規の手順が踏まれる事になる。

 王位継承法に基づいた議会の際に、王城強襲についての糾弾は避けられないだろう。人的物的被害の補償も行わねばならず、国外からもつつかれる事請け合いだ。


 リーファが去る事で、魔術システムを一手に担える人材を探さなければならないし、そうした面倒事の一切を、ノアアロイスではない、ギースベルト派の誰かが担う事になるのだ。


(やりたくない自分は降りるだけだ。やりたい奴がやればいい。ざまあみろだ)


 憤りを覚えて、つい鼻息が荒くなる。ノアの行動は役務の放棄に他ならないが、そもそも十二歳の子供に押し付けて良い話じゃない。


 次に声を上げたのはカールだった。彼はノアの前に一歩踏み出し、恭しく首を垂れた。


「オレは父に歯向かいました。今更、元の鞘に収まる気もありません。どうか、あなたと共に行かせて下さい」

「………僕は、何も持たないただの子供ですよ?それでも?」

「この場に留まれないお気持ちは、オレにも理解出来ます。ギースベルト派の蛮行を思えば、あなたはここにいるべきではない。

 しかしオレは、あなたの振る舞いに主君の気質を見出しました。あなたの剣となり、盾となりたいのです」


 真摯な菫色の眼差しに揺らぎは一切ない。分かってはいたが、カールも意思を変える気はなさそうだ。

 剣にしても盾にしても扱い切れる自信はないが、独りで過ごせばきっとだらけてしまうだろう。ノアにとっては、この位のは丁度良いのかもしれない。


「………では、あなたの良きとなれるよう、僕も日々を律する事としましょう」

「ゆ、友人…っ?!」


 ノアが示した提案に、カールの声がひっくり返る。

 カールは主従関係を結びたいと思っていたのだろう。だが、ノアがそんな都合の良い話を許すはずがなかった。


「何を驚いているんですか、当然でしょう?亡命する上で不明瞭な上下関係はむしろ不自然です。そのつもりでお願いしますよ、?」

「………ぜっ………善処、します………っ!」


 とんでもない事になってしまった───と顔に書いてあるかのようだ。カールは青ざめながらも、どうにか了承の言葉を絞り出していた。


 側にいたオスモは、呆然と後退あとずさったカールを横目で見て苦笑していた。ノアが彼を見やると、発言の機を得たとばかりに口を開く。


「この中では、オレは一番身軽ですね。しかし、この城でモーリオ達と顔を合わせてやって行く気はありません。

 どこまでも…とは行きませんが、ここにいる全員を城から出す手伝いなら出来るでしょう」

「…ありがとうございます。頼りにしています」


 リーファの為だけに協力してくれているオスモは、ノアにとってもありがたい存在だ。例えノアがリーファと離れる事態に陥っても、彼ならばリーファを守り抜けるはずだ。


 最後はリーファだった。彼女はノア達の足元の床に植物の文字を紡いでいく。


『わたしはね、ちょっととおいところにいる、おじいちゃんならたよれるよ。おじいちゃんはやさしいから、みんなをたすけてくれるよ。

 おうちに、おじいちゃんのいえにいくどうぐがあるから、とりにいきたいな』


 一番気掛かりだったリーファの先行きだが、どうやら彼女なりに伝手つてはあるようだ。大袈裟な表現をしているが、魔術や呪術に通じ数々の奇跡を起こしてきた彼女だ。そのおじいちゃんという人物も、本当に皆を助けてくれそうではある。


「なるほど、そういう術具があるのですね。ならば城を脱出した後は、側女殿の実家へ向かいましょう」

「…どうやら何とかなりそうですね。では、万が一の時はそれで」


 互いに互いの顔を見合い、頷き合う。

 そして誰からという訳でもなく、三人の兵は腰に下げた剣を抜いた。


 背筋を正して、呼吸を整え、剣を胸元で構えれば、次に何をするかはよく分かっている。

 ”騎士道、七つの教え”の宣誓だ。


「騎士たる者、世のあらゆる弱者を尊び、守護者たるべし」

「騎士たる者、心の故国を慈しむべし」

「騎士たる者、理不尽を前にして退くことなかれ」


 王城の兵士が、最初の座学で叩きこまれる文言だ。暗記していつでも唱える事が出来て、初めて王城の兵士を名乗る事が許される。

 つまりこれが頭に入っていない者は、その資格すらない、という事だ。


「騎士たる者、神の理に準じつつ、臣従の義務を妥協せず果たすべし」

「騎士たる者、不誠実となるなかれ、己が誓言に忠実たるべし」

「騎士たる者、寛容たれ、多くの者に分け隔てなく施すべし」


 カール、オスモ、ノアの順にそらんじて行き、やがて全員で剣を掲げた。


「「「騎士たる者、いついかなる時も正義と善の味方となりて、不正と悪に立ち向かうべし」」」


 最後の教えは三人の唱和で締められ、謁見の間にその余韻が響き渡る。

 城内での方針が定まり、活動が始まった瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る