第74話 少年兵の回顧・39~杞憂

 顔ぶれは変わっていないのに、植物クレマチスからリーファの気配が去った途端、広間に男臭さが増していく。あの言葉足らずな文字が、如何いかに場を和ませていたかが良く分かる。


「『一人、魔術の基礎が完璧に出来てるのに、あえて隠してるヤツがいる』と、師匠が言っていた事があった。…お前だったんだな」


 緑の密度が下がり、より響きやすくなった謁見の間に、低くゆっくりした声音が波紋を広げる。カールだった。

 彼を覆う植物のおくるみは、緑の海が引いていった為かその場に留まっている。おくるみから伸びている植物の帯は、玉座で草木を纏って眠るリーファと繋がっており、係留中の小舟を思わせた。


 天井を眺めながら妬みの圧をかけてくるカールから目を落とし、オスモは自嘲めいた笑みを浮かべる。


「過大評価だな。………いや、魔術師王国の大魔女様の言葉だ。純粋な賛辞なんだろう。

 オレはどうも、魔術一辺倒なリタルダンド国の性分が合わなくてな。家業を継ぐのが嫌になって、出奔したんだ。オレも、モーリオと同じなんだよ。

 ”魔術師嫌い”のラッフレナンドなら、しがらみもなく穏やかに過ごせると思ったんだが………オレもつくづく運がない」


 カールは唇を尖らせてはいたが、オスモの言い訳に何か違和感があったのだろうか。眉をひそめていた。


「胡散臭いだろうな?リタルダンド国の魔術師が襲撃に絡んだ途端、リタルダンド国出身のオレが割り込んだんだ。

 連中の仲間なんじゃないか?隙を見計らって、魔術の中枢を独り占めするんじゃないか?…とな。疑うのは当然だ」


 自分が寝返りの嫌疑をかけられている───オスモの諦めが入り混じった表情から、ノアはその胸中を推し量る。


 確かにオスモの介入は、タイミングが絶妙だった。あれより早く動いても遅く動いても、結果はかなり変わっていただろう。ノアにとってはありがたい助太刀だったが、見ようによってはオスモの都合が多分に含まれていたとも取れる。


「で、でも、リャナがあなたに頼んで来たのでしょう?

 彼女は少々───いやかなり、訳が分からない所がありますが、リーファさんに危害を及ぼすような真似をするはずがない。出身はどうあれ、ルオマ上等兵が信頼に足る人物だから、リャナはあなたを頼ったんです。

 …僕は、あなたを信じますよ」


 ノアの口はオスモを擁護したが、内心は無用な問題を起こしたくない意図があった。

 そもそもカールは瀕死で動けないし、ノアも疲労で座り込んでいるのがやっとの状態だ。無傷のオスモが良からぬ思惑で動いたとしても、今のノア達ではどうする事も出来ないのだ。


「………オレも、お前に他意があるとは考えていない。師匠も、『ああいう世捨て人系は信じていい』と言っていたしな」


 カールも、そんなつもりでなじっていた訳ではないのだろう。おくるみの治療は心地良いのか、まったりと溜息を吐いている。


 オスモは、あっさり嫌疑が晴れた事に些か拍子抜けしていた。しばらくバツが悪そうに頭を掻き、何か物言いたげなカールに顎を向けた。


「世捨て人、か。そんな高尚なもんじゃないんだが………で?」

「だが、故郷の知人の背中を撃ってまで、側女殿に協力した理由が分からない。

 リャナとか言う行商の事は分からんが、城が制圧されようが、お前には関係なかったんじゃないのか?」

「………ふむ、理由が足りん、か?」

「ああ、足りん」


 どうやらカールは、オスモがこちら側についた理由に物足りなさを感じていたらしい。ノアとしては、リャナに絡まれた時点で十分すぎる理由だったが、接点のないカールにとっては腑に落ちないのだろう。


 オスモとしても、弁解したい気持ちはあったようだ。ただ、その問いの答えは用意していなかったようで、しばし腕を組んで唸り声をあげていた。

 やや時間を置いてから、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。


「………確かに、確たる動機はないが………だが、そうだな。あえて言うなら………側女殿の頑張りに共感した…と言う所か」

「…どういう事です?」


 ノアが訊ねると、オスモはこちらに顔を向けてきた。ライトグレーの髪の色のおかげで老け込んで見える容貌だが、ふんわりとはにかむその面持ちは年相応だ。


「故郷に妹がいましてね。オレが家業を継ぐ気がないものだから、何でも一人でテキパキとこなしてしまうやつなんです。

 頼もしく育ったな…と感心する反面、オレが負うべき仕事を押し付けた負い目があったと言うか…。妹にはもっと自由にやらせたかったな、なんて思う事もあります」


 そこで一旦区切ったオスモは、玉座にいるリーファを仰ぐ。


 リーファの肉体は、玉座の背もたれに体を預け、目を伏して緩やかな寝息を立てている。纏った植物クレマチスに固定されているが、恐らく寝返りを打つ事はないだろう。

 一見、この場にいる誰よりも惰眠を貪っている彼女だが、その実、精神は誰よりも働き詰めだ。


「システムに精神を組み込むなんて、無茶な真似をした側女殿を見ていたら…こう、気を張っていた妹を思い出しましてね」

「…リーファさんを、妹さんのように見ていた、と?」

「あるいは、妹にしてやれなかった事を、側女殿に押し付けた…のかもしれません。今なら、ここでなら、出来る事があるかもしれない、と」


 妹を想っているのか、故郷を想っているのか、オスモの顔に憂いが帯びる。その複雑な表情からは、彼が辿った人生が如何いかに難路だったかが伝わってくる。


(今後の動きで、僕もこんな風に故郷を想う日が来るんだろうな…)


 ラッフレナンド城で生まれ、過ごし、仕事に就いているノアにはまだ分からない感覚だ。ギースベルト公爵の領地も、一応第二の故郷と言えなくもないが、良い思い出がないあの土地を想う事はないだろう。


「…とまあ、この位しか思い浮かばなかったんだが………理由の足しになるか?」


 オスモが照れを押し隠しながらカールに問いかけるが、カールの反応はなかった。

 怪訝に思って覗き込んで見ると、虚ろに天を仰ぎ、うっすらと笑んでいる。まるで表情筋が出来てない赤ん坊のような、くしゃっと歪んだ笑顔だった。

 目を開けながら寝てるのか、と思われたが、


「………妹………妹………か。ふ、ふふ。ぬふふ」


 話は一応聞いていたようだ。しかし、どこか恍惚と物思いに浸っている彼は、近寄ったら駄目な雰囲気が漂っていた。


 今まで平静を保っていたオスモも、カールの得も言えぬ形相には引いていた。彼の耳に届かないよう、こそっとノアに聞いてくる。


「………彼は、大丈夫なのですか?その、側女殿に見せられない顔をしていますが…」


 ノアが口を開く前に、ざわざわと葉擦れの音色が聞こえた。

 視界に動いた物に目をくれれば、カールと繋がった植物の蔓がこちらに伸びてきて、オスモとノアの間の床に文字を形作った。どうやらリーファの精神が帰ってきたようだ。


『わたしがなに?』


「いや、えっと、その…」


 話は殆ど聞こえていなかったようだが、間が悪すぎる戻りにさすがのオスモも口籠る。

 しかしノアは、あえて空気を読まなかった。


「ルオマ上等兵が、リーファさんを妹のように見ていたそうですよ」

「あ、ちょっと?!」


 オスモは非難がましい声を上げたが、リーファはこんな事で目くじらを立てる人ではない。それを知っているノアは、まあまあ、と彼をなだめておく。


 植物は少しの間、葉擦れの音を奏でると、もそもそと想いを文字にしたためた。


『いもうとみたいって、ヘルムートさまにもいわれたの。だいかんげい』


 引かれると思い込んでいたのだろう。険しい顔をしていたオスモはガクッと肩を落とし、右手で顔を覆って首を横に振っていた。


「そういえば、陛下方とそんな話をされていましたね…」

「なるほど。そう言われれば、僕にとっては頼れるお姉さんですね」


『すこしてれるね』


 リーファもまんざらでもないらしく、機嫌良さそうに草の葉をざわめかしていた。


「取り越し苦労、か………これなら、彼も側女殿にお任せしてよさそうだな…」


 幸せそうに薄笑いを浮かべているカールを一瞥して、オスモは安堵の吐息を零したのだった。

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