第72話 少年兵の回顧・37~追思
───話は、十数分前に
『リーファさんと巡回兵のノア君が、ちょっと面倒な事に巻き込まれそうなんだー。オスモさん、何かあったら手伝ってあげてくれる?』
衛兵オスモ=ルオマは、数週間前に会った”気まぐれ移動商店リャナ屋”の美少女店主リャナの言葉を、今更のように思い出していた。
その時のオスモは、少女の言葉の意味を深く考えようとは思わなかった。
リャナは、他愛ない世間話の合間にさらっと振っており、そこから具体的な内容を詰めてくる気配が一切なかったからだ。
『これ貸しとくから、とりあえず肌身離さず身に着けていてね』
と渡された腕輪はそこそこ大層な代物だったが、やはりそれを活用する機会というものは全く思い浮かばなかった。要は、推理するには材料が足りなさ過ぎたのだ。
だが今なら、リャナが言葉を濁した理由が理解出来る。
周りにいたかもしれないのだ───今発生している襲撃に、荷担していた者が。
(………さて、どうしたものか………)
両腕を後ろで縛られ布で目隠しをされた状況で、オスモは渋い顔をした。リーファ達の事はさておいても、自分の身の安全の為にもうちょっとだけ話を聞いておくべきだったと後悔している。
───ここは、ラッフレナンド本城2階南西にある、巡回兵や衛兵の詰め所。
机と椅子と仮眠用ベッドがあるだけの兵士達の憩いの場に、黒ずくめの集団が押し寄せてきたのは二時間以上は前だっただろうか。
深夜のラッフレナンド城に突如起きた爆発音と揺れに対し、ベッドから転げ落ちる者、コーヒーを膝へぶちまける者、慌てて机の下へ隠れる者と、思い思いに動揺を見せた直後の出来事だった。
安全な城内と言えど、さすがに詰め所には剣や槍などの武器は常備されている。
常駐している兵はそう多くなかったが、数で黒ずくめ達を押さえ込む事は出来たのだ。
メイド達が、人質に取られていなければ。
本来は、人質を無視しても黒ずくめ達を押さえるのが定石だ。
うら若い女性達に刃を向ける卑劣漢に屈するなど、城の兵としてあってはならない事態だったのだから。
だが、頬を赤く腫らし涙を流しながら震えるメイド達を目の当たりにして、兵の誰もが手にした武器を床へ落としてしまったのだ。
城の兵達にとって、王城メイドは高嶺の花だ。城内を円滑に動かし、場に華やかさを添えてくれる彼女達は、存在そのものが癒しだ。
そんなメイド達が、黒ずくめから手酷い扱いを受け、更には兵に見捨てられて絶望に顔を歪める───そんな姿を、兵達は見たくなかったのだ。
結果、オスモを含めた詰め所の兵達全員は、目隠しと手足を拘束された状態で転がされている。それぞれ距離を離されており、誰とも意思疎通が取れない有様だ。
耳で探りを入れるも、見張り役の黒ずくめが複数名、時折詰め所を出入りしている事と、人質のメイド二人が固まってすすり泣いている事くらいしか分からない。
黒ずくめ達の会話によると、どうやら目上の人物を捜しているようで、リーファの安否は話題にも上らなかった。
(側女殿とその巡回兵には悪いが、これはもう不貞寝を決め込むしかないか…)
どこかでいびきをかいている同僚を羨ましく思いながら、オスモはぼんやりと時が過ぎるのを待つ。
こんな厄介な状況、そう何日も続くはずはない。城下巡回隊が黙っていないだろうし、数日もすれば王が帰還する。
そこからどう動くかは分からないが、どこの派閥にも属していないオスモからしたら、勝った方に従うだけだった。最悪、国を脱出すればいい話だ。
(しかし………もし、側女殿に何かがあったら………リャナに何と言われるか………)
結局のところ一番怖いのは、リーファに何かがあった場合のリャナだった。
執務室に顔を出す行商人と、その入口を守る衛兵という接点から始まった交流だが、オスモはまだあの少女の正体を掴み切れていない。
万が一、リーファが死体という形で見つかりでもしたら、リャナはオスモの失敗を容赦なく糾弾するだろう。国を出ただけでは逃げ切れそうもない。油断した瞬間、後ろからぶすりと刺しに来そうだ。
「う、うわあぁあぁああぁあっ?!」
嫌な想像に寒気が走ったオスモの耳に、黒ずくめの一人と思われる男の悲鳴が入ってきた。
「な、何だこいつは?!」
「きゃあぁあっ!?」
「いやーっ!いやあぁーーー!!」
黒ずくめ達とメイド達の悲鳴に驚いて、半ば夢の中にいた兵達にも動揺が波及する。
(何だ?何が起こっている?)
悲鳴と暴れるような物音が周りに響くばかりで、オスモには状況がさっぱり分からなかった。
強いて言えば、ザワザワと葉擦れの音がやたらとよく聞こえる事ぐらいだ。窓は開いていたはずだが、それにしては音が大きい。まるですぐ側を這っているかのような近さだった。
異変は、やがて周りにいた兵達にも起こって行く。
「う、うわっ、何だこれっ、うわ、ちょ、まっ───」
「ひっ、あ、やめっ、くすぐっ───あひんっ」
「そ、そこはっ、そこはだめっ、ふひっ───」
悲鳴にしては愉快な喘ぎ声が混じっていて、それが尚の事恐怖を誘った。とりあえず、同じ目に遭いたいとは思えない。
何にしても、混乱している今が好機だとオスモは判断した。こっそりと練り上げていた魔力を、一言魔術にして発動させる。
「”
───バキョッ
自身の両腕に向けて放った真空の刃は、籠手と多少の手の皮諸共、巻き付いていたロープを満遍なく寸断した。鋭い痛みに顔を顰めるが、指が繋がっているだけでも良しとするしかない。
(フェミプス語に置き換えただけで、一言魔術がこの威力か。恐れ入るな)
フェミプス語の力にちょっと感動を覚えつつ、オスモは上体を起こしながら目隠しを外した。
「これは───」
数時間前とは様変わりしていた詰め所の光景に、オスモは息を呑む。
詰め所の内装は、緑のペンキをぶちまけたかのように、べったりと蔓植物がへばりついていた。
どうやら本城の壁を伝って開いた窓から入ってきたらしく、壁、床、天井の至る所に植物が侵食している。その生長速度は尋常ではなく、魔術的な力が加わっているのは明白だ。
床に目をくれれば、黒ずくめ、メイド、兵達が、分け隔てなく植物の餌食になっていた。
蔓に絡まれ、葉に撫で回され、花に叩かれた者達が、徐々に抵抗を緩め、意識を落としていく。 目隠しをされていた兵はくすぐったいだけで済んだろうが、この光景を目の当たりにしたメイドはさぞや怖い思いをしたに違いない。
言うまでもなく、座り込んだオスモにも蔓や葉はまとわりついていた。どうやら皮膚に接触しないと効果はないようで、触れそうな場所を探るように伝ってくる。
血塗れの手に、そして無防備な顔に触れてくると、植物から術式を伴った魔力が流れ込んできたが───
「治癒…いや違うな。回復魔術が込められているのか。それと眠りの魔術だな。こんなもの、一個人の魔力で行使出来るものではない。一体、誰が…?」
不可解な気持ちのまま、塞がっていく手の傷に目を落とす。手首に直にはめていた真鍮の腕輪についた青い宝石が、明滅を繰り返している。どうやら眠りの魔術に反応しているらしい。
ザワ、───と。
詰め所を一通り蹂躙し終え、小康状態だった植物が、唐突に移動を開始した。
壁から緑が一旦退き、その白地の中央に蔓と葉で構成された列を編み込んでいく。
知識がない者ならば、それは絨毯などを彩る幾何学的な模様のように見えただろう。
しかしオスモには、それが字体を崩したフェミプス語に読めていた。
『あなたはオスモ=ルオマさんですか?』
「?!」
いきなりの名指しに、オスモは面食らった。だがこの短い文言は、オスモに様々な情報を
この存在はオスモを認識している。詰め所の皆が眠りについている中、オスモ=ルオマと呼ばれている者だけは起きていると感じ取っているのだ。
植物に知り合いはいないし、恐らくは人間だろう。植物を魔術で操り、この状況を作り出している魔術師がいるという事になる。
(見えていたらこの反応は出来ない。音を聞いているのか?しかもオレの事を、オスモ=ルオマと呼ぶとは…)
オスモの人生の中で、ルオマの姓を利用した時期はここ数年。故郷を出て、ラッフレナンド入りした後からだった。となると、この植物の正体は
「………もしや、側女殿ですか?」
声なら聞き取れている、と推測し口頭で答えると、文字を象った植物は一度形を崩し、再び文字を編み込んでいく。
『はい。リーファです』
リーファの生存にホッとしたのも束の間、あまり当たって欲しくない答えが返ってきて、オスモの顔がつい渋くなってしまった。
(城の魔術システムに精神を組み込んだのか………なんて無茶な)
植物を使って黒ずくめ達を一網打尽にするなら、大規模な動力源は必要だ。細やかな後始末を考えていた場合、精神を組み込み手足のように動かした方が手っ取り早くはある。
だがこの方法は、精神に多大な負荷をかける可能性がある。下手をすれば精神が崩壊してしまうだろう。あまりに自身を蔑ろにするやり方だ。
(
こちらの心配を余所に、壁は次の会話を求めていた。
『オスモさん、ねむりのちからがきいていない。なぜ?』
「ああ………それはこの、毒や眠りを防ぐ腕輪の効果かと。
リャナ殿から預かり、身につけるように言われていたのです。そして、貴女の助けになって欲しいと」
文字が浮かぶ壁に向かう意味はないが、ついそちらに右腕を差し出してしまう。
真鍮製の幅広の腕輪には、状態異常に対応した宝石が埋め込まれている。装備者に影響がある力が外から
『リャナはいろんなひとにそうだんしていたんですね』
たどたどしい字面からは、リーファがリャナへ何らかの相談をしていた事と、リャナが独断でオスモにフォローを依頼していた事が伺える。例の巡回兵も、似たような形で頼まれたのかもしれない。
(まるでチェスの駒だな。さしずめ、側女殿はクイーン、オレはナイトと言った所か?)
リャナの思い通りになっていくようで
『まきこんですみません。おねがいです。ちからをかしてくれませんか?』
別にリーファに落ち度がある訳でもないのに、文言には申し訳なさが滲み出ていた。
それが何だかおかしくて、オスモは思わず失笑してしまった。
「水臭いですよ。お任せ下さい」
快い返事に安堵したのか、浮かび上がっていた文字がぐちゃっと崩れ、葉が踊るように揺れていた。
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