第71話 少年兵の回顧・36〜犠牲
(やっ、た…!)
達成感で心を満たしたノアとて、こうも暗ければ足元は覚束ない。打ち込んだ拍子に体勢を崩し、受け身も取れずに転倒する。
背中から床に落ちると、ノアの体に疲労が一気に押し寄せてきた。鉛を抱え込んでいるような、底なし沼に沈み続けているような、心穏やかに微睡を満喫出来ないような不快感───所謂、魔力切れというやつだ。
(起き、上がらないと………上の廊下にいた男の事が、気になる。上等兵の傷の具合も、診ないと。リーファさんの、安否も。今ここで落ちるのはまずい…!)
やらなければならない事が山積していたが、体が重くて寝返りもままならない。
夜よりも深い闇の広間に、何か視界に映るものがあればと目を皿にして───
(あれは…?)
何もない、とそう思い込んでいた所で、一ヶ所だけ不安定な光の揺らめきが見え、そちらに顔を向ける。
謁見の間の真北。リーファが眠る玉座の前に、一際大きい火柱が上がっていたのだ。
「そん、な…!」
火柱の中にある人影の正体に、ノアは愕然とした。
モーリオの炎の魔術は、制御を失い幾ばくかの火の玉となって、ノアの後方、つまりは玉座周辺へと飛んで行ってしまっていた。
リーファと使い魔を守るよう、玉座の周りは厚く敷かれた植物の壁で覆われており、火の玉の多くは、その壁をいくらか焼きつつも突破出来ずに留められていたのだ。
───たった一ヶ所を除いて。
「リーファ…、リーファアアァァ………ッ!!」
床に
嘆きの理由は明確だった。
その火柱の中心に在ったのは、身を挺してリーファを火の玉から守り抜いた、使い魔”リーファ”だったのだから。
植物の壁を突き破って飛んできた火の玉を、両の手で受け止めたのだろう。腕は砕けて足元に散らばり、ほんのりと膨らんでいた腹の中心は無残にも抉られていた。
素人目に見ても、ここまで破損したら修復は不可能だと理解出来る。
「ああ………嬉しイ。
小さキ、騎士サマ………大役ヲ、お任せ下さリ、ありがとウ、ございまシタ…」
ノアに深々と頭を下げる使い魔の姿は、カーテンコールに応えた役者のように堂々としている。服も髪も燃え尽き、人の影を辛うじて残すばかりだったが、その声音はとても穏やかだった。まるで、ここへ来る前からこの末路を切望していたかのようだ。
ギギギ、と壊れそうな音を立て、使い魔の首はカールへと向いていた。
「カール、さん………言いつけ、守れ、なくテ、ごめんな、サイ。わたシ───」
「いい………いい、んだ。………お前は、間違いなく、オレの”リーファ”だ………!」
申し訳なさそうに言った使い魔の言葉を遮り、カールは嗚咽を混じらせ、自分の想いを吐き出した。
リーファの素材を組み込まれ、リーファに似た姿形に形作られ、リーファらしく振る舞う事を命じられた使い魔。
他の誰かの面影を残し、的外れな学習を繰り返す使い魔は、本物のリーファとは少しばかり違っていたかもしれないが。
それでも、
カールの言葉は、紛れもなく最上級の賛辞だった。
「………ああ…うれ、しい、な………カール、さん、大好、き───」
造られた者としての基礎思考か、積み重ねてきた経験からの感情かは分からない。
しかし
そして役目を終えたとばかりに、使い魔”リーファ”の形は崩れ、元の土の塊へと還って行った。
(…僕にもっと、出来る事はあったんだろうか…)
焚き火のようになってしまった使い魔の残骸を眺め、ノアは物思いに
元より、何の犠牲もなく黒ずくめ達の襲撃を食い止める事は不可能だと思っていた。
カールの離反がなければ、黒ずくめ達は制圧出来なかった。植物の魔術の完成が間に合わなければ、シーグヴァルドは止められなかった。使い魔がいなければ、リーファだってただでは済まなかったはずだ。
使い魔の犠牲だけでこの場を制圧出来ただけでも、御の字だと考えたい所だが。
こんな形で使い魔を巻き込まずに済む道があったのではないか、と思わずにはいられないのだ。
ノア自身に、これ以上の策を練る才覚などないと分かっていても、だ。
(ん………声が、聞こえる…?)
カールのすすり泣きに紛れ、男のものと思われる小さな声がノアの耳を掠める。
会話ではない。抑揚はなく淡々と紡がれる言葉の連続は、ほのかに魔力が込められている。
(これは魔術の詠唱………上の廊下の男か!?)
慌てて体を起こそうとするも、顔を上げるだけで精一杯だった。木の棒を支えにしたくても、転倒の拍子にどこかへやってしまっている。
体を丸めるようにしてどうにか上半身を起こしていると、相手の魔術が発動してしまう。
「”
流暢なフェミプス語で発動した魔術の灯りは、闇に落ちた謁見の間に再び光を呼び戻す。精度が高いのか、魔術師モーリオが放ったものよりもずっと明るい。
2階からそれを天井近くへ放った男は、階段を使うのが面倒だったのだろうか。手すりを乗り越え、垂れている植物のカーテンを伝って謁見の間の広間へ降りてきた。
格好はカール同様、ラッフレナンドの紋章が刺繍された青い前掛けとプレートメイルを着ていた。腰に長剣を差しているが、抜剣する様子はない。短く刈り込んだ髪の色は白髪に近いライトグレーだが、その容貌を見るにまだ全然若いのではないだろうか。
オスモ=リンドロース───確か、モーリオはそう呼んでいただろうか。
男は広間をぐるりと見回し、カールとノアの姿を認めた。そして何故か、同僚であるはずのカールを差し置いてノアに話しかけてきた。
「君は、3階の巡回兵のノア=アーネルで間違いないかね?」
いきなりの名指しに、ノアは警戒の色を強くした。
城内で見かける事はあるから、顔は知っていた。ただ、沢山いる先輩の一人、という程度の認識しかなく、名前を覚えてもらえるような接点を持っていない人物だった。
「は、はい。そうですが………あなたは…?」
「オレは、2階の衛兵職に就いているオスモ=ルオマ。
気まぐれ移動商店リャナ屋殿と側女殿の依頼で、君の助力に来たんだが………
オスモと名乗った衛兵は、ばつが悪そうに頭を掻いて苦笑いを浮かべると、ノアに手を差し伸べてきたのだった。
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