第69話 少年兵の回顧・34~決断

 違和感はあった。

 今天井を照らしている灯りの魔術は、この魔術師が発動させたものだったからだ。


 基本的に、魔術は発動者が制御出来なくなれば消失する。昏睡や気絶は言うまでもなく、意識があっても集中力が途切れれば維持は難しくなる。

 術具の利用で、ある程度工夫は出来るらしいから、その力が働いている可能性は考えられたが。


 魔術師は、当初から灯りの魔術が維持出来る程度に意識はあり、こちらのいざこざが終わる機を伺っていたのだ。

 シーグヴァルド達に助勢すらしなかった辺り、元々彼らを出し抜くつもりでいたのだろう。


「かつては栄華を極めた魔術師王国………当時と比べるべくもない、とは思っていたが…。まさか魔術感知もロクに出来ない者が、魔術師を名乗っているとは。何とも片腹痛い」


 床に転がるカールに向けた嘲弄が、謁見の間によく響く。魔術師のしわだらけの口元が、歪に吊り上がるのが良く見える。


(確かに、魔術発動の予兆は感じなかった)


 魔術感知の訓練は、ノアもした事がある。編み上げられていく魔術の先読みは、魔術師攻略の要素になり得るものだからだ。

 ただ優れた魔術師は、魔術を気取られない工夫も出来るという。付け焼き刃の訓練では、熟練の魔術師を出し抜くのは難しいだろう。


(上等兵も気付いていなかったみたいだし、魔術師が一枚上手だったって事か…!)


 魔術師からカールの少し手前辺りまでに広がっていた植物クレマチスは、魔術の余波で燃え尽きていた。茶色く焦げ、城の床がむき出しになった道を歩いていく魔術師の姿は、まるでこの城の主にでもなったかのような落ち着きぶりだ。


 広間中央まで足を進めた魔術師は、顎を上げ玉座に目をくれる。不可視化インビジビリティが発動している今、そこ見えるのは使い魔しかいないのだが。

 魔術師の視線はノアを通り越し、まっすぐリーファへ向けられていた。


「だが、あちらはなかなかの魔術師だのぅ。城の魔術システムに自身の精神を組み込み、城内に散らした植物を操っておるのか。

 下手をすれば廃人になりかねんものを、よう制御する。集中力に余程の自信がなくば、出来ん芸当よ。もっとも───」


 ふん、と鼻を鳴らした魔術師は、視線を落とした。そこには、焼け爛れた緑を飲みこみ、再び浸食を開始した植物の波がある。


 植物の標的は、明らかに魔術師だった。敵意を孕んだ緑の濁流は、徐々に魔術師を取り囲むが───


 魔術師は、左手を掲げた。

 節くれ立った手の平には、真っ赤な宝石が直に埋め込まれており、炎の揺らめきに似た輝きを放っている。


「”唸れ、禍災遮炎かさいしゃえん”」


 文言を唱えた途端、宝石からぶわりと風が吹き出した。魔術師を中心に魔力の渦が巻くと、宝石に火花が散り、一瞬で炎が燃え移る。


 魔術師まであと一歩という所で、植物の波はその炎の結界に遮られてしまう。懸命に魔術師を囲もうとしているが、炎に触れた途端焼き払われ、茎を伝って後続の葉や花に燃え広がって行く。


 面白い位によく燃える植物を見て、魔術師は機嫌良くわらった。


「ふっひっひ、脆い脆い。植物など、我が炎にかかれば児戯のようなもの。得手なのだろうが、相手が悪かったのぅ」


 強力な眠りの魔術と言えど、拘束出来なければ作用しない。ここに来て現れた天敵とも言うべき存在に、植物は火の粉を払いながら怯むように後ずさりをしていた。


 魔術師にとって、リーファはもはや脅威ではないのだろう。床の植物を炎の結界で焼いて退けつつ、その足は倒れたカールの下まで進んで行った。

 つま先の反り返った固い木の靴で、ゴツ、とカールの頭を小突く。


「システムの管理者は………お前だったなぁ?さあ、中枢へ通じる道、開けてもらおうか?」


 声をかけられるまでピクリとも動かなかったカールだったが、魔術師の執拗な蹴りに渋々と顎を上げていた。


 出血と痛みで、顔色は酷いものだ。額からは汗が零れ落ち、荒い呼吸を繰り返している。

 彼の体には、植物の茎や葉がまとわりついてはいるが、眠りと回復の魔術は作用していない。植物の魔術を阻害する、ロケットペンダントの力に因るものなのだろう。ペンダントを外せば回復魔術を受けられるだろうに、その余力も残っていないようだ。


 カールは精一杯の気力で魔術師を睨みつける。


「こ、と、わるっ…!」

「ふむ、教える気はないか。しかしこれ以上痛めつけると死んでしまうな。では───」


 魔術師はつまらなそうに唇をへの字に歪め、早々にきびすを返した。その昏い視線を、再び玉座へと向けてくる。


「…二人いたなぁ。一人くらいは殺しても、問題はなさそうだのぅ」


(!!)


 魔術師が下した判断に、ノアの全身が粟立った。


 ノア達を取り囲んでいた魔力障壁は、先の魔術の余波で消し飛んでいる。もし同じ魔術が飛んで来たら、ノアかリーファ、どちらかがカールと同じ目に遭うだろう。


「や、やめ、ろ…っ!」

「わしとて暇ではないのだ。黙ってみておれ」


 足に縋るカールを一瞥もせずに振り払い、魔術師は嬲るように舌なめずりをした。


「玉座の前にいる者よ、逃げたいのならば好きにするといい。だがお前が動けば、もう一方の頭に穴が空くぞ?」

「でん………かっ、に、………………っ!」


(───ッ!)


 脅しに似た魔術師の挑発はまだ良かった。

 だが、蚊の鳴くようなカールの。それが、ノアの感情を逆撫でした。


 カールが自分の主と定めたのはノアアロイスだ。それ以外の者達は、常に優先順位は下がるのは理解出来た。

 そして一枚も二枚の上手なリーファなら、眠りながらでも何らかの防御策を練っていそうだと、考える事も出来た。

 大言壮語を吐くばかりで、ただ突っ立っているだけのノアアロイスの方が、よほど危なっかしいと思う気持ちも分かる。


 しかし───しかし、だ。

 身動きの取れない女性を、一人残して逃げるなんて。


 ノアは決意と共にリーファの手を離し、不可視化インビジビリティを解除した。


「僕を、見くびるなーっ!!」


 ふたりの体が色と形を成していく中、ノアの咆哮が広間に響き渡る。木の棒を握り締めた小柄な少年兵は、魔術師目掛けて階段を駆け降りる。


(魔術師を───倒す!!)


 リーファも動けない。カールも動けない。ならば、王族だろうが若かろうが非力だろうが自分が動くしかない。当然の帰結だった。

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