第68話 少年兵の回顧・33~横槍
息子の余裕の無さは、シーグヴァルドも見抜いていた。防戦一方に見えたが、カールが突きを繰り出そうとした瞬間、守りの構えを解く。
「だが悲しいかな。その力、使いこなせておらんな。───がら空きだっ!!」
───ゴッ!
「ぐゔっ!」
突き出された剣を身を捻って躱したシーグヴァルドは、踏み込みながら手の甲でカールの横面に一撃を見舞った。
強い力で殴られたようには見えなかったが、カールの体は思った以上に跳ね、広間の東端へ追いやられる。
謁見の間の上部外周は、北側から廊下が渡されており、2階中央の五つある会議室に繋がっている。その廊下の足元にあたる場所は、シャンデリアの灯りがあまり届かない部分だ。
そんな広間の影になる場所まで転がされたカールは、どうにか起き上がろうとしたが───一拍、遅かった。
眼前に突きつけられたシーグヴァルドの長剣によって、身動きを封じられてしまったのだ。
「お前の負けだ、カール」
息の乱れがない訳ではない。しかし余裕を感じさせる重たさを言の葉に含め、ふん、とシーグヴァルドは鼻を鳴らした。
カールはしばしシーグヴァルドを睨んだ後、目を泳がせて状況の打破を模索していたようだった。だが先端の欠けた刃が喉元まで近づいてきて、
「………ああ、オレの、負けです。
昔からオレは、父さんには、勝てませんでした………オレは馬鹿だから、父さんのように、先の先の手まで読んで、動く事は出来ない…」
荒くなった息を整えながら、カールは纏っていた魔力を消失させ、剣をその場へ置いた。無抵抗を示すように、両手をゆっくりと上げる。
反抗期の子供が陥落したかのような心地だったのだろうか。シーグヴァルドは満足げに笑っていた。
「…分かればいい。一時の迷いなど、誰にでもある事だ。ワタシがこれからも、お前を導いてやろう」
「だが───」
「ん?」
「オレ達の勝ちだ」
カールの菫色の瞳が、広間よりも深い闇に堕ちたその中で爛々と輝く───と同時に。
───オォ、オォオン───
「!?」
謁見の間全体に響いた重厚な鳴動に、シーグヴァルドは思わず顔を上げていた。そして、頭上にあった物の姿を認め、転げるようにその場から離れる。
その直後、シーグヴァルドがいた場所にばさりと黒い影が落ちてきた。
見回せば、ソレは上の廊下の至る所から、粘り気を帯びてゆっくりと広間へ下りてきていた。やがて空いている所を探すように、もったりと床を浸食していく。
暗がりに映る影は、まるで水気を多分に含んだ泥のようであったが。
微かな魔術の灯りにさらけ出したその姿は、瑞々しい緑に煌めき、むせ返る草木の香りを垂れ流していた。
クレマチス───”
(リーファさんの魔術………もうこんな所まで来てたのか…!)
ノアが慌てて振り返れば、玉座に
左右を見上げれば、2階の北の廊下から続々と植物が侵攻を続けていた。1階からの到達は難しいと判断して、2階を経由してここまで降りてきたらしい。
(臨時プログラムが、ついに完成した…!)
広間へ伸びていく植物を、ノアは呆然と見送るしかない。
リーファの話では、ノアも植物に巻き込まれて眠ってしまうはずだった。しかし実際は、まるでノアを避けるかのように階下へ流れて行ってしまっている。
使い魔も巻き込まれていない事や、倒れた黒ずくめ達へ目指しているようにも見えるから、何らかの意思が働いているのかもしれない。
「カール!カールッ!!カーーールッ!!早くこの植物をどうにかしろーーーっ!!」
嘆きの咆哮に目をくれると、足元に迫りくる植物をシーグヴァルドが長剣で必死に振り払っていた。
プレートアーマーには茎や葉が絡まり始めていて、それを左手で懸命にむしっている。だが植物が絡みつく方がずっと早く、次第に彼の体が緑に呑みこまれていく。
「何をどうしろと言うのですか、父さん。
このような緻密で繊細で美しい魔術、そうそう身に受ける機会などないのですよ?どうかそのまま、側女殿の力感溢れる美技を堪能するといい」
シーグヴァルドが緑色の人型に変じていく中、ふらつきながら近づいたカールは薄笑いを浮かべていた。その潤んだ瞳に厭味など欠片もなく、むしろ堪能出来ない自分を残念に思ってすらいそうだ。
勝とうなど微塵も考えていない。ただ時間が稼げればいい───それがカールの狙いだったと気付いたシーグヴァルドは、抗いようのない眠気に顔を
「おの、れ───やはり、お前は………
口を塞ぐように茎が何重にも巻かれ、しばらくシーグヴァルドは
緑の人型の膝は折れ、金属がかち合う音を立ててうつ伏せに崩れて行く。膝下程の高さの、不格好な生垣に似た何かが出来上がる。
多くの血が流れ、硝煙の臭いが微かに
(………終わっ、た………?)
謁見の間をほんのりと魔術の灯りが照らす中、ノアは静寂が起こす耳鳴りに目を細めた。
視界を巡らす。床はほぼ一面緑の絨毯で満たされており、
そんな中、感慨深げにこちらを仰いでいるのはカールただ一人だ。シーグヴァルドを含めた黒ずくめ達は、七つの緑の塊と成り果て、ピクリとも動かない。
ふと、ノアは違和感を覚えた。
(………広間に入ってきたのは、八人…じゃなかったか?)
細やかな疑問だった。数え違いも十分あり得た。
しかし嫌な予感が抜け切らず、ノアはもう一度目を皿にした。どれもこれも緑の塊でしかないが、位置で何となく推測出来る。
広間東端にいるカールの側の塊は、シーグヴァルドで間違いない。
西端の塊は、カールに吹き飛ばされた弓使いだ。
中央手前にある二つの塊は、籠手使いと棒使い。
中央奥にある二つの塊は、短刀使いと長剣使いだろう。確か彼らは、ノア達に
玉座への階段すぐ側にある血に濡れた塊は、刺されたクロスボウ使いか。
となると、後は───
(魔術師がいない!?)
使い魔の一撃を喰らって、階段から転げ落ちた魔術師。その姿がどこにもなかった。
予感が確信に変わり、怖気が走った。その時だった。
「殿下!側女殿はご無事で───」
「”猛き
───ボウッ!!
姿のないノアに向けたカールの言葉を遮り、広間北西───玉座から死角になっていたそこから、光が発生した。
(ぐっ?!)
強い閃光が一瞬で視界を満たし、ノアは目が眩んだと自覚する。痛みのない衝撃に、堪らず瞼を閉じる。
───ジジジジ───ッ!!
消失しかけていた魔力障壁が、外側で起こっている何かに反応している。見る事は出来ないが、先の閃光の余波がこちらにも及んでいるのだろう。これが魔術によるものだと、ノアは後追いで認識する。
「───ゴ…ッ」
魔力障壁の防御音が鳴りやみ、閃光自体が収束したと気付いた時、カールのえずきが耳を撫でた。追って、ばちゃり、と液体が零れる音が聞こえてくる。
音から連想させるものなど考えたくもなかった。なかったが、ここでの現実逃避は自分の命すら危険に晒すはずだ。ノアは眩んだ目でゆっくりと広間を確認した。
カールは立っていた。
こちらへ近づこうとしていたのだろう。シーグヴァルドらしき草の塊の手前で、直立不動の状態でノア達がいる玉座に顔を向けていた。
その口からは真っ赤な液体を垂れ流し、時折、ゴボリ、と追加で零す。
血の気の失せた表情に、どことなく恍惚としたものが見え隠れしていたが、さすがに喜んでいる訳ではなさそうだ。
そして───彼の腹部のやや左に、ぽっかりと握り拳大の穴が空いていた。
衛兵の前掛けを焼き、プレートメイルの装甲を溶かし、肉と骨と臓器を貫いた魔術の一撃は、カールを一瞬で瀕死まで追い込んでいたのだ。
「く、そ───」
何が起こったのか理解出来たらしい。カールは
震える手で空いた腹を押さえるが、籠手にはべったりと血がへばりつくばかりで、流血は止まらない。肉が焼けているのか、思ったよりも出血量は少ないが、だから何だという話だ。
歯を食いしばり、しばらく周りを見回したカールだったが、もはやこれまでだと悟ったようだ。瞳に色が失せ、その場に
そして───
「………ふっひっひっひっひ。ようやく、邪魔者はいなくなりましたなぁ」
待っていた、と言わんばかりに、広間北西からゆっくりと顔を出したのは小柄な人物だ。
暗緑色のローブを身に纏い、フードを目深に被ったその顔立ちまでは分からない。声質から、そこそこ老齢の男性ではないかと推測出来るだけだ。
シーグヴァルド達と共に行動していた魔術師が、その姿を現したのだった。
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