第65話 少年兵の回顧・30~制圧
カールの明確な変心に、黒ずくめ達が目を剥く。玉座に向いていた殺気は、即座にカールへと移って行く。
「ソーニヤ!?」
「カール、貴様!気でも触れたか?!」
クロスボウ使いの沈黙を確認したカールは、ゆっくりと黒ずくめ達に向き直る。右手は血まみれの短剣が握り締められ、衛兵用の青い前掛けは血しぶきと水滴で滲んでいた。
顔色も酷いもので、灯りの乏しさも相まって青ざめてみえる。かつての仲間を手にかけてしまったのだ。その気持ちは察するに余りある。
「…ああ、気が触れたのかも知れないな。実直にギースベルト派に傾倒してきたオレが、こうまで移り気とは思わなかったよ、イクセル。
カールの菫色の瞳が細められ、瞳孔に朱が入り混じる。
短剣の切っ先を黒ずくめ達へ向け、カールは後に続けた。
「慈悲深い側女殿は、オレが守るべき人。
そしてオレに道行きを示された王は、オレがお仕えするべき主だ。傷付ける者は誰であれ許さない」
(…王?)
カールの
王と言えば普通アランを指すが、カールが毛嫌いしているアランが『道行きを示した』とは考えにくい。
となると───
『無理強いをするつもりはないですが───リーファさんの味方でいてあげて下さい。多分それが、あなたの為にもなる』
(───僕の事?!)
ノアが隠れ家でカールに言った”お願い”。それがカールの人生の指標になっていたと気付き、ノアは愕然とした。
後にカールが謎めいた笑みを浮かべていた事も、今なら理解出来る。自身が真に仕えたいと思える主に出会えた、確信の笑みだったのだろう。
あの時、ノアはそこまで考えていた訳ではなかった。
カールの厄介な性分は、リーファくらいしか受け止められないだろう、と思っただけだ。
そんなリーファが困った時、アランが側にいられない時に、余裕があれば少しだけ彼女を支えてあげて欲しいと、そんな
(僕は彼に、とんでもない事を命じてしまったんじゃないのか…?)
自分のさり気ない一言で、カールの人生がまるっと変わってしまった───そんな気持ちが
「ま、魔女に毒されたか、カールッ!」
「後悔させてやるっ!」
鬼気迫るカールの形相に怯んでいた黒ずくめ二人が飛びかかって行く。武器は、一方が節が幾つもついた棒、もう一方は指周りに刃のついた
先手は棒使いだった。右斜めに振り上げた棒を、カール目掛けて振り下ろす。緩い弧を描いてしなる棒は、重さを伴いながらカールに降りかかる。
短剣を胸元で構え身を縮めたカールは、降ってくる棒の外周を沿うように一歩右へ踏み込んだ。目標を見失った棒は、先端を広間の床に
躱される事を見越していたのか。籠手使いが棒使いの後ろから躍り出て、刃のついた拳を突き出してきた。
籠手使いの間合いだ。下がって距離を取るには時間が足りず、短剣を振るうには近すぎるこの間では、最低でも一撃見舞われるのは確実と見られたが。
「?!」
カールは即座に身を屈めた。いや、腰が落ちて行ったとするのが正しい表現だろうか。落とし穴に落ちたかのような、予想を許さない急激な落下だった。
籠手使いからはカールの上半身が消失したかのように見えただろう。刃がついた拳は、カールの頭上の風を切るだけとなっていた。
カールは尻餅をついた状態だったが、右膝だけは立てている。
その体が前へ傾き、右の靴底がザリ、と音を立てた瞬間───
───ドフッ!
ガラ空きになった籠手使いの腹に、片足だけで立ち上がったカールの拳がめり込んだ。
「───ッ───ゴ、プッ───!」
体がくの字に曲がる痛打に、籠手使いはその場で白濁の液を吐瀉する。既に意識はなく、白目を剥いてしんなりしていた。
「カール、てめぇ!」
激昂した棒使いが再度得物を手に振りかぶる。折れたように見えた棒は、どこにもその痕跡が見られなかった。どうやら、複数の筒状の金属を鎖で繋げて棒状にした武器らしい。
拳を籠手使いの腹に当てたまま肩に抱えていたカールは、腰を少しだけ落とした。足と肩の力だけで、棒使いへその体を放り投げる。
「へ?ちょ───ぎょわっ?!」
変則的なうねりを伴った棒は籠手使いの頭へ直撃するも、勢いは止められない。棒使いは籠手使いに巻き込まれる形で床に転倒した。
カールの猛攻は止まらない。慌てて籠手使いを押しのけた棒使いに馬乗りになり、短剣の柄頭をこめかみに打ち付ける。
───ゴッ!
こめかみは人体の急所だ。頭部の中でもとりわけ骨が薄く、衝撃が脳に届きやすい。
平衡感覚すら奪う一撃は、激痛を忘れさせてくれただろうか。棒使いの意識は、あっという間に明後日へ持って行かれた。
「カーーールッ!!」
距離を置いていた最後の黒ずくめ、弓使いが、カールに向けて弦を引き絞る。棒使いに馬乗りになったまま顔を上げたカールに向けて、間髪入れずに矢は放たれる。
───パンッ
回避も防御もままならない体勢では、矢の直撃は必至と思われた。だが矢は甲高い音を立てて、カールの右に逸れてしまった。
外したのではない。矢の到達を見計らって、カールが短剣で打ち払っていた。さすがに短剣も無事では済まなかったらしく、刃の中程で折れてその先端を床に落としている。
「矢を打つ前に声を上げるやつがあるか。いい加減その癖は直せ、イクセル」
まるで覚えの悪い部下に弓の指導をしているようだ。侮蔑を込めてそう言い添えたカールは、お返しとばかりに短剣を弓使いに投げつけた。
「うわあぁ!?」
カールの戦いぶりに怖気づいたか。刃が折れた短剣であっても怖いものなのか。弓使いが情けない悲鳴を上げて怯んでいる。
その隙を見逃すはずもなく、カールは弓使いに向かって駆け出していた。
身をよじって短剣を躱した弓使いは、動揺したまま矢を番えようとするが間に合わない。
カールは抜剣もしていない剣の柄頭で、弓使いの胸部を打ち貫いた。
「───ァ」
ノアがカールと相対した時に受けたものとは比較にもならない。骨も臓腑も砕きかねない一撃を受けた弓使いはその体を浮かせ、謁見の間の隅まで吹き飛ばされていた。闇の奥で、壁に叩きつけられ床に落ちる音が鳴り響き、やがて完全に沈黙する。
黒ずくめ三人を叩きのめすのに、数分とかかっていない。
あっという間の出来事に、ノアは息をする事も忘れていた。
(強…い。城で教える、剣術や柔術じゃない………これは───)
暗殺術。
対人戦闘に特化した、対象を確実に仕留める為に編み出された格闘術だった。
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