第64話 少年兵の回顧・29~変心

(カール=ラーゲルクヴィスト上等兵…!)


 正面の大扉から転がり込むように入ってきたのは、確かにカールで間違いはなかった。だが、その様相は隠れ家にいた時とは大分様変わりしていた。


 まず、全身がずぶ濡れだった。

 まるで湖にでも飛び込んだかのように、頭から靴先までびしょ濡れだったのだ。中まで水が入っているらしく、時々鎧から水が噴き出し、レッドカーペットに染みを作っている。

 濡れた髪をかき上げる様は何とも絵にはなったが、初夏の真夜中の入水はさすがに堪えたらしい。寒さで全身がカタカタ震えていた。


 また、体の至る所にクレマチスの茎や葉が絡まっていた。引きずってきたのか、足元にはカールの後を追うように茎が伸びている。眠りの魔術はカールには効いていないようだが、絡まれる事は避けられないらしい。


「「カール…ッ!?」」


 馴染みの者もいるのだろう。謁見の間への闖入者に、黒ずくめ達は目を丸くしていた。

 中でも強い反応を示したのは、鎧を着込んだ中年男だ。男はカールを見るなり表情を険しくして詰め寄っている。


「カールッ!!お前は今までどこへ行って───!」


 ノアすら気圧けおされる程の中年男の激昂だが、カールは男に眼中はないようだ。その熱視線は謁見の間の中央上段、ノアのすぐ側に注がれていた。


「リーファ………何故、こんな所に…?!」


 自身の使い魔が玉座の傍らで澄ましている光景は、この場の何よりも衝撃的なものだったのだろう。同時に、空間転移魔術の失敗の原因にも気づいたはずだ。彼の声音からは、使い魔の不可解な挙動への問いかけも込められていた。


(この短時間で、一気に人格が成長した?それとも、使い魔自身が可能性もある?

 リーファさんも雰囲気がガラッと変わる時があるし、そんな所まで似るものなのかな…)


 使い魔”リーファ”を見やると、玉座の肘掛けに腰を下ろして口元に手をやって笑っていた。その動きに、隠れ家にいた時のぎこちなさは殆ど見られない。球体関節を誤魔化し距離を取れば、生身の人間と間違えられても仕方がないか。


「それはもちろん、わたしがリーファだからでス。

 わたしリーファは、我がママで、欲ばりで、ヤンチャなのです。やりたいコトは全部やりたい、ヒドイ魔女なのです。カールさんも、もちろん困らせるのデス」


 リーファが言っていた冗談をそのままなぞった使い魔は、舞台役者の様に手を虚空に掲げてみせた。

 そこには、天井の光を一身に浴びて艶かしく輝いているビブネックレスが絡まっている。


(………忘れてた)


 目の前で中央のピンクダイヤモンドがけばけばしくちらつき、ノアはようやく失念を自覚する。身分を明かすという役目を終えていたから、ノアにとっては邪魔でしかなかったのだが。


「それは───”星々の微笑”?!」


 それの正体が黒ずくめの一人から明かされ、連中からは一気に動揺が広がって行った。

 彼らにとっては、ノアアロイスを見つける目印となるはずだった物品だ。それが予想外の場所から出てきたのだから、この反応は当然だ。


「ま、魔女め!それをどこで見つけたッ?!」

「床に落ちテいたのです。キレイでしょう?ワルーい魔女にふさわしい、ステキなネックレスですね。うフフふふ、あははハハっ」


 宝石の醜美が分かるとは思えなかったが、使い魔は”星々の微笑”を掲げて喜々として高笑いを上げている。リーファの素朴さは感じられずとも、魔女に相応しい振る舞いとは言えるかもしれない。


 ───ッ───


 膨らみ続ける殺気を裂くように、気配が動いた。

 まるで矢と使い魔の頭部が、一本の糸で繋がっているかのように正確に、そして確実な死を願って向けられたそれは、クロスボウだった。


(しまっ───)


 使い魔に気を取られていたノアの反応は遅すぎた。

 カールの視線は動いていたが、クロスボウ使いを押さえ込むには距離がありすぎた。


 クロスボウから放たれた矢は、射線上にいるノアと使い魔のどちらかに当たる───そう確信した瞬間。


 ───コウッ!


 ノアの胸からいきなり湧き上がった白い光が、不可視化インビジビリティの域を越えて湧き上がる。半径二メートル程度まで飛び散った光の粒は、ノアを優しく覆う。


 一瞬、火事場の馬鹿力的な何かをしてしまったのかと勘違いしたが、


(リーファさんの花飾りか!)


 一度は守ってくれるという、リーファ特製の花飾りが発動したらしい。身につけたノアだけかと思いきや、ちゃんと使い魔まで守ってくれているようだ。抜かりのなさは如何にもリーファらしい。


 球体に展開された魔力障壁は、クロスボウ使いが放った矢を物ともせずに弾き散らし、なお状態を維持している。しばらくは持ちそうだ。


「おのれ、小癪な───」


 ───ドッ!


 次の矢を装填しようとしていたクロスボウ使いの罵声は、そこで潰えた。

 カールがクロスボウ使いの懐に飛び込み、抱き込んでいたからだ。

 抱擁などという生易しいものではない。体当たりに近い勢いだった。


「───ぁ」


 武器を落としたクロスボウ使いの顔が、驚愕に歪んでいる。呼吸が上手く出来ないのか、カールの肩に手をかけ体を震わして懸命に息を整えようとしている。


 だが、それで異変を取り除く事は出来なかったようだ。

 カールが一歩身を引くと、クロスボウ使いの膝は折れ、その場に倒れ伏していた。


 何が起こったのかとカールの手元に目をくれると、そこには護身用の短剣が抜き身で握られていた。刃から滴る鮮血は、広間の床にささやかな染みを広げていく。


 カールの短剣がクロスボウ使いの腹を抉ったのだと、ノアはようやく状況を認識したのだった。


「カー、ル………な、ぜ」

「悪い、ソーニヤ。オレはもう、お前達にはついていけない」


 クロスボウ使いの疑問に淡々と答えるカールは、とても冷めた表情をしていた。


 服装は同じで、顔も覆面で目元しか分からない者達を前に、カールは体型と武器と声だけで相手の名を言い当てている。

 互いに名を呼び合う程度に交流はあっただろうと容易に推測出来るのに。


(ギースベルト派からの離反を決めたんだ…!)


 この土壇場での意思決定は、カールにとっては辛い選択だっただろう。しかしノアからしたら、これ程ありがたいものはなかった。


 カールの心変わりが本物だと理解して、クロスボウ使いの顔が絶望に染まっていく。気力を振り絞り得物に手を伸ばすも、クロスボウはカールによって蹴飛ばされ、広間の暗がりに消えて行く。


 クロスボウ使いの抵抗はそこまでだった。伸びきった手はその場に落ち、動かなくなってしまった。

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