第62話 少年兵の回顧・27~割込

(や───ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!この位置はヤバい!)


 非常に不安定且つ見つかりやすい場所にいると気付いた途端、ノアの体が小刻みに震え出した。見えない汗が顎から伝い落ち、座面の隅にシミを作る。

 これが玉座の後ろだったなら息を殺しているだけで済んだだろうが、こうして視認される位置にいる以上、身動みじろぎすら命取りだ。


(僕は玉座、僕は玉座、僕は玉座───!)


 見えないリーファの手を握り締め、ノアは只々時間が過ぎるのを待った。さすがにクレマチスが到達した後の事までは考えていられない。今この場を切り抜ける事が最優先だ。


 ───ガタ、ガタガタッ


「ひっ───」


 扉を軋ませる音が謁見の間に響き、黒ずくめ達が恐怖におののく声が聞こえた。謁見の間に侵入しようと、植物が扉を揺らしているらしい。

 ノアの背中の先で、中年の焦りが唯一と思われる魔術師に向けられている。


「な、何とかならんのか!?魔術師!」

「…魔術システムの中枢へ通じる道は、こちらにあると聞いております。

 システムに干渉出来れば、わしにも制御出来るやもしれません」


 魔術師の提案に、ノアの体がぎくりと軋む。


 詳しくは知らないが、魔術システムの中枢は玉座の背後の支柱から行ける、と聞いている。

 合言葉が分からなければ支柱に入る事は出来ないはずだが、それよりも───


「それに………玉座に、何か仕掛けがしてあるようですからなぁ?ついでに調べてみるのも一興かと」


 明らかにこちらへ向けて放たれた魔術師のげんに、ノアの心臓が今度こそ竦みあがった。


(バレてるーーー?!)


 あちらに魔術師がいる時点で、遅かれ早かれではあっただろう。だが、魔術師の落ち着きぶりからして、もしかしたらリーファの存在すら気付いているのかもしれない。


 魔術師の思惑に中年男は気付いていないようだ。カタコトカリカリと鳴り続ける扉に目をくれつつ、魔術師を急かした。


「な、何だか分からんがさっさとやれ!あの植物を止めてみせろ!」

「御意」


 仕方がない、と言わんばかりに頭を下げた魔術師は、玉座に向けて歩き出した。

 レッドカーペットが敷かれた階段を、魔術師が一歩一歩踏みしめるように近づいてくる。


「さあて。そこにあるのは一体何かのう?魔術師の王が隠した大いなる遺産か?それとも現王を虜にする絶世の美姫か?

 いずれにせよ、この状況では逃げる事もままなるまい。じっくりと、つまびらかにしてくれよう………ふっひっひっひっひ」


 植物の脅威が迫っているというのに、魔術師が焦る素振りは見られない。自分だけでも助かるような対策をしているのだろうか。弱者をなぶるかような緩慢さだ。


(ど、どうする───どうする?!)


 ノアに緊張が走る。こうなるともう隠し立ては意味がない。しかし、魔術師も含めた黒ずくめ達を一人で相手するのはさすがに無理がある。

 考える猶予など微塵もない。まずは───


(間合いに入ったら、鞘で殴る!)


 ノアは腹を括り、腰に差した鞘を意識した。

 その時点で、魔術師の靴の音がすぐ背後まで迫っていた───その時だった。


「───下賤ナ魔術師風情ガ、この神聖な場ニ立ち入るなど、許されませんヨ?」


 ───ゴキョッ!


「ほぎょおっ?!」


(…は?)


 声、音、悲鳴と、その場で立て続けに起こった事態を、ノアは全く理解出来なかった。


 状況を整理する。

 まず、鈴の音のような澄んだ鶯舌おうぜつが前面から聞こえた。

 それから程なく、ノアの頭の上を重たい何かが掠めた───と思ったら、ちょっとやばい音が響いた。

 そして、魔術師と思しき悲鳴が上がった。

 今は、ばさばさと何かが階段の下へと転がり落ちて行っているようだ。


(………………一体、何が?)


 体はあまり動かしたくはなかったが、本能か怖いもの見たさか。ノアは恐る恐る顔を上げる。

 玉座の裏手から顔を出していたのは、女性のような姿をした人型だった。


 茜色の髪は左右で編み込まれ、一つで束ねられている。瑪瑙めのうの瞳が艶めかしく天井の光に揺れ、陶磁に似た透明な肌は、鼻から下をワンピースの裾で隠していた。


 白のワンピースはゆったりとしていたが、それの華奢な体躯をちゃんと表現していた。ほんのりと膨らんだ腹部で妊婦らしさも垣間見えたが、これはどちらかというと記号のようなものだ。

 右手には、新品同様のデッキブラシが握り締められている。多分だが、さっきの鈍い音はこれだろう。


 リーファに限りなく似ていた。

 だがそれは、限りなく違う何かだと言い切れる。


(使い魔…?!)


 カールが作った、リーファを模したという使い魔。それがここに立っていたのだった。


「な、何奴だ!?」

「わるーい魔女ですヨ───にゃお」


 黒ずくめの誰何すいかに、使い魔は艶めかしく目を細めて首を傾げる。左手首を前へ揺らす仕草は、リーファが教えていた”ネコを被る”仕草だ。


(なんで、こんな所に、使い魔が)


 魔術師の脅威が払われた事に安堵しつつも、当然のように疑問は湧いた。そしてノアの脳裏には、カールの隠れ家での出来事が蘇る。

 カールが空間転移魔術を発動させようとした時、ノアの視界の中で何かが動いたような気がしていたのだ。


(あの魔術の発動直前に動いていたのはこの使い魔か?…空間転移の失敗はこの使い魔が原因…?!)


 ノア達三人の転移だけでも、相当な負担を強いられた空間転移魔術だ。頭数に入れていなかった使い魔が割り込んだのなら、失敗していても何らおかしな事ではない。


(魔術師を下がらせてくれたのはありがたいけど───!)


 ノアはリーファの手を左手で強く握り締め、右手で腰に差していた鞘を抜いた。振り返りながら、玉座の下の情報を視認する。


 襲撃犯の人数は全部で八人。黒ずくめが六人、鎧の中年男が一人、魔術師が一人だ。

 黒ずくめ達と中年男は武器を構えていて、玉座の側でニコニコしている使い魔を睨みつけている。得物は短刀、クロスボウ、長剣とバラバラだ。

 魔術師は階段の下で目を回しているが、頭を振って復帰しようともがいていた。


「おのれ、面妖な女め…!まさか、外の植物も貴様の仕業か?者共よ、殺せ!」


(だよね!そうなるよね!?)


 剣を掲げた中年の号令の下、黒ずくめ達が階段目掛けて殺到した。

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