第61話 少年兵の回顧・26~誤送
───視界を光で埋め尽くした時間は、そう長くはないと思えた。少なくともノアが意識した時間は数秒、といった所だ。
(無事についた…?)
魔術の光が失せた後に認識出来たのは、視界の大部分を占めた闇だった。ぐるりと首を回して目を凝らすも、闇の中に目印になるようなものはない。
ただ上方の右側から、ほんのり柔らかい光が揺らめいていた。顔を上げれば、本城の壁らしき遮蔽物が、その奥から放たれている光を歪めている。
(謁見の間は、玉座から2階に通じる道はカーテンで仕切られてたんだっけ。
なら、あっちが北の廊下かな?光は、壁の燭台か…)
立ち位置を推測しながら、次は周囲を確認する。
リーファの体勢は、転移前と変化はないように思えた。握り締めた両手は左右にも前後にも引っ張られず、ちゃんと固定されている。
この暗闇の中では想像するしかないが、リーファの体は何かにもたれているようだ。多分、玉座の後ろの支柱だろう。
(それにしては足下が落ち着かないけど…絨毯って、こんなに柔らかかったっけ?
なんか、後ろがスースーするし…)
膝をついた場所の不安定さに訝しむ。しっかり足先がついていないようで、ノアの体勢は不安定だ。触って確かめられないのがもどかしい。
(臭いが鼻につくな………爆発の煙か。階段を伝って、こんな所まで届くんだな………)
噴煙の臭いは、時間の経過によって幾分か収まっているようだ。
幸い咳き込む程ではなかったが、身動きが取れないリーファにはあまり嗅がせたくない臭いだった。
(とりあえずここは、謁見の間で間違いはなさそうだ………でも、ラーゲルクヴィスト上等兵はどこへ…?)
両手に包んだ柔らかな手の存在でリーファを確認しながら、カールの事を思い巡らす。
彼はノアの肩を掴んでいたはずだが、今その感触はない。背後に気配もなく、少なくとも近くにはいないようだ。
(まさか、制御に失敗してどこかの壁にめり込んだ、とか…?)
嫌な仮説が
リーファすら『苦手』と言わしめた空間転移魔術だ。カールも複数名への同時発動は不安に感じていたし、カールだけ転移に失敗した可能性はある。
(まずい………彼に何かあったら、リーファさんを目覚めさせる人がいなくなる…!)
臨時プログラムの魔術に巻き込まれず、解除の方法を知っているのはカールだけだ。ノアは魔術に抗えないし、アランは解除方法を知らない。
アランであれば、自力で解除方法を捻り出してくれるかもしれない───と希望的観測をする事は出来るが、それはアランの帰還が前提だ。帰還が難しい場合、やはり解除出来る者がいない事になる。
リーファの体が、どれだけ持ち堪えられるかも分からない。
解除出来る者を待てるだろうか。解除出来ずに魔力切れで力尽きてしまうだろうか。
あるいは───
(今ならまだ僕は動ける………何か、何か出来る事はないか?僕は一体どうしたら───)
「うわあぁああぁあぁ?!」
どこか遠くから聞こえた男の絶叫に、思案に耽っていたノアは思わず顔を上げた。
「なっ、なんだあ、これはぁ?!」
「うわ、この草やばいっ!逃げろおっ!」
「ま、待って、置いてかな───がっ───い、あ───」
次々と上がって行く悲鳴に、ノアの背筋が凍る。
灯りが見える方角から聞こえてきてはいるが、恐らく四方八方から悲鳴は上がっているのだろう。廊下を走る音、転倒する音、何かが落ちる音が、本城を揺るがしているようですらある。
(
想像以上に早いクレマチスの生長、そして黒ずくめの連中の異変への感知に、ノアの肌が粟だった。
クレマチスの浸食は、城の一番外側、城壁近辺からだと聞いている。
本城に悲鳴が上がり始めたという事は、外はクレマチスが侵食しきっている状態なのだろう。兵士宿舎、礼拝堂、食堂、演習場にいた者達は、眠らされてしまったはずだ。
黒ずくめ達の戦力が削げていくのはありがたいが───
(気付かれるのが早過ぎる!これじゃあ、植物の侵食がない場所に逃げ込んでしまう!)
───ガチャンッ!!
ノアの懸念は、最悪の形で再現された。
暗闇と沈黙に満ちたこの場に、暴力的な光と横暴な音が差し込んできたのだ。
腕で目を庇いたいが、リーファの手を離す訳にはいかない。止む無く目を閉じ、音で状況を探る。
入ってきたのは複数名。五、六人はいるだろうか。
ガチャガチャと金具をすり合わせたような音は右下から聞こえており、隣接している医務所の通用口から入ってきたのだろうと推測する。
城の兵士である可能性はない、と見ていいだろう。まず間違いなく、黒ずくめの連中だ。
「───”光明よ、照らせ”!」
ここに来ながら詠唱はしていたのだろう。老獪な声音は魔術を発動させ、横から差し込んでいた光を頭上に展開した。閉じた瞼の外に一気に光が満ち、ノアは目を固く瞑る。
(魔術師もいるのか………まずいな。すぐにはバレないと思うけど…!)
緊張からか、心臓が早鐘を打ち始める。手のひらにじんわりと汗が滲み、震えてきている。もう少し情報が欲しいと思ってはいるが、こう目が眩んでは動く事もままならない。
気が気でないノアを余所に、扉を閉められる音が聞こえてきた。同時に、焦りが込められた中年の叱責が広間に響き渡る。
「くそっ!何なのだ、あの植物は!?あんなもの、報告にはなかったぞ!どうなっておる、ダーヴィド?!」
「わ、わたしも、あのようなものがあるとは聞いていませんでした。多分ですが、公爵家も把握していなかったのではないかと…!」
「外で待機していた連中が、植物に呑まれていくのを見ました。恐らく、もう………」
「なんとっ………なんと、いう事だ…!」
連中の会話からは悲壮感が漂っている。まるで、ダンジョンで予想外の罠に嵌って途方に暮れている冒険者達のようだ。
(………何だろう。こっちが悪い事をしてるような気持ちになる………)
変な罪悪感に駆られ、ノアの顔が渋くなる。
やっている事は城の防衛であり、正義はこちらにあるはずなのだが、”植物が襲ってくる”という絵面の悪さが問題なのだろうか。
「………一個人の魔力であのような大規模な魔術が発動したとは思えませぬ。
恐らくは、城内の防衛システムが作動したのでしょうな…」
「防衛システムか………くそっ!カールがいれば、そんなもの即座に止めさせるというのに………あやつは一体どこにいるのだ…!?」
会話を聞き流す内に、目が慣れてきた。眩んでしまわないよう、恐る恐るノアは瞼を開いた。
目の前には、真っ赤なベルベッド生地の背もたれがあった。中には綿がふんだんに詰め込まれているようで、長時間の引見で負担がかからないよう、体に合わせた形状になっているようだ。
視界を落とせば、座面も同素材、同色で構成されている。丁度小柄な人物が腰を下ろしているように、中央がやや沈んでいた。
権威を誇示するよう、左右の肘掛けと背もたれの縁には金の装飾が惜しげもなく使われている。ただ、座面が横に広く出来ている為、肘掛けが役に立つ事はあまりなさそうだ。
幼少期、父王の目を盗んで何度か座った事がある。
(後ろじゃない───玉座だ、ここ!!)
謁見の間の玉座、その座面に膝をかけている事に、ノアはようやく気付いたのだった。
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