第60話 少年兵の回顧・25~覚悟

(ああ、この人は僕に───に、命じて欲しいんだ………『ギースベルト派から離反しろ』と)


 ノアは静かにかぶりを振る。導いて欲しい気持ちは痛い程分かるが、それはノアにとってあまりにも荷が勝つ務めだ。


「…申し訳ないですが、僕はあなたに意見する立場にも、導く立場にもありません。

 ただ、リーファさんを守ろうとした先の行動は、全て正しい行いだったと、それだけは断言します」


 カールの見開いた菫色の瞳に、失望と困惑が入り混じる。欲していた命令は無く、望んでいなかった賛辞が降ってきたのだ。その反応は当然だった。


「そ、側女殿にはたくさん迷惑をかけました。オレは、恩を返しただけです」

「彼女が『恩を返せ』と言った訳じゃないでしょう?あなたの言う”迷惑”とやらを、彼女は拒絶もせずに全て受け止めてくれたじゃないですか」

「受け、止め───」


 言葉を詰まらせたカールの狼狽が見て取れる。

 ノアとしては、彼女をかたどった使い魔や血を欲した事を指したつもりでいたが、他にも”迷惑”になるような事をしていたのだろうか。


 黙りこくってしまったカールから目を外し、ノアは眠り続けるリーファの手を取った。

 ノアと大きさは変わらないが、たこもまめもない色白く細やかな指先だ。このたおやかな手が、現在のラッフレナンド城の命運の一端を担っているのだと思うと、何とも不思議な気分になる。


「同じ師を持つ弟子同士、同じ仕事をする者同士………その接点だけで、恋愛感情を持ち合わせていないあなた相手によく付き合ってくれていると思いますよ?

 無理強いをするつもりはないですが───リーファさんの味方でいてあげて下さい。多分それが、あなたの為にもなる」

「──────」


 元より何かを期待した訳ではなかったが、案の定カールからの返事はなかった。目を丸くして憮然とノアを見下ろしていた。


(そろそろだな…)


 間を持たせる無駄話はもう必要なかった。カールを思考の外へ追いやり、ノアは魔術に全神経を傾ける。


 魔術というものは、基本的に失敗を前提に出来ないと聞いている。

 どうやら『失敗するかもしれない』と考えると失敗癖がついてしまい、いつまでも成功率が上がらないのだとか。


 誰にも見つからないように、誰の耳にも入らないように、誰の手も届かないように。いつも以上に慎重に、ノアは詠唱を開始した。


「”我が身躯ィム・ィドブ・セィム・ウティウ光に塗れ、闇に呑まれ、世界に溶けよエウツ・ドゥルロゥ・ウグオーウツ・トゥウギル・ドゥナ・ッセンクラド”───」


 リーファの手を、包むように両手で強く握りしめる。目を頼れない以上、手から伝わる感触だけが頼りだ。

 転移の拍子に離してしまわないように、しかし柔肌に傷をつけてしまわないように、加減を見極めて───


「───”不可視化インビジビリティ”」


 魔術は無事に発動した。迅速に的確に、ノアとリーファの姿を隠れ家の背景に織り交ぜていく。自分だけが不可視化する、触れた者だけを不可視化する、なんて失敗もある魔術だが、今回は制御は完璧と言っても良かった。


「オレの為にもなる………か」


 ノア達の消失から程なく、カールの呟きが隠れ家に響き渡る。

 自分に向けたものではないのだろうが、何となく気になって肩越しに見やれば、カールは何故か柔らかい微笑を浮かべていた。


 それがどういう意図の表情なのかと、ノアが怪訝に眉を顰めていると、カールは残っていた魔晶石を拾い上げ、おもむろに詠唱を始める。


「”現出し開き給え黄金の扉エウツ・ネドゥログ・ロゥド・スラエッパ・ドゥナ・スネポ”───」


 詠唱と共にカールの足元に魔術陣が浮かび上がる。魔力の消耗が激しかったり、規模が大きい魔術で良く見られる現象だった。魔術陣からはパチパチと火花が飛び散り魔力が溢れていく。

 リーファすらも苦手としている空間転移魔術だ。使い慣れているカールとて負担は大きいのだろう。歯を食いしばりしかめ面で術の制御をこなしていた。


(ああ………さっきはこんな光景が広がっていたのか…!?)


 握り締めていた魔晶石が早々に砂塵と化す様を目の当たりにして、ノアは戦慄した。これだけ消耗の激しい魔術ともなると、短時間に何度も使えるものではないはずだ。

 リーファが考えた作戦に、命を削って向き合う覚悟がある───彼の必死な形相から、それが幾らでも伝わってきたのだった。


「”我が運命諸共、望む先へと導き給えエサエルプ・エディウグ・メ・オツ・エウツ・エカルプ・イ・トナゥ・グノラ・ウティウ・ィム・ィニツェド”───」


 視界に何かが入ると集中が途切れてしまうのか、目を伏したままカールの左手が伸びてきた。動けないでいるノアの肩に届くと、強く握り締めてくる。


 ノアも思わず身構えた。リーファを掴む手を離さないように、転移先で何があってもいいように、歯を食いしばる───と。


(うん?あれは───)


 リーファとカールを交互に見る中、視界によぎった影のようなものの正体が気になったが。


「”転移の門エタグ・フォ・シサツァテム!”」


 それが何かを悟る前に、カールが発動した空間転移魔術によってノアの視界は光に呑まれて行った。

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