第59話 少年兵の回顧・24~雑話

 ───始まりは、音だった。

 城を包むような、満たしていくような、異音だった。

 音自体は、獣の遠吠え、水の波の音、木々の葉擦れ、風のさざめきに近かっただろうか。


 人の声音である可能性は、真っ先に除外された。

 今は赤子も寝静まる真夜中だ。確かに先程までは騒がしくはしていたが、騒いでいた者達は軒並み血だまりに沈んでしまった。

 そして騒いでいなかった者達は、ざわめくような動揺を見せていなかった。


 また、自然が奏でる音色の多くは、この緑も水も豊かな土地ならば幾らでも溢れかえっている。

 この土地に馴染みがない者であっても、今更聞き耳を立てるようなものではなかったのだ。


 きっと、ここではないどこかからの遠鳴りなのだろうと、誰もが思ってしまった。

 孤独に怯えた狼辺りが、故郷を想い上げた遠吠えだったに違いないと、誰もが思ってしまった。


 ───深い夜闇に紛れ、緑の無慈悲な蹂躙は静かに始まった。


 ◇◇◇


「──────」


 臨時プログラムの始動と共に、リーファの体がぐらりと傾いた。その瑪瑙めのう色の瞳に力はなく、既に意識はない。


 見計らっていたノア達は、リーファの左右に陣取り、受け止める体勢を取っていた。カールは肩を、ノアは腰を受け止め、リーファの体を支柱に持たれさせる。


 ノアが手のひらで虚ろに開いた瑪瑙の瞳を閉じていると、カールは支柱に触れてソースコードを表示させていた。光の文字が、リーファの上半身まで映り込んでいる。


「………同期しているな。問題なく稼働したか………」


 喜々と手伝ったのは他でもない彼なのだが、とうとうやってしまった、と言わんばかりにカールが渋面を作っている。


(勢いで動いてから後悔するタイプなのかな…)


 元より考えあって動いていたリーファとは違い、カールはギリギリまで思い悩んでいた。その余裕のなさに付け入って協力をこぎつけたのだとしたら、リーファもなかなか腹黒い。


(いや、そんな事を考えてる場合じゃない)


 ノアは気持ちを切り替え、自分が次に起こすべき行動を思い出す。


 まずは装備の確認だ。

 着込んだチェインメイルの胸には守りの花飾りを留めていて、守りは万全だ。容姿を隠す必要はなかったが、念の為頭部を守るサレットは被った。

 剣は無いが、リーファから木の棒を借りており、鞘と一緒に腰のベルトに差している。


心許こころもとないけど………やるしかない)


 リーファ目掛けて成長を始めたクレマチスは、遅くても十数分後には本城に到達する。

 謁見の間に行くのが早過ぎて黒ずくめ達に気取られるのも怖いが、遅過ぎてクレマチスが行き先を見誤るのも良いとは言えない。


 転移魔術の発動タイミングはカールに任せるしかないが、ノアもノアで不可視化インビジビリティを使うタイミングは考えなければならなかった。


 目だけを上へ動かし、カールを盗み見る。

 彼はこちらを見ようともせず、支柱に浮かぶソースコードを確認していた。しかしその挙動はどこか落ち着きがなく、意図的にノアを見ないようにしていると分かる。


 話しかけてくるな。さっさと行ってくれ───そう訴えているような気がしたが、まだ少しだけ時間はある。ノアは敢えて話しかけてみた。


「ラーゲルクヴィスト上等兵。あなたは、これからどうするんですか?」

「………その問いに、答える義務はありますか?」


 カールは言葉こそ丁寧に返してみせたが、その声音には棘を多分に含ませていた。こちらを見ようともせず、とても触れそうにない。


(突っつき過ぎて嫌われたかな………子供だな)


 安堵と呆れが入り混じった吐息がつい零れてしまった。リーファを裏切りノアを拘束するのではないか、とちょっとだけ考えたのが馬鹿らしくなってしまった。


「…いいえ、ありません。あなたがアロイスに王位を継がせたいのなら、リーファさんが動けないこのタイミングに説得に来るのかな、と思っただけです。

 相応しい王統と治世を望んでいましたが、あなた自身はまつりごとに興味はないんですね」

「それは…ッ!」


 揶揄からかう目的で適当に言ってみただけなのだが、意外と的を得ていたらしい。すぐさまカールの顔が怒りで歪んで行った。


 睥睨してきたカールを、ノアは顎を上げてただ見つめ返す。

 勢いに任せて組み伏せてくる可能性もちらりと浮かんだが、どういう訳か怖いという感情は全く浮かんで来なかった。


 見つめ合う事しばし経ち───を上げたのはカールの方だった。

 彼は苦い顔で頭をがしがし掻き、少しも怯まないノアから目を逸らした。


「…オレはただ、誰かに導いて欲しいだけなのです。

 オレは昔から思慮が浅く、何をしても裏目に出るばかりでした。

 言う事さえ聞いていればそれなりに認めてもらえるギースベルトの派閥は、オレにとって有り難い場所だったのです。

 なのに───師匠の導きは、オレの多くを変えてしまいました…」

「…今の立場に、居心地の良さを覚えてしまった…と?」


 ノアが問うと、カールの唇がへの字に歪んだ。

 不満な気持ちが顔にありありと浮かんだが、やおら認めるように大きな溜息が零れていく。


「…うだつが上がらないオレにも、考えて出来る事があるのだと思いました。………いつまでもこの日々が続いて欲しいと、どれ程思ったか。

 この気持ちに嘘はつきたくありません。ですが、今まで培ってきた価値観を壊すには足りないのです…」


 そうして見つめてくるすみれ色の瞳は、気持ちの迷いに揺れていた。

 神に祈るような、救いを求めるような、すがるような目をしていた。

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