第58話 少年兵の回顧・23~始動

 こうして、魔術システム”ラフ・フォ・エノトス”への臨時プログラムの登録準備は進められていった。


 この臨時プログラムは、ソースコードの登録後に即時発動し、状態を維持。解除の手順を経てプログラムの自動削除が行われる。

 発動中、リーファの精神はシステムと絶えず同期を繰り返すらしく、肉体は死んだように眠り続けてしまうという。


 リーファの体への負担が懸念されたが、魔力はカールが所有していた魔晶石で補う事になった。どうやら在庫から時々くすねていたらしく、リーファが呆れ返っていた。


 そして解除の手順だが、”リーファへの口づけ”を条件にするつもりらしい。


 リーファは『酷い事故でも起こらない限り、事前情報もなしに解除される心配はないから』と言っていたが。

 続けて『”まどろみの森の乙女”のように起こして下さいね、って陛下には伝えて下さい』とカールに頼んでいて、解除を行う事になるだろうアランを困らせる意図が込められているようだ。


 ノアが出来る事は、そう多くはない。


 臨時プログラム発動後、動けなくなったリーファの手を取って不可視化インビジビリティを発動。

 その後、カールの空間転移で謁見の間の玉座の裏手へ移動すれば、後はリーファのもとへ押し寄せるクレマチスを待つだけだ。

 クレマチスが到達すると、ノアにも臨時プログラムに含まれる眠りの魔術がかかってしまう。リーファ諸共不可視化インビジビリティが解ければ、そこで一旦任務完了だ。


「側女殿は王の帰還を信じて疑わないようだが、オレは過信していない。

 …貴女は嫌だろうが、もしギースベルト派が城まで攻めてきた時は、この魔術はオレが解かせてもらう。その後はオレに従って、城を脱出してくれ」

「”森の美女”は呪いを解いた人の報酬、ですからね。その時は、私を好きにして下さい」

「………そんなつもりは、ないのだが………」

「分かってます。だからですよ」


 どうやら揶揄からかっていたらしい。リーファに悪戯っぽく笑われると、カールはちょっと複雑そうに頬を染めて顔を逸らしていた。


 ノア達がいる隠れ家の中央の北の支柱周辺には、記号や文字が書かれた紙が散乱している。


 記号が多くを占めている大きい紙は、作業工程経路図フローチャートと呼ばれるもので、プログラムの工程を記号を用いて表したもののようだ。既存プログラムのデータも組み込んでいる為か、簡易的とは言えかなりごちゃごちゃと矢印が書き込まれている。


 座卓の傍らに座っていたリーファはそれを時折見やり、コード用用紙コーディングシートに書き込んだフェミプス語をくまなくチェックしていた。独特な改行法則で書かれた異形の文字は、それ自体が力を帯びているようにも思えた。


 そして少し離れた所にいるカールは、リーファが書いたコーディングシートを入念に確認しながら、ソロバンを用いて何かを計算している。もっと非協力的かと思っていたが、球を無心で弾く横顔はどこか嬉々としていた。


 やがてカールは、ソロバンの底を床で小突いて御破算にした。溜息から、安堵の感情が滲んでいる。


「…臨時プログラム稼働後のシステム使用率は五十五パーセントといった所か…まずまずだな。

 システム使用率を三十パーセント程度で抑えていると気付いた時、何故機能をもっと詰め込まないのか、と思ったものだが………こうして非常時になると、ありがたみが分かる」

「即時対応出来るのは、余裕があるシステムの強みですからね。これが常に九十パーセント以上だったら、全く使い物にならないでしょう。

 高過ぎる使用率はどうしてもシステムの劣化を早めますし。魔術システムも人も、そういう所は同じですね」

「…確かにな」


(…丸一日起きてて、ずっと考えて動き回ってる、みたいなものなのかな…)


 魔術システムの管理者同士の会話だ。ノアが口を挟めるはずもないが、リーファのげんからそう推測する。

 人間がそんな状態で働いたら、実質死に急ぐようなものだろう。意思があるとは思えない魔術システムにも、休息や遊びは欲しいものなのかもしれない。


「しかし、回復魔術に珍しい詠唱が含まれているな。”魂の帯を辿りヲッロフ・エウツ・トゥレブ・フォ・ルオィ・ルォス汝に還れドゥナ・ンルテー・オツ・ウオィ”………いつもの側女殿の文言とは違うようだが」

「え、ええ。父から教わりまして。回復魔術をより確実にする為のものです。念には念を、と思って。───さあ、そろそろ始めましょうか」


 何故か誤魔化すように笑うと、リーファは手元のコーディングシートをひとまとめにして立ち上がった。散らばっていた書類をかき集め、最後にカールが持つ書類も受け取る。


 北の支柱の手前には、カールから預かった握り拳大の魔晶石が五つ、魔術の陣のように床に配されていた。

 書類を持ったリーファはその中心に腰を下ろし、支柱に右手を添える。


 魔晶石の一つが白く発光すると、ソースコードが光をまとって支柱に浮かび上がった。先程見た、空白行が目立つ部分が表示される。


「健闘を祈る」

「後の事は、任せて下さい」


 肩を並べたカールとノアから激励が飛ぶと、リーファは一度だけ振り返ってにっこりと笑みを返し、改めて支柱へ向き直った。

 大きい深呼吸を二度、三度繰り返して肩の力を抜くと、コーディングシートに目を落とし、声を低くして詠唱を開始する。


「”リーファの名で臨時プログラムを追記しますア・イラロプメツ・マーゴープ・ルリゥ・エブ・デッダ・レドゥヌ・エウツ・エマン・フォ・リーファ

 臨時プログラムは即時発動しますイラロプメツ・マーゴープ・ルリゥ・エブ・デタヴィツカ・イレタイデッミ

 そして終了条件を満たし次第削除されますチ・ルリゥ・エブ・デテレドゥ・エクノ・エウツ・ノイタニムレット・スノイティドゥノク・エラ・テム───”」


 詠唱に応えるように、魔晶石の一つが、パッ、と光の粒子を周囲に撒いた。しばし魔晶石の側に漂った粒子は、時間をかけてリーファの体にまとわりつく。ほんのりと全身を覆った空色の光は右腕に集まり、やがて支柱に伝って行く。


 粒子を受け取って発光し始めた支柱は、ソースコードの空白行にフェミプス語を一文字ずつ刻んで行く。まるでパズルのピースが予め用意されていたかのように、しっくりとコードが乗っていく。


「”我が欠片達よィム・ストゥネムガーフ肥沃な土となりエモケブ・エリトレフ・リオス豊かな水となりトナドゥヌバ・レタゥ照りつける光となりグニニウス・トゥウギル子らに恵みを与えなさいドゥナ・エヴィグ・スグニッセルブ・オツ・ルオィ・ネードリウク

 子らよネードリウク我が大地で殻を破りカエルブ・ツオ・フォ・ルオィ・ッレウス根を下ろしエカツ・トォル茎をのばしヲーグ・ルオィ・スメツス葉を広げダエープス・ルオィ・セヴァエル咲き誇りなさいドゥナ・モオルブ・ニ・ルオ・ドゥナル───”」


 リーファはシートの文言を、一言一句違える事も言い淀む事もなく読み進めて行く。凄いというよりはえげつないと表現したくなる程の集中力だ。読み切ったシートを払い除ける様すら洗練されていて、ノアは思わず息を呑んでいた。


「”汝の目に闇の帳を降ろしましょうテル・エウツ・リエブ・フォ・ッセンクラド・ルラフ・ノプ・ルオィ・セイェ

 汝の手足に温もりを授けましょうテル・メ・エヴィグ・ウトムラウ・オツ・ルオィ・スブミル

 猛き心は安寧に沈みィム・エクレイフ・トラエウ・スクニス・オトニ・エカエプ深く終わる事のない眠りを捧げましょうテル・ス・レッフォ ア・ペエド・グニドゥネレヴェン・ペエルス───”」


 シートが何枚か読み込まれていくと、光彩を放っていた魔晶石が水気の失せた泥団子のように形を崩して行く。床に溶けるように姿形を消失させると、今度は右にあった魔晶石が粒子を放出し始めた。このペースなら、リーファへの負担は殆どないだろうか。


「”我が手は過去への───ィム・ドゥナウ・シ・ア・エディウグ・オツ・エウツ・トサップ紡げ紡げニップス・ニップス運命の───エウツ・スラエグ・フォ・ィニツェド

 絹布は生糸にクリス・ウトルク・スンルト・オトニ・ワー・クリス生糸は───にワー・クリス・スンルト・オトニ・スノオコック───は蚕にスノオコック・ンルト・オトニ・スムロゥクリス蚕は───へドゥナ・スムロゥクリス・ンルト・オトニ・スッゲ───”」


 魔術の様式が変わった、と何となく察する。聞き取れない単語が増えてきたが、法則性から回復魔術だろう、と推測は出来る。完璧に聞き取れないのは悔しいが、勉強中のノアが触れてはいけない箇所が混じっているとも思えた。


「ああぁ………美しい…」


 ぼそりと溢れた呟きに顔を上げれば、支柱のソースコードを眺めていたカールが目を細め、恍惚に震えていた。リーファの容姿を指している訳ではないと、すぐに分かる。彼女が迷いなく編み上げていく魔術の模様に、感極まっていたのだ。


 カールが積極的に手を貸していたのは、ひとえにこの瞬間の為だったのだろう。しがらみを一切無視した、魔術に対する純然な好奇心。それが、彼の心の原動力なのだ。


(………うん、綺麗だ………)


 魔術の醜美とやらはノアには分からない。だが、魔術と向き合うリーファのひたむきな姿は、心打たれるものがあった。

 職人気質かたぎとでも言うべきか。真摯で一切の妥協を許さない。今回は城への襲撃に対する防衛というていだったが、これが他のどんな生温い務めであっても、彼女は全力を尽くすのだろう───アランの為に。


 そして───


「”臨時プログラム、始動イラロプメツ・マーゴープ・デトラトス”」


 ───オォ、オォオン───


 臨時プログラムの登録はつつがなく完了し、彼女の声以外に無音だった空間に、人ならないときの声を聞いたような気がした。

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