第55話 少年兵の回顧・20~作戦

 書斎スペースを離れたリーファとノアは、隠れ家の中央に向かって歩いて行く。キッチンの造りが気になったが、あくまでここは個人的な空間だ。不躾ぶしつけにカールの趣味に触れるのは良くないだろう。


 殺風景な白い空間に、革靴と鉄靴の音だけがよく響く。隠れ家の主であるカールの声も、使い魔達の物音も聞こえない。まるでこの世界でふたりきりになってしまったかのような違和感が肌にへばりつく。


「リーファさんは、僕がアロイスだって信じてくれるんですね。…もしかして、ヘルムート兄上から聞いていたんですか?」


 レンガ造りの支柱へと向かっていたリーファに声をかけると、彼女は振り返って首を横に振った。


「いいえ。前に、過去のラッフレナンド王の幼少期の肖像画を見た事がありまして。アロイス様とよく似てるなと思ったんです」

「ノア、と呼んで下さっていいですよ。話し方も、今まで通りで結構です。

 ………あんまり、アロイスって名前好きじゃないんですよ」


 嫌いでもないのだが敢えてそう促してみると、リーファはふんわりと目尻を下げた。


「じゃあお言葉に甘えて。………ノア君は、私の我が儘に付き合ってくれるの?

 その、私よりもノア君の方が見つかるとまずいと思うんだけど…」

「男に二言はありません。それに、これでも人を見る目はあるんです。

 リーファさんなら何かやってくれるに違いない、と思ってます。…具体的な策があるんですね?」


 確信があった訳ではなかった。カールとの交渉の中で、彼女の物言いから明確な計画が組まれているような気がしただけだ。

 要はただの勘だったのだが、リーファは薄笑いを浮かべて首肯した。


「しばらく前に、城壁の内側にクレマチスの種を植えておいたの。

 種には私の血を染み込ませておいたから、私の魔力を注げば生長を促す事が出来る。ここからは距離があるけど、魔術システムに仲立ちをさせればちゃんと届くはず。

 クレマチスと魔術システムと私を繋いで、一時的に城を私の支配下に置いてみようと思うの」


 何かすごい事をサラッと言われたような気がして、ノアは眉間にしわを寄せしばし黙考する。


 物体と人身を繋ぐ為、やはり血を媒介にする魔術は存在するようだ。しかも、城内を管理している魔術も絡ませるとなると、かなり規模が大きい事が伺える。


「………よく、わからないんですが、とても危険な事やろうとしてません?」

「勿論、お腹の子には負担をかけないようにするつもり。

 その為にも、魔術システムの動力とを使いたいの」


 レンガの支柱にリーファの手が触れると、触れた場所を中心に柱にぼんやりと文字が浮かび上がって行く。

 フェミプス語のソースコードと思われたが、リーファに撫でられて文字が上へ上へと流れていってしまう為、読み解く事は出来ない。どうやら、ソースコード上の何かを探しているらしい。


「クレマチスに触れた人に、眠りと回復の魔術がかかるようにすれば、黒ずくめの人達の動きを封じながら、怪我人の治療が出来る。

 ただ、生長したクレマチスが物理的に私に到達しないと、かなり効率が悪いの。でも、ここは閉じた空間だからクレマチスが届かない。だから…」

「一度ここを出る必要があると………それは確かに、彼の力が必要ですね」


 ノアは体の向きを変え、衝立で遮られた書斎スペースに目をくれる。しかしカールの姿が見える訳でも、声や音が聞こえてくる訳でもない。悩み抜いた挙句に憤死しているのではないかと思える静けさだ。


「ここは城の中心だから、この上に上がってくれるだけでいいんだけどね…。

 地下のシェルターか、1階の謁見の間か、3階の大浴場、最上階の王の寝室…」

「あちこちに黒ずくめの連中がうろついてます。あまり人のいない場所があればいいんですが…」

「そこでね。ノア君は私にくっついて、不可視化インビジビリティを使って欲しいの」


 唐突に自分の名が出てきて、ノアは瞠目した。リーファに顔を向けると、彼女は手を柱に置いたまま屈託のない笑みを返してくる。

 そして柱に表示されたソースコードは、とある箇所で止まっていた。延々とフェミプス語が並べられた中に、ぽっかりと穴が開いたように不自然な空白がある。


 ノアの不可視化インビジビリティは、発動時に接触していた物品や人物にも同様に効果が及ぶ。発動者ノアと接触していないと状態を維持出来ないが、手を繋ぐなどしてじっとしていれば勘付かれる危険も少ないはずだ。


「…なるほど。クレマチスが到達するまでの間、連中の目を誤魔化せばいいんですね?」

「そういう事」


 リーファが柱から手を離すと、柱に浮かんでいたソースコードは光の塵となって消えて行く。

 彼女は柱を一瞥もせずに、寝間着の胸に留めていた花のコサージュを外し、ノアに差し出してきた。


「陛下にも贈ったものと同じ、守りの花飾り。ノア君が持っていて。どれくらい効果があるか分からないけど、一度は守ってくれるはず」


(兄上に贈られたものと同じ…)


 受け取って、青と白の花で彩られたコサージュをじっと見る。


 リーファが身に付けていたのだから、このコサージュはリーファ自身を守る為に用意したものなのだろう。つまり、彼女の鎧であり盾と言える。

 そして、偽者のアロイスにおびき寄せられていなければ、リーファを守るのはアランの役目だったはずだ。


 ならばコサージュを受け取ったノアは、兄の代わりにリーファの守護を頼まれた───と考えるべきだろう。


「………大役ですね」

「あ、嫌だった?」

「いえ。リャナからは『弾除けになって欲しい』と言われてましたから、むしろようやく役目が果たせる、とホッとしています」

「そ、そんな事を言ってたの?あの子ったらなんてことを………ああでも、私も人の事言えないなぁ…」


 リャナのげんに一度は難色を示したリーファだったが、結局自分も同じ事をお願いしていると気付いたようだ。彼女は申し訳なさそうに、くしゃっと顔を歪めたのだった。

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