第2話 ある上等兵の煩悶・2

((クーデターかい?あの頃も似たような事はあったけど、いつになっても人間ってのは変わらないねえ))


 首にかけていたアメジストのネックレスから、ターフェアイトの艶めかしい思念が送られてきた。

 カールの心を導き、揺り動かし、時には翻弄する師匠の声音だが、今ばかりは喜ぶ気になれなかった。


「…初代ラッフレナンド王が起こした偉業は、より血の濃い方々が後世まで伝える義務がある」


 ターフェアイトに説くつもりで答えたが、まるで自分に言い聞かせているようだ。にも関わらず、自分の心にまるで響いてこない。これでは、誰一人説得させられない。


 そんな気持ちを見透かすかのように、ターフェアイトは嘲笑あざわらった。どこか試す言い方で、カールの心に問いかける。


((ふふっ───まあそこは、なんでもいいさ。で、あんたはどうするんだい、カール?

 クーデターともなると、王サマもリーファもただじゃあ済まない。

 王サマの方はどーでもいいかもしんないけど。あんたはリーファをどうするんだろうね?))


 どうやら、ターフェアイトは盛大な勘違いをしているようだ。

 今日までリーファと肩を並べてきたのは、ラーゲルクヴィスト家の悲願の為に他ならないと言うのに。


「…心配か?師匠」


((ん?心配?))


 そんな風に切り返されるとは思わなかったようだ。カールの問い返しに対し、ターフェアイトは珍しく返答にきゅうしている。


((………んー、心配、ねえ?まあ、心配半分、楽しみ半分ってトコかねえ。

 あんたが自棄やけを起こさないか、心配っちゃあ心配だし。

 リーファがどう切り抜けるか、楽しみっちゃあ楽しみかねえ))


「まだオレが側女殿に追い付いていないと言いたいか。…妬いてしまうな」


((なあに、手がかかる弟子の方が可愛いもんさ))


 小馬鹿にされていると分かっているのに、浮かれてしまう自分が恥ずかしかった。いびつであろうとも、師匠から愛情が向けられているのだと自惚うぬぼれてしまう。


「………別にどうもしない。

 側女殿は、王の側に在り続けるだろう。

 王が死に、後を追いたいと願うのなら、叶えてやるくらいはするさ」


 こんな物騒な会話を、声にして発する必要はそもそもないのだ。誰かに聞き耳を立てられる心配はないにしても、ターフェアイトとはそもそも思念で会話が可能なのだから。


 しかしカールは、口には出さずにいられなかった。

 そうしなければ、忠節、信念、価値観───何もかもの根幹が、揺らいでしまいそうだった。


「───っ」


 不意に。

 ターフェアイトの重さが、カールの背中にグッとのしかかってきた。

 重さと言っても、物体としての荷重とは違う。残留思念としてのターフェアイトが、カールの精神に寄りかかってきたのだ。


 まるで恋人のような距離間だ。何かが後ろから伸びてきて、カールを包むように首に絡む。

 ほのかに届いた熱は、ターフェアイトの温もりか、カールが興奮しているだけなのか───案外どちらでも良いのかもしれない。見えずとも触れられずとも、カールにとっては師匠を独占している事に変わりないのだから。


((…まあ、好きにするといいよ。

 どんなに卑怯でも、どれほど姑息でも、勝者なら何もかも、自由に出来る。

 リーファを殺すも、逃がすも、自分のものにするも、ね))


 ねっとりとした声音に身震いがした。込められた吐息に目が潤んだ。興奮か緊張か、口内に満たされた唾液を、思わず嚥下えんかした。

 言外で、『素直になりなよ』と言われているような気がした。


((…おっと、出来るかどうかは別問題だけどねぇ。

 あの子は手強いよ?あんたのお手並み、拝見といこうじゃないか…))


 慰めてくれるのかとカールは期待したが、ただ揶揄からかいたかっただけらしい。ターフェアイトはクスクスと笑って、カールの精神から離れて行った。彼女を感じさせる一切が、カールの側から消えていく。


 無駄に広い部屋にカールだけが取り残され、溜息と共に改めて手紙を一瞥する。


 ギースベルト公爵家からの恩恵は、カールもよく理解している。

 公爵家の伝手つてで城入りが出来たようなものだし、実家であるラーゲルクヴィスト家は公爵家の援助で成り立っていると聞いている。


 カールとギースベルト公爵家が、切っても切り離せない間柄だという事実は覆りようもない。

 与えられた恩義をやっと返せる時が来たのだと、そうも思える───でも。


 リーファが側女となり、ターフェアイトが現れて、カールの環境はがらりと変わってしまった。

 読めるようになった魔術言語、使えるようになった魔術、関わるようになった魔術システム、それらを取り巻く環境。


 煩わしいと思う事も多々ある───なのに。


(オレは、どうしたら…)


 決断の時は、すぐそこまで迫っている。


 ───壁の側に佇む人影二つが、塞ぎこむカールを心配するかのように、瑪瑙めのう色と青紫色の双眸を向けていた。

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