第3話 王弟の王位譲渡要求

 ある日の午後の、ラッフレナンド城2階執務室。

 ラッフレナンド王アランは、いつも以上に気難しい顔で執務机に置かれた一通の封筒を睥睨している。


 封筒の差出人の名義は、アロイス=ギースベルト。

 アランとヘルムートの異母弟の名前だ。


「謁見の間でも言ったけど───偽の書状だ。アロイスがこんな事を書くはずがない」


 執務机の先にいるヘルムートは、かたくなにそう突っぱねる。


 この書状は、午前に行われた引見の際、アロイスの代理人を名乗る貴族が持参したものだ。


『正妃を持たず嫡子を作ろうとしない現王アラン=ラッフレナンドに王たる資格なし。

 ユーニウスの月の七日、帰城の折に、このアロイス=ギースベルトへ王位を譲り渡す事。

 さもなくば、ラッフレナンドの土地をその穢れた血で洗い流す事となるだろう』


 と、大変物騒な事が書かれており、謁見の間は一時騒然となったという。


 アランは『王に対して反逆の意思あり』と見做みなし、謁見に訪れていた貴族を即刻捕縛。

 改めて問い質すと、『書状はギースベルト家の家令から預かった。内容は知らなかった』と弁明した。


 手紙の筆跡から、アロイスが書いたと思わせる根拠は無かったようだ。

 しかし代筆させたとしても、ギースベルト公爵家がアロイスの名を使って手紙を寄越した事は事実であり、『くだんの日にアロイスが帰城する可能性はある』というのがアランと官僚達双方の考えだ。


「アロイスは、後見人の下で身分を隠して務めに出しているのだろう?

 後見人を懐柔して、ギースベルト家へ舞い戻っている可能性はないのか?」

「ないね。後見人は、僕の息がかかってる。

 アロイスは、ギースベルト家へ戻る事も、この書状を書く事も出来ない。………帰城する事もね」


 いつもはのらりくらりと言葉を濁すヘルムートが、珍しく声を荒げて断言する。その後見人という人物が、ヘルムートにとって信頼できる相手、という事なのだろう。


(アロイス様が生きていないように聞こえるのは、何でなんだろうなぁ…)


 リーファは黙したまま、執務机の横に置かれた椅子に座っていた。


 茜色の髪をハーフアップでまとめ、瑪瑙めのう色の双眸は落ち着きなく執務室を泳いでいる。空色の膝下丈のワンピースはゆったりしており、変化し続ける体型を圧迫させないように出来ていた。もっとも、まだ腹の膨らみが目立つ時期ではないのだが。


 椅子に座らされているのは、リーファの懐妊が発覚したからだった。

 アランの膝の上が不安定だと思った事はないが、『何かの拍子に転倒しては大事です』とメイド長のシェリーに指摘されての事だ。前回の流産が転倒にるものだった為、アランも渋々承諾した。


「本人が来るにせよ、代理人が来るにせよ、単身で来るはずがあるまい。必ずギースベルト派の兵を伴うはずだ。

 こちらも兵を編成せねばな。ユーニウスの月───二ヶ月と少しばかりか。ギリギリだな」

「もう少し情報が欲しいね。ちゃんとギースベルト公爵家としての回答も必要だし。

 私兵を使って、ギースベルト公爵家の周囲を洗ってみるよ。

 …何とか、城下に踏み込まれる前に討伐したいなぁ」


(討伐…)


 ヘルムートが零した単語を、リーファは胸中で反芻はんすうする。軍を差し向け、反抗する者達を攻め討つ事だ。

 玉座を奪いにやってくる手合いに対して、最も適切な単語だとは言えるが───腹違いとは言え、アランと血を分けた弟に向けなければならない、というのがどうにもやるせなかった。


(兄弟姉妹が多いのも、あんまり良いとは言えないのかな…)


 何とはなしにアランを見ていると、視線が気になったのかアランもリーファを見つめ返してきた。真一文字に引き締めていた口元を緩め、指で手招いている。


「リーファ、そんなに不安そうな顔をするな。

 ギースベルト公爵家とやり合う事は、想定範囲内の話だ」

「でも、アラン様も行くんですよね…?その、討伐に…」


 促され、リーファは席を立ってアランの側へと近づいた。

 右手を差し出すと、アランは手の甲に優しく口づける。膝には座れないから、今出来る最低限のスキンシップだ。


 不安に顔を染めるリーファと、リーファをいたわるアランを交互に見て、ヘルムートが苦笑交じりで肩を竦めた。


「きっと代理だろうから、アランが行く必要はないと思うんだけどねえ…」

「あちらが”アロイス=ギースベルト”を名乗っているのだ。代理だろうが偽物だろうが、私がじかに制裁を加えねば沽券こけんに係わる」

「…そうなんだよねぇ」


 アランの返答に、ヘルムートが不満そうに溜息を零した。先方が王弟の名を出してくる以上、アランも王として前線で迎え撃つしかないのだろう。


「なぁに。私もかつては最前線で骸の山を築き、”黄金色の闇アウルム・オブスクリタス”などと恐れられた男。今も尚、現役である事を証明してみせるさ。

 お前はこちらの事は考えず、ただ私の帰りを待っていればいい」

「リーファの魔術指導のおかげで、最近は兵の士気も上がってる。

 むしろ、実戦で通用するか試したい者もいるんじゃないかな?何の心配もいらないよ」

「………そう、ですね」


 アランとヘルムートの楽観的な態度を見てリーファも一応相槌は打つが、当然それで不安が払拭される訳ではない。

 魂を管理し、時には生き物の命を刈り取るグリムリーパーとは言っても、平穏な城下で暮らし、戦場を経験した事のないリーファにとっては、いささか刺激が強い話でもある。

 それに───


(アラン様の死に際が………この戦いに関係があるとしたら…?)


 グリムリーパーに備わる力の一つ。対象の死期を視る”死に際の幻視”は、相変わらずアランの死期がそう遠くない事を指し示している。


 幻視の中に幼い子供が映っているから、少なくとも数年は後だと見積もる事は出来る。今回の討伐は成功し、帰ってこれるだろうと予想する事は出来るが。


 何かの拍子に負う古傷一つが、アランの死に繋がる可能性だってある。


(私にも出来る事を探さないと…)


「しかし…アロイス=…か。王位を譲れと宣う割には、謙虚だな」


 ヘルムートと話を詰めつつ、封筒の差出人の名を見て失笑しているアランを見据え、リーファは一人考えを巡らせていく。

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