第25話 その気持ちに他意はなく・9
「師匠…」
「はいよ」
食器をよけて、ターフェアイトがカールの側へやってくる。
腰に手を当てて見上げてくる師匠を見据え、カールは真摯に嘆願した。
「オレはまだ未熟だ…。
側女殿のように魔術は扱えないし、学ぶべきものがまだまだある。
側女殿にも勤めがある。オレに時間を割いてもらうのは引け目を感じる。
───師匠、オレをどうか導いて欲しい」
「やなこった」
短くきっぱりと、ターフェアイトはカールの願いを跳ねのけた。
驚く間もなく師は詰め寄ってきて、カールの鎖帷子をヒールで蹴飛ばした。小さいながらもスリットの入ったスカートからすらりと伸びた美脚に、つい見惚れてしまう。
「勘違いすんじゃないよ。今のアタシは余命すらもない儚いもんなんだ。
なのに何であんたのお願いを聞いてやらにゃならんのさ」
そして腕を組んで豊かな胸を反らし、余裕綽々でのたまう。
「いいかい?アタシは残った時間で好きな事をやる。
この体でも、あんたに取りついてちょっとした事ぐらいは出来そうだからねぇ。
あんたはせいぜい、アタシのちょっかいを掻い潜って、アタシを上手く利用してみせな!」
小さなターフェアイトの挑発的な物言いに、カールは呆気にとられながらも内心は興奮していた。
城の改装時には丁寧に魔術を教えてくれたターフェアイトだが、今は突き放すような態度を取っている。この態度は、彼女がリーファに向ける姿勢と良く似ていた。
(今のオレは、師匠の隣に立つ資格があるという事か…?)
自覚などないが、ターフェアイトの評価がその域に達しているというのなら、後は彼女を上手く出し抜く事こそが、最後の課題になるのだろう。
(師匠の前で、恥は掻けない)
「…ああ、頼む」
カールが微笑を浮かべあまりに素直に応えるものだから、ターフェアイトはちょっと不満そうだ。
「…分かってんのかねえ」
「分かってるわよ。師匠のツンデレくらい」
「そーゆーんじゃないんだっつーの!」
リーファの言葉に、ターフェアイトはムキになって吠えている。
ふたりの気が置けない会話を眺めていると、少しばかりもやもやしてしまう。同性間の遠慮のなさというものなのだろうが、こういう会話にカールも交ざってみたい。
「早速だが、オレはさっきの答えを知りたいんだが」
「お?」
リーファに向いていたターフェアイトが、頭の上のカールを見上げてくる。そのあざとい仕草に、心臓が高鳴るようだ。
カールはテーブルに伏して師と視線を合わせ、思いの丈をぶちまけた。
「何をしている時でも、師匠の顔が、体が、声が、吐息が、頭から離れない。
いつぞやなど、夢であの日の事が思い起こされ、目を覚ましたら下着を汚していた。
あれが所謂魅了魔術というものか?これを解くにはどうしたらいい?
…いや!むしろ解けなくていい。師匠が夢に出て来なくなるなど、悪夢でしかない。
しかし何故あんな事を師匠はしたのか、答えてほしい…!」
早口で喋ったせいか、ターフェアイトが変なものを見るような目でカールを見上げている。明らかに戸惑っており、リーファに助けを求めだした。
「り、リーファ?」
「答えてあげてよ。最後に聞きたいって思ってた事だったんだから」
角砂糖を入れた紅茶を口に含み、リーファがニヤニヤ笑っている。見やれば彼女の食事は綺麗に片付いており、後は紅茶を飲み干すだけだ。
カールはふと思いつく。リーファがいないとこの具現化が叶わないというのなら、今出来る事をやっておきたい。
「いや、まだ時間はあるからこの話はおいおい聞くとする。それよりも───」
カールは両手でターフェアイトの周りを囲み、上から下からその姿を凝視した。
「この具現化というのはどういう仕組みだ…?体は小さいが、以前会った師匠の姿そのままだ。
残留思念というから、思念が多ければ多い程、等身大の師匠に近くなるという事か?この服も、師匠の体の一部という事となるのだろうか…」
矢継ぎ早に分析して、ペラ、とターフェアイトのスカートをめくり上げると、彼女は慌ててスカートを押さえて後ずさりした。
「はあんっ!?何すんだい!」
「ん?もしかして痛かったか?すまない次からは優しくしよう」
「い、痛いとかそーゆー問題じゃないだろ!?
リーファ!こいつ距離感おかしいんだけど!?」
「う、うん。多分、身近な人との距離はべったりになっちゃうタイプの人なんじゃないかなー…?」
そう言って目を逸らしたリーファの表情は複雑だ。カールに心当たりはないが、彼女はカールを見てそう感じ取ったらしい。
「冗談じゃないよ全く!───あっひゃ」
カールは逃げようとしているターフェアイトを掴み取り、その緻密な彫刻のような美しさに顔を近づけた。顔、胴、腹、足へ、鼻を擦りつける。
「まだ終わっていないぞ、師匠。
…ふむ。少しばかり花のような甘い匂いがするな。味もみておくか」
「は?味?ちょ、ま」
カールがずるりと舌を出すと、今度こそターフェアイトの表情が恐怖に染まる。
だが魔術師である以上、魔術に関する探究は止めてはならない。
(この気持ちに他意はない。きっと師匠も分かってくれる)
これは、”ターフェアイト師があまりに愛らしくてついつい食べてしまいたい”などという、猟奇的な欲求ではないのだから。
「…なんだかなあ。私、何見させられてるんだろ…?」
「あ~~~~~~っ!?」
頬杖をついたリーファの呆れ返った声音は、ターフェアイトの悲鳴によってかき消されたのだった。
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