第24話 その気持ちに他意はなく・8

「まあ、私の事は気にしないで下さい。

 それだけカールさんにとって師匠は大切な人だった、って事じゃないんですか?」


 彼女から指摘され、カールは言葉を詰まらせた。


 自力で魔術の道を模索し始めた時に現れた、”魔女ターフェアイト”。

 芽吹きの季節に舞い込む嵐のような人だったと思う。いきなり現れて周囲を引っ掻き回し、あっという間に去って行った。


 彼女が残した爪痕は大きい。城は魔術の壁に守られ、宿舎は様変わりし、要所要所がより便利になった。

 今も尚、要望は舞い込んでくる。『もう昔には戻れない』と、城の誰もが口ずさむ。


 そして、それはカールにも言えた。


 読むだけで終わっていたフェミプス語が、カールの魔力を得て発動する所を見た。

 カールの手の内から、魔力の塊が飛んでいくのを感じた。

 カールが編み込んだ魔術が、城の一部となった音が聴こえた。


 訓練を積み、上達を肌で理解するにつれて、魔力を使いすぎて失神する事すら快感になった。

 全ては魔女ターフェアイトが来て、一兵士としてくすぶっていたカールを魔術の道へと引きずり込んだからだった。


「そう…だな。そういう、事なんだろう…。

 オレには、師匠が必要だったんだ…」


 リーファの食の進みは早く、ちぎったバターロールにジャムをつけて食べている。

 カールも何か食べねばと、サラダの皿を手に取った。


「もう師匠は…ターフェアイト師の残留思念は、いないのか…?」

「リヤン姉さんの所へ届ける分の残留思念は、別の所に保管してあります。

 ちょっとすぐには出せないので、今カールさんにお見せする事は出来ませんが。

 …何かお話ししたい事があるのでしたら、伺いますよ?」

「…う、ん…」


 彼女のありがたい提案に、カールは味のついていないレタスを咀嚼しながらしばし考え込んだ。塩もドレッシングもかけ忘れたと、今更ながらに気づく。

 恐らく、言葉のやりとりはこれが最後となるだろう。ならば何が最適か、慎重に考えなければならない。


 独自に編み出した魔術の詠唱が適切か教えて欲しい───違う。

 魔力剣の講義の内容を吟味して欲しい───違う。

 使い魔に技能を習得させたい───違う。


 聞きたい事は山ほど出て来たが、そのどれもがリーファに聞いても答えが返ってくるものだ。それでは意味が無い。


 サラダの皿が空になった頃、ようやくカールは一つだけ、ターフェアイトに訊ねたい事を思い出した。


「ターフェアイト師と最後に会った時………その、魔術のようなものをかけられた。

 あれから、寝ても覚めても師匠の事ばかり考えてしまう。

 呪いなのか、何なのか………どうしたら良いか、聞いてもらいたい」

「ぐっ」


 リーファは、ポタージュを口に含んで喉を詰まらせていた。慌てて胸を何度か叩き、懸命に喉の奥に流し込もうとしている。


「ごほっ、ぐふっ………ふ、ふふっ、ごほっ」


 やがて、むせ返りながらもどこか嬉しそうに笑みを零す。

 おかしな反応を示す彼女に、カールは怪訝な顔をした。


「…側女殿?」

「あ、いや、あの。ごめんなさい。えほっ。

 そうですね。それは聞かないと行けませんよね………ごほっ、んっ」


 咳き込みながら呼吸を正したリーファは、一度深呼吸をしてカールの方へと手を向けた。


「ではそちらは、直接本人から聞いて下さい」


 カールから、彼女が何かをした様には見えなかった。魔術を用いた痕跡は特に感じられなかったが。


「───っ?!」


 カールは自分の身近に起こった異変に目を見開いた。

 首にかけたアメジストのネックレスが、唐突に光を放ちだしたのだ。

 光は膨れ上がり鶏卵程度まで大きくなると、ボールのように飛び跳ねてテーブルの丁度真ん中辺りに着地する。


 そしてそれは、くるくる、と回転したかと思うと緩やかに縦に伸び、色彩を帯びていった。

 大きさは手のひらの長さよりもやや大きい。グラマラスな肢体を強調するかのような赤紫色のワンピースを着た、濃鼠色の髪の艶めかしい美女だ。


 かつて見た時よりは大分縮んでいるが、その姿を見間違えるはずはない。


「ターフェアイト師…!?」

「よっ」


 人形のような大きさのターフェアイトは、くるっと回って額に手を当て、決めポーズをとって見せた。


「そ、側女殿。これ、は…?」


 驚きに顔を歪めるカールを、リーファはクスクス笑っていた。カールが驚くのを期待していたかのようだった。


「研究室にまだ残留思念は残っていたんです。

 それを昨日のうちに全てかき集めて、カールさんのネックレスに移しておきました。

 具現化は私がいないと出来ませんけど、ネックレスを身に着けている間は思念でお喋りが出来ますよ」

「だ、だが王は、残留思念は姉弟子の下へ送ると」

「陛下からの命令は『一昨日までに集めた残留思念を姉弟子へ送れ』でした。

 なら、は含まれていませんよね?」


 しれっと言った屁理屈に、カールは狼狽うろたえた。普段の穏やかな雰囲気の彼女からは考えられない魔性のようなものを感じた。


「それは詭弁ではないか…!?」

「陛下はそうやって、いつも逃げ道を残して下さるんですよ。…と私は思ってます」


 そう言ってはにかむリーファを見て、カールは不意に沈んだ感情と共に肩を落とした。


「………王の、施し………」


 忠誠を拒み楯突いたカールに、王は施しをしてみせた。

 王にとっては、城の守りを盤石にする目的があっただろうが。


(この師匠を受け取ってしまったら、オレはあの王に義を返さなければならないじゃないか…)


 目の前に現れたターフェアイトを、素直に喜べない自分が、そこにはあった。


「王サマの施しなんかじゃあないさ」


 ターフェアイトは、カールの考えを否定する。


「集めた残留思念はリヤンのトコへ送って、王サマの命令は終わってる。

 だったら、たまたま残っていたヤツをどうしようがこっちの勝手だろ?

 リーファはああ言ってるが…別に確かめる気なんてないんだろ?」

「ええ、もちろん」


 リーファは悪びれる事なくハムエッグを頬張っていた。卵はほんのり半熟で、黄身がとろりと皿に滴る。


「それにカールだって、まだあそこにアタシの残留思念が残ってるかも、って思ったんじゃないかい?

 アタシもまあ…あんたに取りついてやってもいいかも、ってちょっとだけ思ってたし。

 今回はたまたま、リーファが思い付きでかき集めたのが一番早かったってだけさ」

「陛下に相談するまでもなく、やらなきゃいけない事でしたから。

 …カールさん。残留思念は、本当なら会話が出来るようなものじゃないんです。もっと、うわ言しか喋らないものなんですよ?

 この師匠も、すぐに力を失って何も喋らなくなってしまうかもしれません。

 …利用しない手はないと思うんですけどね」


 物として扱うような言い方に、さすがにターフェアイトが鼻白む。


「ちょ、師匠に向かってその言い方は何だい、全く…。

 …ま、話したくないんなら、話しかけなくていいさ。アタシはネックレスを通して、あんた達の行く末を傍観するだけだからね。

 あ、うん、大丈夫。入浴中は見て見ぬふりしといてやるから。ふひひ」

「カールさん。師匠に知られたくない時は、ネックレスを引き出しの中とか入れておけばいいですからね。

 むしろ喋るとうるさいので、使わない時はどこかに埋めておいて下さい」


 仲が良いのか悪いのか。気が合いながらもどこかトゲのあるふたりの会話を交互に聞いて、カールは困惑を深くしていった。


(側女殿に他意はないのだろう…)


 彼女は基本的に、王の意見よりも自分の善性を優先している。結果的に王の為になっているだけで、王の言う事を聞いている訳ではないのだ。

 そして王は、そんな彼女の性格を理解している。王が与えた猶予を上手く利用して、王の望みを叶えるだろうと考えているはずだ。


(王の考え方は好かない…が)


 ターフェアイトは、早かれ遅かれカールと接触したいと考えていたという。この気持ちに嫌な感情は湧いてこない。


(これがオレに与えられた最後の機会なのだな…)


 王が絡むのは気に食わないが、これすらも突っぱねてしまうとターフェアイトとの接点が無くなってしまう。

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