第10話 厄介者は災厄と共に・2

 今日も、何もない一日が過ぎていく。

 体が温まってくるから起きるしかなく、薄暗い住処の穴倉を出て、近場の川の味のない水で喉を潤す。


 頭が覚醒してきたら、墓の草むしりだ。

 この季節は草がよく育っていくから、まめにむしって行かないとすぐに墓石が埋もれてしまう。

 少し前まではシロツメクサが生えていたから食事がてらむしれたが、最近は食べられない草が増えてきてしまいイライラが募るばかりだ。


 一通り草をむしり終えると、適当に摘んできた花を一輪手向けて、住処へと帰る。


 その日課を終えれば、後は何もする事はない。

 そこら辺を歩き回るのもいいし、そこら辺で寝そべるのもいい。

 そうして日が沈んでいくのを只々待ち、暗くなったら穴倉へ戻り、泥のように眠る。それだけだ。


『こんなところにいつまでもいるから忘れられないんだ。居を移すべきだ』───と、自分のこうした一日に文句をつけてくれた友人がいた。


 良い友人だったと思う。でも、応える気力が自分にはなかった。


 しかし、『こんなものは恋じゃない。呪いだ』と友人が吐き捨てるものだから、カッとなって頭突きを食らわしてしまった。

 こんな余力がまだ残っているのかと驚いたが、その時が気力を振り絞った最後の日だった。


 そしてそれ以来、友人とは会っていない。

 友人も来なくなり、時折自分には関係のない文句を言いにくるヤツをあしらい、日々が過ぎていく。


 生きる気も、死ぬ気にもなれず、いつか自然に溶けてなくならないか、と考えながら、時間だけが流れていく。


 今日も、そんな日になる───はずだった。


(───?)


 廃村が見下ろせる高台の木々の側でうつらうつらとしていたら、視界に何かがちらついたのが分かった。

 目を開き、頭を上げる。


 今日の天気は晴れだ。風が吹けば過ごせなくもないが、出来れば木陰でのんびりと涼んでいたい、そういった陽気だ。


 高台の先に見える廃村に、目立った変化は見られなかった。

 草木が生い茂り、村道だったか私有地だったかも分からない程に緑で埋め尽くされている。

 点在している家屋は炭化して崩れており、地面に廃材を広げている。そこからも、そこそこ背の高い木が陽の光に照らされて、青々と葉を広げている。


 そこは何ら変わりはなかったが───その上を、見慣れないものが飛んでいた。


(なんだ…?)


 鳥にしては大きすぎて、ドラゴンにしては小さすぎた。真っ黒い皮の翼を広げ、風を上手に当てて上下左右に飛び回っている。

 しばらく飛び回っている所を見ると、どうやら帰るつもりはないようだ。何を思ってか、廃村の周囲をぐるぐると旋回している。


(鬱陶しいなぁ…)


 空は自分の縄張りじゃないが、あまりちょろちょろされるのは気持ちいいものじゃない。


(出てけ…!)


 その生き物に向けて、心の中で念じた。魔術とかそんな立派なものじゃない。ただ念じているだけだ。


(どっか行け、失せろ、いなくなれ…!)


 ただいなくなって欲しかっただけだが、日頃の鬱憤のようなものも混じっていたかもしれない。あるいは、自分に向けるべき言葉を、何だかよく分からないあれに向けているだけなのかもしれない。


 しかし。


(えっ)


 驚いたのは、それが空中で軌道を変えた事だ。

 自分の願いが届いて帰ってくれるのか、と一瞬だけ期待したが、次の瞬間その期待は見事に打ち砕かれた。

 それは、真っ直ぐとこちらへ飛んできたのだ。


(ええー…)


 高台の広場へ向かって飛んでくるそれを見上げ、がっかりしている自分がいた。心底面倒な事というのは、こちらが嫌がっても勝手にやってくるものなのだと。


 真っ黒い皮の翼のそれは、広場に優雅に着地をしてみせて快活に声を上げた。


「こーんにちわー。バイコーンのラウルさんいらっしゃいますかー?」


 広げた翼を閉じたのは、人の姿に似た青白い肌の少女だった。


 黒い髪を左右に結わえて垂らし、体にフィットした黒い服を着ているが、あれは服というより下着じゃないかと思ってしまう。陰気な色合いに反して表情は明るく、どこへでも愛嬌を振りまきそうな雰囲気をしている。

 見かけだけで判別は出来ないが、恐らく人間型のサキュバス、というヤツだろう。


(名前を呼ばれたのは久しぶりだなぁ…)


 久々に聞いた自分の名前に、不思議と心が響いた。

 しかし生憎サキュバスに知り合いはおらず、少女が名指しで現れた理由はよく分からなかった。

 だがここで出てこなければ、きっと少女はいつまでも居座ってしまうだろう。観念して、木々の暗がりから体を出した。


「おおー…」


 顔を出したラウルを見上げ、サキュバスが感嘆の吐息を零す。


 ラウルの体長は三メートルはある。他のバイコーンと比べても大柄で、最初に見る者はその風貌に圧倒される、らしい。

 加えて、その藍錆色の毛並みから覗かせるおびただしい数の傷跡は、時に相手を萎縮させるとか。短い毛並みで隠しきれないだけなのだが、胴に残る切り傷、矢傷の跡は、途中で折れた左のねじれ角と相まって、歴戦の戦士のようにも見えるようだ。


 何故かわくわくした表情を見せるサキュバスの少女は、近づいてきたラウルを見上げて訊ねてきた。


「あなたがバイコーンのラウルさん?」

「…そうだよ。見知らぬサキュバスのお嬢さん」

「おお、見かけによらず結構優しそうな声のバイコーンなんだねー。

 初めまして。あたし、リャナ。ラウルさんに会いに来ましたー」


 快活な少女は物怖じする事もなく、ラウルに笑顔を向けてきた。


(あれ…この子…?)


 その笑顔を見下ろし、不意に服役中のある日の事を思い出す。

 監獄塔という物々しい施設で、不釣り合いな笑顔を振りまいた幼いサキュバスの事を。


「キミ見た事あるな………。

 確か、魔王様に飼われてたサキュバスがいたって噂があったような…?」


 少女の、美しい紅色の双眸が瞬いた。どうやら驚いたようだ。


「パパにって言う人、久々に見たなぁ。

 そうだよ。あたしは魔王の義娘リャナ。趣味と実益を兼ねて、色々お手伝いしてるんだ。

 …あたしの事、知ってるの?」

「三年前か、四年前か…一度、魔王様に連れられて監獄塔に来た所を見た事があるよ。

 ボクはあの後すぐに出所したから、キミは覚えてないと思うけど」

「そうだったんだー…ゴメン。あの頃は場所とか覚えるのでいっぱいいっぱいだったからなー」


 照れ恥ずかしそうにリャナは頭を掻いた。


(こんなに大きくなるんだな…)


 この少女の成長ぶりを、ラウルは感慨深い気持ちで見下ろした。


 何でもないここでの暮らしに比べれば、服役の日々の方がまだ刺激に溢れていた。その最後の方で見た年端もいかない少女が、すっかり成長してラウルの前に姿を現すなんて。


(外の世界は、きっとものすごい早さで進んでるんだろうなぁ…)


 自分の周りだけ時の流れが緩やかであるような奇妙な感覚だ。

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