第41話 告解・1~目覚め

 東の寝室は、ひとりで使うにはやや広い。

 昨日まではバンデのベッドや戸棚があったし、姉さんはまだ間取りを見直していないようなので、変に空間が空いてしまっているのが原因だろう。


 家具は少なく、クローゼットと本棚が一台ずつあるだけだ。化粧っけはないようで、化粧品の類は見られない。

 本棚の片隅には、粘土で出来たいびつな置物や花の飾り物が置かれていた。彼女の性格を考えれば、バンデからの贈り物なのかもしれない。


 窓の外の雨は止む気配はない。窓越しに見た空は雲が厚く広がっており、稲妻こそ落ちてはこないが時折ゴロゴロと唸り声を上げている。


「あ、りーふぁ」


 ベッドの側の椅子に座っていたラザーがこちらに気が付いた。椅子の上で楕円状に丸まっていた蔓の使い魔に足が生え、わさわさと歩いて抱きついてきた。


「看病ありがとう、ラザー」

「うん、まっかせてー」


 すり寄ってくるラザーを抱き寄せ、リーファは蔓の一本にキスを落とした。


「ねえ、ラザー。さっきのサークレット、出してくれない?」

「はーい」


 命じられるままラザーは体を動かして、その内側からサークレットを出す。

 銀のアーチには蔓や葉の意匠が施されており、中央には爽やかな空色のターコイズが添えられている。ラザーの体をかき分けて現れたそれは、まるで木の精霊に守られた神聖なもののようにも思えた。


「ありがとう。今から彼女とお話しするから、ラザーは隣の部屋にいてくれる?」

「…おきる?」


 肯定の返事ではなく、ラザーは姉さんの具合をおもんぱかる。感情がなければ出てこない言葉だ。


(ラザーは師匠をずっと看てくれていたから…きっと心配なのね)


 使い魔の不安そうな声音に応えるよう、リーファはサークレットを受け取りながらはっきりと告げた。


「…ええ、勿論よ。いきなりだとびっくりしちゃうから、あとでラザーを紹介させてね」

「うんっ」


 快活に返事をしたラザーは、命じられた通りリビングルームへと移動した。


「あっ、おどり!おどる!」


 扉を開けて早々、謎のテンションで踊り続けているバンデを発見し、ラザーも触発されたのかふたりで仲良く踊りだしたようだ。


 一人と一体の陽気な姿を微笑ましく眺め、リーファは寝室の扉を閉める。


(…さて)


 先程までラザーが座っていたベッド側の木の椅子に腰を下ろし、膝に石板とサークレットを乗せる。

 汎用性を考えれば、言葉に魔力を乗せる必要はない。リーファは彼女に聞こえるよう、解除の言葉を唱えた。


「───フェアゲッセン」


 彼女の耳に届いた言葉に、彼女の体が反応した。今まで全く動かなかった姉さんが、息を吹き返すように顔をびくりと動かし、薄っすらと瞳を開けた。


「う…?」


 ぼんやりしながらも見上げてくる姉さんに、リーファは優しく声をかけた。


「調子はどうですか?姉さん」

「リーファ………あれ?わたし………なんで…?」


 思ったよりも気分は悪くないようで、姉さんはのそりとベッドから体を起こす。

 寝起きを思わせるぼんやりとした表情で彼女は周囲を見回し、自分の居場所を確認しているようだ。


 頭がはっきりするまで待っても良かったが、山積した問題は早めに片づけて行きたい。艶めかしく吐息を零している姉さんに、リーファは石板を差し出した。


「この石板を持った人達が来たんです。…これで、眠らされていたんですよ」


 自分の膝の上に置かれた大理石の石板を覗き込み、姉さんは不思議そうに小首を傾げた。


「…なあに、これ?」


 さすがにその反応は想定しておらず、リーファは肩をがっくり落とした。寝ぼけているようにも思えたが、手に取ってまじまじと石板を眺めている彼女からは色好いろよい返事は返って来ない。


(ま、まさか、勝手に契約させられたの…?)


 契約系の魔術は、基本的に条件に応じる形で魔術が成立するように出来ている。課される制約と、報酬と呼べる恩恵を理解した上で契約が締結されないと、魔術としては成立しない。


 しかしそれは、あくまで基本的な形だ。姉さんが諸手を挙げてあの厄介な条件を呑むとは考えにくいし、変則的な契約が結ばれたのかもしれない。


「…え、ええっと。だ、誰かと、契約を結びませんでしたか?

 ”道の数”がたくさん増えるような契約を」

「………あ」


 思い当たるものがあったのだろう。姉さんの顔色がどんどん悪くなって行き、石板を持つ手が震え始めている。


「…石板の事、思い出しました?」


 リーファの問いかけに、彼女は石板を膝へ下ろし、目を伏して首を横に振った。


「…石板は、分からないの…。

 わたしはただ、ゲラーシー様にもっと優れた魔術師になりたいって望んだだけ…」


 そして姉さんは、左手首に巻いていたブレスレットを目の前に掲げてみせた。

 黄色い宝石と、緑色と黄緑色の組紐を合わせたもので、着飾るにしては随分地味なものだ。


「わたしは、このブレスレットが補助具だと聞いていたのだけど…違っていたのね。

 ゲラーシー様と離れると作用しなくなると言われていたから、今も普通に魔術が使えてて、おかしいとは思ったのだけど…」

「恐らく、ダミーだったんでしょうね。

 …酷いものだったんですよ。本物の契約は」


 リーファは石板に手を伸ばし、魔力を注いで彼女の目の前にソースコードを展開した。


 彼女は顔を上げ、時間をかけて紫の光文字を追っていく。フェミプス語を読む機会が多かったのだろうか。リーファよりもずっと早く、契約の詳細を目に焼き付けて行く。

 やがて、姉さんの体が震え始めた。かちかちと歯を鳴らし、怯えを紛らわそうと腕を強く抱き寄せた。


「こうなって、いたのね…。

 でもわたしは、ここまでしなければ、国に仕える事が出来なかったのよ…」


 彼女は悲しそうにそう呟き、ソースコードから視線を落とした。

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