第40話 ”はずれ魔女”の力の正体・2
「リーファー!」
「!」
思考を現実に引き戻され、リーファは西の部屋から出てきたバンデに顔を向けた。
「辞書、持ってきたぞー」
陽気にカツカツ音を立ててテーブルまでやってきた少年は、リーファの顔を見て怪訝な顔をした。
「どうした?顔真っ青だぞ」
「ん、う、うん。何でもない。それより、意味を調べてくれない?」
「おう、まかせとけ!」
どこか得意げに隣の椅子に座ったバンデは、テーブルに辞書を置いて調べ始めた。
その間リーファは静かに深呼吸を繰り返し、揺らいだ感情を正していく。
(姉さんが起きたら、この石板の解約を打診しないと…)
アリル達がどういう事情でこの石板を手に入れたかは分からないが、このまま残しておくのはあまりに危険だ。
「うーん。”フェアゲッセン”だと頭は”V”だったっけな…。
───ああ、あった。”忘却”、だな」
「…忘却………忘れるって事ね。なるほど…」
再び魔力を注ぎ、ソースコードを確認する。
真名を呼ばれてから命じられた全てを忘れるよう、この”忘却”の単語が使われているのかもしれない。
バンデの辞書引きは早く、もう次の単語を探し当てている。
「上に書いてある”シュティーア”ってのは”牛”だなっ」
何となく女性らしいと思っていた語感のイメージに対して、あまりにも落差が激しい意味だ。
リーファは思わず聞き返した。
「牛?牛って…あの牛?」
「おう、あのモーってなく牛だな」
「ええ…」
名付けた人物を心底軽蔑したが、よく考えればこんな外道な契約を成した人物だ。名付けが相当酷くても不思議ではない。
(というか、これはもしかして…)
一つの推測が脳裏によぎる。
この推測が正しければ、これ以上調べるのは野暮というものだったが、どうやらバンデは最後の単語を見つけてしまったようだ。
「で、”ブルスト”はー………おっほぅ」
変な声を上げて興奮しているバンデを見て嫌な予感はしたが、一応聞いてみる。
「今度は何?」
「聞いておどろいていいぞ!”おっぱい”だ!」
頬を赤らめ目をキラキラさせて言うものだから、何となく分かったのが悲しい。
リーファは念のため、辞書を覗き込んだ。
「…本当、に?」
「本当だって。ほら、ここ」
バンデが指している項目を見やると、やはり”ブルスト”という言葉には、胸や乳房という意味が含まれていた。
呆れ返っているリーファを
「”シュティーア”と”ブルスト”で…牛のおっぱい………そうか、ウシチチか!!」
今まで姉さんに対してバンデが呼びかけ続けていた”ウシチチ”という言葉は、何の事はない、この契約板に書かれていた真名と同じ意味だったようだ。
意味が同じなだけで真名として刻まれた名前ではないのだから、認識阻害の影響は受けない。
しかし真名に繋がる名前として、姉さんはどこかで引っかかっていたのだろう。
真実を知って興奮していたバンデも、そのあんまりな意味を前に冷静さを取り戻して行ったようだ。
「…これもしかして名前か?ひっでえ名前だな」
「散々姉さんをそう呼んでたあなたが、それ言っちゃうのはどうなのかなあ…?
でも、これでその名前には反応していた理由は分かったわね…」
「そうなのか?」
「まあ…普通にウシチチ、って言われるのは嫌だけどね…」
調べたい事が大体分かり、石板に注いでいた魔力を止めた。ソースコードが消えて行く。
バンデが辞書を閉じ、リーファに訊ねてきた。
「それで、あいつ目ぇ覚ましそうか?」
「ええ。多分、この石板の力で眠らされたんでしょう。連れ出しやすくしたのかもね」
「…そういや、ウシチチが黄色い髪のにーちゃんに『寝てろ!』って言われてたなぁ。あのにーちゃん、すげえビビってたっけ」
(そういえば、『しなだれかかってきた』とか聞こえてきてたわね…。
正しく命令が与えられなかったから、要求しようとしていたのかな…)
石板を見下ろし、ふと考える。
ソースコードには、服従の流れも明確に記されていた。
まず、名前が呼ばれる事で意識の喪失が発生し、命じる事で服従の行動をとるようなのだ。
要は『シュティーア=ブルスト、ついてこい』と命じない限り、姉さんが命令者についていく事はない。
この石板の使い方を知っていれば、姉さんを
しかしあの挙動を見るに、この石板の使い方を理解していなかったのではないか、と思うのだ。
リーファは椅子から腰を上げ、座って足をぶらつかせているバンデに声をかけた。
「…バンデ」
「おう」
「これから姉さんを起こしに行くけれど…。
もしかしたら、姉さんも話すのが辛くなるような、昔の話を聞く事になるかもしれない。
…一緒に聞く?それとも、ここで待ってる?」
「…んー」
腕を組んで考えているバンデを見下ろし、難しい質問だっただろうかと、リーファは少しだけ後悔する。しかし、他に言葉が見つからなかった。
姉さんが目覚めた時、この石板の事を話さなければならない。自然と、過去の話になるだろう。
今は自分の事で頭がいっぱいになっているバンデに、姉さんの込み入った事情を与えて混乱しないだろうか、と考えてしまったのだ。
手持ち無沙汰に窓を見やれば、日暮れの時間はまだ早いのに空が少しずつ暗くなって行く。風こそ強くはないが、家を打ち付ける雨音が耳に障るようになる。
「…おれ、待ってるよ」
バンデの回答にハッとして、リーファは少年を見下ろした。
「おれもさ、ウシチチにまだ昔の事言えてねーしさ。おれだけ先に、あいつの話聞くのも不公平だろ?
代わりに、『言いたくなった時に言え』って言っといてくれねーか?」
真っ直ぐにリーファを見上げるバンデの瞳に、迷いのようなものはない。好奇心が勝るかと思ったが、彼は彼なりに冷静に考えていたようだ。
『でしょ?だから、そこは話してくれるまで待ってみようかなって』
町の居住区でバンデを探してみようかと訊ねた時、姉さんから返って来た言葉を思い出す。
その後、バンデの町での日々を知りたくて仕方がない事を姉さんが白状してしまい、色々台無しにはなったが。
(似た者同士ね)
リーファの口元に思わず笑みが零れた。
「…いい男になったわね。私が姉さんだったら、惚れちゃうかも」
「おれに~ほれると~ヤケドするぜぇ~」
照れ隠しなのか調子づいているのか。バンデは椅子の上に飛び乗って、陽気な歌と共に腰を振って踊り出した。
「ふふ、はいはい。じゃあ、ここで待っててね」
リーファは椅子の上で器用に跳ねている年頃の少年の頭をぺちぺちと叩き、石板を手に東の寝室へと入って行った。
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