第39話 ”はずれ魔女”の力の正体・1
降り始めた雨を鬱々と眺めながら、リーファは溜息を吐いた。帰る時に、ラッフレナンドが雨ではなければいいな、とつい思ってしまう。
今日帰れるか、それすらも危うくなってしまっているが。
姉さんは、未だ目を覚ましていない。
バンデの傷を治し、ディマスとアリルを応接室へ運び込み、ラザーを家へ招き、洗濯物も片付けた。
姉さんは東の寝室に寝かせ、ラザーについてもらっている。
ただの気絶であればその作業中にでも起きてくると思ったのだが、彼女は寝返りはおろか寝言も発さないのだ。
恐らくアリル達が姉さんに何かをしたのだと考え、今リーファはアリル達の荷物を探っている。
「あんな柄が悪いのでも、国家魔術師になれるのね………人が足りないのかなー…」
アリルの身分証明書を見て、リーファは苦笑した。
本名はアリエル=バルレートというらしい。女性の名前にも使われる”アリエル”という名を嫌って、”アリル”と呼ばせているのが容易に想像出来た。
彼は、”クライノート”と言う国立魔術研究機構に所属している国家魔術師だった。
(国家魔術師か…)
その肩書きに、リーファはほんの少しだけ渋い顔をした。
ラッフレナンドで行われた魔術システムのお披露目の際、エルヴァイテルトからも有識者を招いていたのだ。その中には、国家特級魔術師という肩書きを持つ人物もいて、国の研究機構に所属していると言う話も教えてもらっていた。
(アリル達の話………時間稼ぎの作り話だと思ってたけど…。
もしかしてこれって、国の仕事の邪魔をした事に、なる、の、かな…?)
思い至った仮説に、冷や汗がダラダラと流れてくる。
「リーファ!これ、何か分かるか?」
少年の声で、不安の渦に呑まれかけていたリーファは我に返った。
隣を見やれば、ディマスの荷物を漁っていたバンデが、興奮しながら一枚の石板を出している。
大きさは成人男性の手のひらよりもふた回り程大きいだろうか。ずっしりと重い白い大理石の板には、黒く文字が書かれているようだが、ラッフレナンドの公用語とは違うようだ。上の方に赤い宝石がはめ込まれ、淡く煌めいている。
「…魔術の術具みたいね。
文字は読めないけど…ここと、ここだけ、字が違うみたい」
そう言いながら、リーファは板の上部の長い文字と、真ん中の単語を示した。
バンデが改めて覗き込み、何かに気が付いたようだ。
「あ、おれ知ってる。町の古い建物にも書いてあるんだ。ここらの古代文字だ」
「読める?」
「上のは………”シュティーア”と………”ブル、スト”、だな。
下のは………”フェア、ゲッセン”………って書いてある」
言葉が耳に入ってきても、リーファにはピンとこなかった。だが、他の文章と違う文字を使っているのであれば、これはキーワードのようなものではないかと考えた。
「意味は分かる?」
「意味かー、どっかに辞書あったと思ったんだけどなー。ちょっと探してくるぜ」
「よろしく。…あ、骨繋がったばかりなんだから、無理しないでね?」
「おう!」
ディマスによって足の骨が折られていたというのに元気なものだ。バンデはカッツカッツと音を立て、意気揚々と西の寝室へと走って行った。
(…さて)
バンデを見送って、改めてリーファは石板を見下ろした。
石板は、石板と赤い宝石に貯めこまれた魔力を使って、今も尚魔術を発動し続けているように見える。
ディマスが言っていた”手がかり”がこれなら、眠り続けている姉さんに繋がっている可能性はある。
(魔術言語は最終的にはフェミプス語に翻訳され、魔術として発動する。
なら、フェミプス語から読み解けば…)
リーファは石板に手をかざし、魔力を流し込んだ。フェミプス語のソースコードを表示させていく。
石板よりも何倍もの広さに表示された紫色の光文字は、それがどんな効果をもたらすのか教えてくれる。
ざっと見た限り、制約を受ける代わりに恩恵を授かる事が出来る契約魔術のようだ。
しかし。
「なに、これ」
その酷い内容に、リーファの血の気が引いた。
───あなたの名前は破棄され、新たに”シュティーア=ブルスト”という真名を授けます。
あなたは、真名を呼ぶ者に必ず服従しなければなりません。
あなたは、服従している間の記憶は保有出来ません。
あなたは、真名を含めた自分を示す名前を認識出来ません。
あなたは服従している時、”フェアゲッセン”という言葉で服従の状態から解放されます。
あなたは魔術を使用した際に、あなたの居場所をこの石板に知らせる事が出来ます。
これらの制約が有効である場合に限り、あなたには以下の恩恵が授けられます。
あなたは、魔力の”道の数”が二十倍に増加します。───
石板を途中まで読んで、添えた手が震えている。
恐怖か、怒りか、悲しみか。感情がごちゃまぜになって目眩がした。考えが定まらない。
魔術師を志す者にとって、自分の素質が魔術師に向いているかどうかはとても重要だ。不足があれば補いたいと思うのが普通だろう。
でも、これは。
(…絶対、服従の…制約…!)
そう。これは、真名を知る者に絶対の服従を誓う、契約魔術だった。
「こんな…こんなの…っ!
奴隷になれって言ってるようなもんじゃない…!」
石板に注ぐ魔力が途切れ、現れていたソースコードが霧散した。
今なら、彼女が自分の事を『落ちこぼれ』と言っていた理由が分かる。
恐らく姉さんは、生まれつき魔力を通す”道の数”が極端に少なかったのだろう。
その為に才能なしと見限られ、魔術学校に入る事が出来なかった。
でも、諦めきれなかった。
姉さんは、ラッフレナンドに隠れ住んでいたターフェアイトに弟子入りしたのだ。
ターフェアイトも、彼女の素質は理解していただろう。それでも彼女の力になるべく、可能な限り魔術の基礎は覚えさせたはずだ。
だが結果的に彼女は、こんな邪法に手を伸ばす程に追い詰められたのだ。
(この契約魔術は、服従している間の記憶は残らないように出来てる…。
理性も倫理もない、従順な化け物にだって仕立てる事が出来る。
姉さんの意識がない間に、どんな事をさせられていたか───)
その先の事を、リーファはあえて考えないようにした。
この契約魔術を持ちかけた者がどんな人物かは分からないが、どう考えてもロクな使われ方はしていないだろう。
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