第29話 師の我が儘、弟子の我が儘・1

 喉の通りが良くなるよう、水を入れたコップを差し出したが、ターフェアイトは一口二口含んだだけで飲むのを止めてしまった。もう食事もままならない程衰弱しているのだろう。


「ちゃんとカールさんにお別れの挨拶はしてきた?」

「あんたが代わりに、渡すのを渋るから………仕方…なくね。

 ついでに、あっついキッスも、してやったさ………ひっ、ひっ、ひ」

「えっ」


 とんでもない事を口にする師に、リーファは絶句した。


 確かに、カールへの贈り物を預かるのを渋っていたのは確かだ。渡したいならターフェアイトが渡せばいいし、仮にリーファが渡した場合、カールにターフェアイトの事情を話すには時間が無さすぎた。


「そ、そこまでしろって言ってないのに………かわいそうな事を」


 魂の姿は艶めいた妙齢の美女だったが、外見はこの有様だ。厳密に言えば、この老女すらもターフェアイトの肉体ではない。

 普通の人間ならとうに塵と化しているような年齢のターフェアイトのキスを受けてしまったカールに、リーファは心底同情した。


 そんなふたりの会話を聞いて、ラザーがリーファに訊ねてきた。


「…りーふぁ。かーる、ってだぁれ?」


 ラザーからすれば、全く知らない人間だ。リーファはどう説明しようか少し考えて、当たり障りがないよう答える。


「ターフェ師匠の最後の弟子よ。すごい人なんだから」

「…りーふぁよりも?」

「私なんか比べ物にならないよ」

「…そいつきらい」

「なんで!?」


 何故か声を低くして機嫌悪く絡みついてくるラザーに、リーファは思わず突っ込みを入れてしまった。


「ひゃっ、ひゃっ、ひゃ。

 そりゃ…自分の主人より…強いヤツは、使い魔は…嫌だろうよ…」


 本来、使い魔に感情と言うものはないはずなのだが、活動期間が長くなるにつれて似た機能が働く事はあると聞く。ラザーの言動は、そうした力によるものなのかもしれない。


「な、なるほど…そういうものかぁ…。

 ───だ、大丈夫。私だって負けてないんだから、ね?」

「…ん」


 ラザーの頭頂を撫でてやると、それで少しは機嫌が良くなったようだ。子供のように、リーファにより一層くっついてきた。


 そんな光景を眺め、ターフェアイトはにやにや笑う。うっすら覗けた口中の歯はぼろぼろだ。

 すっかりくたびれてしまった師匠の姿を見て、リーファは表情を殺して訊ねた。


「…なんで」

「うん?」

「なんで、転生をやめる気になったの…?」


 リーファの責めるような問いかけに、ターフェアイトの笑みが消える。


 ターフェアイトが使う転生魔術は、生きている他人の肉体に乗り移り魂を取り込んでしまう邪法だ。言うまでもなく、魂を回収するグリムリーパーから見ても喜ばしくない力だ。


 ターフェアイトは死にかけの身ではあるが、それは今の肉体での話だ。新たな肉体を調達すれば、彼女は再び新たな肉体で生きていけるはずだったのだ。

 城の結界とシステムの再構築などという、大事業をそうなどと考えなければ。


「今までたくさんの肉体を渡り歩いて、時には無理矢理奪ってまで生きながらえておいて………一仕事終えたら、はいさよなら、ってどういう事?

 城の結界を張りなおす事が、何百年も生き続けてきた理由だったの?」


 ターフェアイトは、なじるリーファから視線を逸らし、不揃いな木の板が並んだ天井を仰いだ。


「そうだね………。

 あの城は、アタシらの誇り………そう、言えたかも…しれないね」

「もうあの頃の魔術師達の王はいないのに?」

「あいつらは、知らないけど。

 アタシゃ、カロ=カーミス…なんざ、どうでもよかった」


 喉も痛いだろうに、ターフェアイトは喋るのを止めない。最後と言わんばかりに、彼女は掠れた声を張る。


「あいつは、頭は良かったが………高飛車で、傲慢、だった。

 他人の話なんざ、聞きやしない。下手に怒らせて…カエルになった、ヤツなんて…星の数だ。

 しかし………ああいうのが、魔術師の、本質…なんだろう。あれに、惹かれるやつらの…多いこと。

 ラリマーなんて…宝石に、変えられて………道具にされかけた、ってのに………よく、あんな場所に残ったもんだ…」


 三百年も前の昔話だ。それがまるで昨日の事かのように、憧憬を織り交ぜた感情がターフェアイトの口から紡がれる。


「だが………あの城の結界を、張る話が……湧いた時、アタシは、人柱の法を試したくて………うずうずしてた。

 …好奇心には………勝てなかったねえ…。

 どれほど長く持つのか………どれほどの、人柱があれば…効果があるのか………。ソースコードは、どれだけ書けば、穴なく防げるのか………そんな事ばかり、考えた…。

 結局アタシも…カロ=カーミスと、同じだったって、わけさ」


 年寄りの長話はまだまだ続く。ユークレースといい、古い時代の魔術師は見た目に関わらず気丈だ。


「…だが…それは皆、同じ事だった…。

 …サフィリンが、人柱の志願して………ジェットが、続いた。

 ルチルは…嫌だった、みたいだけど…。ユークレースに、結局…説得されちゃったねえ………。

『君と最後まで、この城に、在りたい』………だってさ。プロポーズにしちゃあ…これほどひどいものは、ない」


 ひゃ、ひゃ、ひゃ、と胸を痙攣させて、ターフェアイトははつらつと笑った。


「…じゃあ、贖罪の為に生きていた…と?」

「そんな、大層なもんじゃない………ただの、わがままさ…。

 単に、責任者として、同僚として…あいつらの、最後は…見届けて、おきたかっただけ………。

 …もう、ちょっと…早く、行きたかったんだけど…ねえ。革命直後は…魔女狩りも…酷くて、ね………満足に、出歩けなかった…。

 子供たちに…任せてみたんだけど、さ…。二人、連中に……気取られ、殺されて…諦めたっけ………。

 当時の結界は…とても、強力でねえ。魔物はおろか…魂の出入りさえ…ままならなかった。

 ………自分で、作って…おきながら、自分でも、太刀打ち、できない…モン、作っちまって………。あの時は……後悔しきり…だった、ねえ………」


 長く喋り続け、さすがのターフェアイトも疲れたらしい。はあ、と長い吐息を漏らした。

 わずかに顔を傾け、リーファ達を見上げる。


「でも、もう………これで、思い、残す事は、ないね…。

 あいつらも…見送った………結界も…張り、なおした…。

 あた、アタシが、作った…さ、最高、傑作の、結界だ………ちゃんと、維持、しといて…くれよ…?

 …ああ、ここに、あるものと…城に、残したものは…好きに、使っとくれ。

 あと………ええと………まあ、いいや」


 しわくちゃな頬が、ほんの少しだけ紅潮したような気がした。何だか恥ずかしそうに笑うターフェアイトを見下ろし、リーファは呆れたように微笑む。


「なによ、もう」

「………あり、がとう。来てくれ、て」


 師匠の口の端から出たとは思えない心からの感謝に、リーファは目を丸くした。


 ターフェアイトの目尻からは、最後の一滴が滴り落ちる。


 自分が死ぬ訳でもないのに、リーファの脳裏に色んな思い出が蘇ってくるようだ。

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