第28話 老女は洞で目を覚ます

 ラッフレナンド国内は、東方面は人の行き来が多いが、西方面は土地が開拓されおらずに荒れ地が広がっている。


 そんな荒れ地ばかりの、ラッフレナンドの南西。

 西の国エルヴァイテルトとの国境にある、名も無き断崖を利用した洞窟が、グリムリーパーのリーファの目的地だ。

 鬱蒼と生い茂る森に隠れた断崖を見分ける事は難しいが、幸い二年前とそう地形は変わっていないようだ。


 岩肌が連なる崖の中で、一ヶ所だけアサガオの花が茂っている箇所がある。範囲はそこそこ広く、城の食堂の側面位なら丸々覆える程だ。岩肌が見えない程に植物がひしめいて、ある種異様な雰囲気を漂わせている。


 空から観察していたリーファは降り立ち、恐る恐るに話しかけた。


「…ラザー?」


 風が吹いた訳でもないのに、アサガオの塊が全体的にごそっと揺れる。ざわざわと葉擦れの音がしばらく響くと、どこからともなく子供のような舌足らずな声が聞こえてきた。


「りー、ふぁ?」


 思った通り、このアサガオの塊はリーファの使い魔のラザーのようだ。喋り方はあの頃と何も変わっておらず、思わず笑顔が零れた。


「ああ、久しぶり。ラザー。本当に擬態が上手になったのね」

「りーふぁ…りーふぁ…!」


 興奮した様子でリーファの名を呼ぶアサガオの使い魔は、全体をわさわさと動き出しその身を縮めていく。やがて姿は、リーファの身の丈程の女性の人型に凝縮される。


(大きく育ててくれたのね…)


 しみじみと、リーファは自分の使い魔を見つめる。

 リーファが二年前にここを出た時、ラザーの擬態は洞窟の入口をギリギリ覆える程度だったし、人型の姿も腰ほどの高さまでしかなかった。


 ラザーはアサガオの蔓を媒体にしているから、気候によってある程度形態が変化する。

 使い魔になった事で枯死はしなくなったが、状態を維持する為に冬場は葉の一部を枯らし小さくなって過ごす。勿論環境が厳しくなれば、腐り枯れて使い魔の役目を終えてしまう事だってある。


 ここまで立派に育ったのは、ターフェアイトがちゃんと手入れをしてくれていた証拠と言えるだろう。口は悪いが、何だかんだ面倒見は良い師匠だ。


 あまり強く抱き締めると葉を傷めてしまうから、出来るだけ優しくラザーを抱き寄せた。ラザーが放つ葉の香りも何もかもが懐かしい。

 ラザーは幼子のようにリーファにすり寄ると、困ったような声音でリーファに言う。


「りーふぁ、あのね。たーふぇ、げんきない」

「もうおばあちゃんだからね。仕方がないよ」


 ちら、と断崖の方を見やると、ラザーが纏わりついていた所の一角に人が出入り出来る程度の入口が見える。

 ラザーから離れ、リーファはあやすようにお願いした。


「ラザーも行こう。灯りはあるけど、ラザーなら頑張れるよね?」

「うん、がんばる」


 素直にうなずいたラザーの頭部分を撫でて、リーファは洞窟の入口へと足を踏み入れた。


 ◇◇◇


 洞窟の中には幾つもの小部屋がある。空の大鍋が置かれた作業場、今もなお状態を維持し続けている保管庫、手入れがされず植物が枯れてしまった育成場、様々だ。


 あちらこちらに灯っている魔力灯の光はとても心許ない。もっとも、これからの事を思えばもう必要がないのかもしれないが。

 記憶を頼りに、リーファは一番奥の部屋の扉を開けた。


「”灯れ”」


 握り拳程度の魔力の灯りを作り、天井に貼り付ける。部屋の中が光の下に晒される。

 部屋の中は雑多としていたが、比較的整理は行き届いているように見えた。


 いつ飲んだかも分からない空のコップ。壁に取り付けられた棚には大小様々な瓶が並んでいる。直前まで読んでいたのか、ベッド側のキャビネットに本が積み上げられていた。


 そして、ベッドを見下ろす。

 年の頃は八十歳代か九十歳代、という所か。一人の老女が仰向けで眠っている。


 顔はしわくちゃでやつれており、毛布から出た手も随分痩せ細っている。寝ている為分かりにくいが、背も幾分か縮んでしまったようだ。しっかり手入れをしていただろう美しい髪も、真っ白で地肌が見える程に薄くなってしまった。


 ベッドを覆うように琥珀色の光の膜が広がっていて、老女を包んでいる。床に置かれた宝石を動力にした状態維持の魔術だ。


 それが唐突に、ふ、と爆ぜて消え失せる。

 それから程なく、老女は重々しくしわだらけの瞼を開けた。濁った青紫色の目が、リーファを見上げてくる。


「おかえりなさい、

「おかえり、たーふぇ」

「ああ…待たせた、ねえ…」


 リーファとラザーで声をかけると、老女ターフェアイトは、久々に使った声帯でしわがれた声を上げた。


 ◇◇◇


 肉体から切り離された魂は、殆どの者が無力となるが、中には例外も存在する。

 膨大な魔力を有している者は、その魔力で魂を包む事で”魂の実体化”が可能となる。実体化が出来るようになると、生前と変わらぬ活動をする事が可能なのだ。


 リーファの父エセルバートは、こういう事がせる者を『グリムリーパーもどき』と呼んでいた。


 実際、”魂の実体化”がせるターフェアイトは、リーファの魂回収の影響を受けなかったし、他者の魂を取り込み生きながらえる在り方は、サイスや宝珠を持っていないだけでグリムリーパーとさほど変わらないような気がした。


 好きな姿に実体化出来たり、障害物を無視出来るなど、魂や亡霊の特性を持ち合わせているが、デメリットが存在しない訳ではない。

 そもそも、誰もがせるものではないのだが、この実体化は当人の魔力を急速に蝕んで行ってしまうのだ。


 魔力が無くなってしまえば、当然自身の魂を包む事も出来なくなってしまい、只の魂に成り果てる。

 そうなってしまうと、元の肉体に戻る事も出来なくなってしまうのだ。


 一ヶ月もの期間を実体化し続けるという行為は、ターフェアイトであっても命の危険を考えただろう。

 それだけの覚悟を抱え、彼女はラッフレナンド城へ訪れたのだ。

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