第12話 兵の懸念を夢魔が射貫く・2

 ───が。


 少女はおもむろに人懐っこそうな笑みを浮かべ、オスモに問いかけた。


「…お兄さん、いい人ね。もしかして故郷に妹さんとかいる人?」

「なっ…!?」


 あり得ない反応をする少女に驚愕し、オスモは体を起こして一歩後退した。


(馬鹿な………術が、弾かれた…!?)


 ただならぬ事態に指先が震えた。瞬時に、触れてはいけないものなのだと悟った。


 この”要望”の魔術は、確かに強制力はないのだ。だが代わりに術自体の成功率は高く出来ている。

 達成が難しい”強制”ならばともかく、『仲良くして下さい』という他愛ない”要望”が無かった事にされるなど、そうそうあって欲しくはない。


 この少女は魔術師だ。それも、精神系の魔術の心得のある。数少ない情報の中から、それだけは断言出来た。


 驚きと警戒と恐怖でオスモはもう一歩下がる。腰に下げている細身の剣に手を伸ばす。


「もう、せっかちなんだから」


 妙齢の女性の誘い文句のような、しっとりとした声音につられて少女を見やり───そこで、それが一番やってはいけない事だと気付いた。

 抱き着くかという程に接近してきた少女の、力強い紅い瞳。どこまでも見通すような双眸に、目が離せなくなる。


(なんだっ………これは………っ?!)


 剣の柄に触れる事は出来たが、握りしめる力が足りない。鞘に添えた左手もだ。最悪鞘を傾ければ剣を滑り落とす事ぐらいは出来そうだが、幾ら力を込めても腕が上がらない。


(そうだ………確か、この先は)


 窮地に立たされて、冷静さを取り戻す事だってある。


 オスモの背後、北側の直線の廊下には宝物庫があり、施錠の有無に関係なく衛兵が二人常駐している。目と鼻の先だ。少女とオスモが異常な行動をしていればすぐに気が付いてくれるはずだ。

 少女から目は離せないが声は出るだろうか。口を開いて叫ぼうとしたその時、


「あ、声出してもムダだよ。

 さっきかけた香水ね。吹きかけた場所の周りの声や音を、その外に届かなくさせる効果があるんだ。

 …本当は、別の理由で持ってきたヤツなんだけどさ。お兄さん、なんかあやしい動きしてるんだもん。

 かよわい女の子としては、ホラ、変なコトされても嫌だし、自分の身は自分で守っていきたいじゃん?」


 警戒を滲ませた物言いだが、彼女は頬を染めてもじもじと嬉しそうにしている。


 宝物庫はオスモの背中の向こうだ。少女の姿は棒立ちのまま動けないオスモに隠れて見えない。声も届かないのであれば異変にも気づかれないだろう。


 少女はたしなめるように、歯噛みしているオスモの顎先に人差し指を当てて来た。


「あのね。こういうの、よくないんだよ?

 わざわざ『探っちゃダメだよ』ってアピールしてたのに、そこをムシして”要望”飛ばしてくるなんてさ。

 あたしが自動迎撃の術展開してたら、お兄さん今そこに立ってないよ?」


(内容まで把握しているのか…!)


 次々と新事実を突きつけられ、数分前の自分を殴りたくなった。

 少々怪しいがただのあどけない少女だと思っていたら、何か仕掛けられると感じて香水を撒かれ、精神魔術を弾かれ、その正体も見破られ、挙句の果てに拘束すらしてみせた。

 中途半端に魔術を習得していたオスモなどよりも数段は上手だ。魔術師嫌いの国だと思っていたが、この幼さでこんな化け物がいるのかと戦慄した。


「何故、こんな事を…?!」

「え。だって、こんな話誰にも聞かせらんないじゃん。

 この国魔術師嫌いなんでしょ?お城見てるとそんな感じしないけどさー。

 とにかく、多分こんなとこで魔術使うだけでも目くじら立てられちゃうんじゃないのって思ったの。

 でもお兄さんは、ヤバいかもって思ってもあたしに”要望”かけてきたワケじゃん。

 リーファさんのため?自分のためってのもあるのかな?

 でも、あたしとしてはふっかけられたケンカは買わないとって思うの。

 お兄さんがなぐるつもりなら、あたしもなぐりに行かないと失礼でしょ?

 一方的になぐられるとかシュミじゃないし。なぐるのは好きだけど。

 相手がすっ転んでるとこふみつけるのとかはまあ───ええっと、何の話してたんだっけ??」


 長々喋って要点がずれて行ってしまった少女を見下ろし、口をへの字に歪めて答えた。


「…要は、『売られた喧嘩は買うけど、ここで暴れるとまずいから牽制に留めたい』と…?」

「そうそう、そんな感じ。一応あたしなりに、誠意は見せたつもりなんだけどなー」


 そう言って、少女は可愛らしくもどこか妖しく小首を傾げた。


(…完敗だ)


 オスモは大きく溜息を吐いて肩の力を抜いた。


 魔術で勝てようはずもなく、下手に目を合わせれば身動きが取れなくなる。

 恐らく集団で襲い掛かればどうとでもなるやもしれないが、この少女のふてぶてしさを見るに、奥の手の一つや二つ隠し持っているだろう。


 第一、彼女は王陛下の客人だ。恐らく正体についても知っているだろう。ならば、これ以上少女と睨み合っていても何にもならない。


「…ここの連中なら、精神系魔術程度なら誰も気付かんよ。

 オレもそれで城入りしたクチだからね」


 紅い双眸がぱちりと瞬くと、動かなくなっていた指先がぴくりと震えた。やはり視線を媒介に発動する魔術のようだ。


「おや、意外と黒い人?スパイ的な?」

「ただのならず者さ。まあ好きに想像するといい。

 ───密かに術を為そうとした事を詫びよう。悪かった」

「…うん。まあいいでしょ」


 大人の女のように分かったような顔をして、少女が一歩引き下がった。瞳を深く瞑った途端、オスモの拘束が一気に解かれる。


「っ!」


 思ったよりも前のめりに意識が向いていたようだった。前方にふらつくも、足を踏みしめ何とか倒れずに済ませる。

 僅かな時間にしてしまった醜態にどこまでも恥じ入るばかりだ。頬に伝う汗を拭い呼吸を正し、気を取り直してオスモは訊ねた。


「しかし聞いておきたい。そちらは、ここを害するつもりは?」

「ないよ。あたしはただ、商売ついでに友だちのリーファさんに会いにきてるだけなんだから。

 あたしがきて、リーファさんが困るんだったらもうこないし。

 ───あ、でも、リーファさんは困らなくても、この国が困る事はあるかも。

 そこの保障はできない、かな?」


 その回答は、オスモの中では満点に近い答え方だった。

 来る理由も、来なくなる条件も、意図はなくとも結果的に問題を起こしてしまう可能性も示している。ただ『ない』とだけ言われるよりはずっと信用が出来た。


「…なるほど。それを聞ければ十分だ」


 オスモは鉄靴のつま先を執務室の方へと向けた。扉の前に立ち、右手を胸元まで上げる。

 自分を見上げていた少女は、思う事があったのだろう。ぼそりと零してきた。


「お兄さん才能あるんだし、もうちょっと魔術の勉強したら?」

「あまりに突飛な才能は、ここでは疎まれるのだよ。

 穏やかに生きて行くなら、目立たないのが利口さ」


 扉の先には届かぬ小さな声で、オスモは不敵に笑ってみせた。

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