第10話 井戸端会議におたまが飛んで・2

「ごにょごにょごにょ………ごにょ、ごにょごにょ…ごにょ………ごにょごにょごにょ」


 食堂内が賑やかな中、ノアの答えを聞いてテオの表情が険しくなっていく。

 そして、何故か目眩を起こしたかのようにふらつきながら、テオはノアから距離を置いた。


「ば、馬鹿な…!?」

「ほーら、言ったでしょ?オレの見立てではきっとコウノトリあたりが」

「完璧だ」

「は?」


 唇を震わせ、信じられないものを見るような目でノアを凝視し、テオが断言した。


「完璧に、熟知、している…!」

「はああ!?」


 不満顔のノアを見つめたじろいでいるテオにショックを受け、アハトはふたりを交互に見つめる。


「いやちょっと、嘘でしょ先輩!?だってノアですよ?

 一部のメイドさんに、”奇跡のショタっ子””天使の童貞声””筆おろしを手伝ってあげたい兵士ナンバーワン”とか言われてるノアですよ???

 ノアが、女のアレがソレとか、男のソコがドウとか、分かってるはずないですって」

「何かすっごく馬鹿にされてる?!っていうかそんな事言われてるの僕?!」


 童顔の自覚はあったがそこまで言われるとは思ってもなく、ノアもたまらず突っ込んだ。

 一体誰がそんな事を、と考えている間もなく、何の意地なのかアハトがノアに詰め寄った。


「よ、よし、じゃあオレにも聞かせろ!オレ自身が判断してやる!!!」

「お、おう?」


 その謎の気迫に圧され、耳を傾けるアハトにもテオに言った内容を囁いた。


「こにょこにょ、こにょこにょこにょこにょ」

「え?ちょ。は?」


 難しい事を言ったかなと思ったので、言い方をちょっと変えてみる。


「こにょ…こにょこにょ」

「まって。何でそんなの…」


 説明が必要らしいので、より詳しく分かりやすく話を続ける。


「こにょこにょこにょこにょこにょ…」

「………………………………」


 大きく目を見開き、狼狽した様子でアハトが後ずさりした。


「あ、アハト?」


 恐る恐るテオが声をかけるが、どうやら届いていないらしい。

 後ずさりし続け、食堂のカウンターに背中が当たると、ずるっとしゃがみ込む。そして。

 膝を抱えて座り込み、世界の終わりを目の当たりにした子供のようにアハトは絶望した。


「おとなって、きたない」

「アハトおおおおおお?!しっかりしろおおおお!」


 相当な衝撃を受けたらしいアハトに驚愕して、テオが慌てて駆け寄って慰めている。


「ノアが………ノアが、あんな事まで知ってるなんて…!」

「分かる、分かるさアハト。ノアがあそこまで知ってるとか思わないもんな。

 初めて付き合った彼女に『実は非処女なの』って言われる位ショックだよな?」

「…その気持ちはよく分かんないんすけど………テオ先輩の経験談っすか?」

「えっ?」

「───あ、スイマセン聞かなかった事にして下さい。ハイ」


 思ったより立ち直りは早かったようだ。一瞬テオに不意打ちしてしまったようだが、アハトは機転を利かせてなかった事にしてみせる。


 ノアはそんなふたりの前に立ち、不機嫌に頬を膨らませてふたりに訊ねた。


「…これで僕の事信じてくれますよね?」


 アハトは少しだけ怯えた様子でテオにしがみついている。アハトを庇うように手で遮りつつ、テオは恐る恐る訊ねてきた。


「お前…何でそんな事知ってんの?」


 その問いかけに、ノアは目を細めて逸らす。


 ◇◇◇


 ───年若いノアからしても、古い思い出だ。今は遠くに在る、産みの親からもたらされた知識。

 善悪を考えるよりも前に与えられたものだったから、ノア自身も『そういうものなのだ』と思うしかなかった。

 ただ、それだけだ。


 与えられた知識に自分が同調した事など一度もなく、今考え直してもそれは幻想と言えた。

 がっかりは、したかもしれないが。

 御伽噺おとぎばなしの魔法使いに憧れても、自分に魔法は使えないのと同じくらいに。


 ◇◇◇


「………………………それ、は」


 どこまで話せば納得してもらえるだろうか。もう面倒だから全部話してしまおうかと思っていたら。


 ───カンッ!


「あだ!?」


 ───ゴスッ!


「おご?!」


 ───スコンッ!


「いたっ!!」


 厨房方面から飛んできた三つのおたまが、テオ、アハト、ノアの頭に命中して、全員似たような形ですっ転んだ。

 目を白黒させてカウンターを仰ぐと、大柄な筋肉質の色黒中年男が腕を組んで仁王立ちしている。


 太い眉で怒りを表現した厳めしい顔立ちの男の名は、マクシム=マシェフスキー。この厨房を取り仕切る料理長だ。


「うしろつかえてんだよっ!さっさと持って行きやがれクソガキどもがっ!!」


 殺されるんじゃないかとも思わせるほどの鬼気迫る形相に、アハトもノアもたじろぐばかりだ。代わりにテオが敬礼の仕草をしてマクシムに向けて声を張り上げる。


「さ、サーセン、”ママさん”!ありがたく、美味しく頂きます!!」

「おうっ!!食べ切らなかったら承知しねえぞ!!!」

「「い、イエッサー!!」」


 アハトとノアも慌てて敬礼して、既にカウンターの上に並べられた料理をトレイごと手に取った。揃って、そそくさとその場を離れる。


 気が付けば、食堂はすっかりごった返していた。兵士はともかく多くの役人はこの時間に休憩するものだから当然だが。

 自分がアハトに話しかけたのがきっかけで、列に並んでいた人達が待たされる羽目になってしまったのは反省しなければならないだろう。ここにいて暇な人間などいないのだから。


「まあなんだ。お前んとこはお兄さんいるんだろ?それならそっちの知識は早いよな」


 示し合わせた訳ではないが、丁度空いてる席があったので三人でそこに腰掛ける。

 魚介のパエーリャにスプーンを突っ込んだテオがそう言うものだから、ノアも相槌を打った。


「そうですね。兄さん達とは歳が離れてるんで、あまり多く接する機会はなかったですけど。色んな事を教わりました」

「兄ちゃんかあ………いいなあ。オレも兄ちゃん欲しかったなー」


 鶏のオニオンソース煮を頬張りつつ、アハトが遠い目で溜息を吐く。


「お前んとこは妹いるんだろ?可愛いんじゃないか?」

「んな事ないっすよ。たまに家帰っても『くさい』って邪険にされるんすよ。

 そのくせ金に困ってりゃ猫なで声ですりよってくるし。

 もうちょいかわいきゃ許すけど、あいつ親父似だからちょおっとなあー」

「そんなもんかねえ」


 ハンバーグをナイフとフォークで綺麗に切り分けながら、ノアもテオに聞いてみる。


「テオ先輩はご兄弟はいるんですか?」

「俺?ああ、上に姉さんと兄さんが一人ずつ、下に弟が一人な。

 昔は喧嘩も仲良くもしたもんだが、姉さんはもう嫁に行ってるし、兄さんはアキュゼに出張ってるからな。

 城勤めしてからは弟とも疎遠になっちまって…寂しいもんさー」


 そう言ってみせるテオの表情は、笑ってはいるがどこか虚ろだ。

 横にいるアハトを目だけで見やると、アハトもまたノアに視線を送っていた。何となく考えている事は同じなのかもしれない。


「そんなに、寂しくなるもんすかね?」

「会おうと思えばいつでも会えるのでは…?」

「貴族同士の結婚は家同士の繋がりも兼ねてるが、何かの拍子に軋轢が…なんて事がよくあるんだよ。

 女は嫁いだらそっちの家に従う事になるから、場合によっちゃ血は繋がってても対立する羽目にだってなる」

「血が繋がってても、対立…」


 あまり他人事ではない言葉が出てきて、ノアの顔が曇る。

 兄達は頭の良い人達だから喧嘩になる事などないだろうが、それでも家のごたごたに巻き込まれる事はあるのだ。例え、自分の気持ちに反していたとしても。


「まあ、お前らにゃ関係ない話だろうけどな。

 アハト。今は仲良く出来てても、いつかは妹もどっか嫁に行くんだ。

 多少の我が儘は目ぇ瞑って、今のうちは後悔ないように接しとけ」

「もうじゅーぶんすぎる程目ぇ瞑ってるんですけどねえ。でもま、肝に銘じておきますよ」


 食堂がいつも通りに賑やかになって行く様を感じ取りながら、ノアは人知れず溜息を零した。

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