第9話 井戸端会議におたまが飛んで・1

 一等兵ノアにとって、側女リーファは特別な存在だ。

 城に入り右も左も分からなかった頃、拷問部屋で枷に囚われていた彼女と会ったのが最初だった。


 あの時はいきなり拷問の指示を受けてしまい、緊張と混乱の末気絶してしまうという醜態を晒してしまったが。

 何にしても、それから程なく彼女は王の側女に就く事が決まり、ノアも3階の巡回の任に就いた為、顔を合わせる度に会話する機会が増えたのだ。


 彼女が側女となった理由の多くは知らない。

 どうやら魔術師らしく、長らく病床に伏していた先王オスヴァルトをその力で蘇生させた───などと言われてはいるが、おおよそ魔術師という印象からかけ離れた可愛らしい容姿をしている。


(い、いや。八歳も年上の女性に可愛らしいは失礼だよな)


 心の中で訂正を入れておく。


 しかし、彼女は同年代のメイド達と比べると、どうしても身長や面立ちでより若く感じてしまうのだ。

 城のメイドの多くは貴族と縁のある家柄の女性が雇われるものだから、貴族と庶民の風貌の差はあるのかもしれない。


(そういえばバスケスさんが、『あいつの趣味じゃねえんだよな』って言ってたっけ)


 彼女が側女となった当時、王と親しい間柄だった役人が言っていた事を思い出す。

 王はどちらかというとグラマラスな美女が好みらしく、真逆な彼女はまるで当てはまらないとか。


(でも、『やっぱ声がいいのかねえ』とも言ってたんだよな…)


 そこについてはノアも同意見だった。


 朝の何気ない挨拶、他愛ない会話にも活気が溢れ、歌を唄えば多くの人がその姿を求めて殺到する。魔術の類ではないかと疑う者もいるが、『そういう体質らしいの』と当の本人が教えてくれた。


「なあ…アハト」


 食堂のカウンターでハンバーグセット待ちをする中、隣で同じように鶏のオニオンソース煮を待っている同僚のアハトに声をかけた。


「あん?」


 何か考え事をしていたのだろうか。ぼんやりしていたアハトは我に返り、ノアを見下ろしてくる。


 同年齢で同じタイミングに城入りしたふたりだが、アハトはノアより頭二つ分は背が高い。ノアは国内の同性同年齢の平均身長など知らないが、アハトはちょっと背が高すぎではないかと思ってしまう。


「へ、陛下ってさ、リーファさんのどんな所が気に入ってるのかな?」


 いきなりな質問で困るかと思ったが、アハトは特に悩む様子もなくむしろ真剣な表情で断言した。


「そりゃもちろん、エロい声だろ」


 頓狂とんきょうな答えが返ってきたものだから、ノアが呆気に取られてしまう。


「え、えろ?」

「お前だって聞いてるだろ?夜のあの喘ぎ声さ。

 いや~、あんな声で腰振られたらたまんないだろーなあ………えへ」


 アハトが少しばかり頬を赤くしていやらしい顔で笑うものだから、ノアの気持ちが一気に白けてしまう。


 彼女の仕事が、王の御子を産む事だというのは分かっている。王はその為に足繁く彼女の部屋に通い、一晩を過ごすのだ。

 聞き耳を立てたい訳じゃないが、巡回をしているとどうしてもその時の声が廊下にも聞こえてきてしまう。


 彼女が側女となったばかりの頃は、痛みや苦しみを訴える悲鳴ばかりで、聞いているこちらも辛くなったものだが。

 しかし最近はその声音も変化してきていて、余裕、というべきか時折会話も耳に入ってくるようになった。その、艶めかしくもどこか愛らしい声は、兵士の間でも頻繁に話題になるのだ。


 先日など、部屋で漏れ聞こえた会話を元に、『「私を玩具のように扱ってください」って言われたらどう扱うのが王様的に完璧なのか』という題目で、隊長達が熱く語り合っていたのをノアは思い出した。


「───甘いな」


 唐突にノアとアハトの間から降ってわいた自信ありげな声音に、ついそちらを見やってしまう。


「テオ先輩」


 テオ=ヴァルタースハウゼン上等兵は、刈り上げた金髪と青い瞳の兵士だ。

 年齢はノア達よりも五つほど年上だっただろうか。ヴァルタースハウゼン家と言えば、代々騎士を輩出してきた由緒正しい家柄なのだが、テオはそれを鼻にかけない気さくな人柄だ。


 テオはどこかかっこつけた様子で顔に手をやり、どこか嬉しそうに話に加わって来た。


「俺聞いちゃったんだよ、近衛兵の人達の会話。

 陛下とアルトマイアー様のやり取りを小耳にはさんだらしくてさー。

 リーファ様は『薬を盛って朦朧としている時は声がひときわ愛くるしく、薬が切れかけてる時は淫靡に腰を振り、意識がはっきりしてる時はどこまでも求めてくるのが良い』んだってさ」


 アハトの鼻息が一段と荒くなる。顔を紅潮させ、テオに詰め寄っている。


「お、おおう。ま、マジっすか」

「時々夜明け前の大浴場でもおふたりのお声が聞こえるっていうしな。

 朝から深夜まで陛下とご一緒とか………一体いつ寝てるんだか…。

 人は見かけによらないってゆーけど、あーんな可愛い顔して大したモノお持ちだよ。

 見方変わっちまうよな、ほんとまったく」

「や、やばいっすね。オレ今度会った時顔合わせられるかなあ」

「巡回用のサレットじゃ顔丸見えだからな。首充て口元まで引っ張っとけば?」

「今までつけてなかったのに、いきなり首充てつけたら逆に怪しいじゃないっすか。

 ───ん?どしたノア?」


 ノアは黙り込んだまま肩を震わせていた。話を聞いていなかった訳ではないが、体が動かなかった。


 心は大きく動かされていた。感情が昂っていくのがよく分かる。目の前が真っ赤になるような、異様な感覚。ソレを早く吐き出せと、体が疼いている。

 突き動かされるように、ノアの口からその言葉が放たれた。


「な、な、な………なんて事、言うんですか!!」

「お、おお?」


 驚いて声を上げたのはテオだった。

 アハトも少し驚いたようだが、いつものやつだと気付いて肩を竦めている。


「御子を授かる為に日々頑張っておられるリーファさんをそんな目で見てただなんて…!

 テオ先輩もサイテーですっ!!」


 ノアの怒りは治まらず、顔を真っ赤にしてテオに詰め寄って非難する。

 

 しかし、何を咎められてるのか理解が出来ていないらしい。周囲が賑やかになって行くのを少し気に留めながら、テオはアハトに聞いている。


「え?何?何で俺怒られたの??」

「あー…こいつリーファさん崇拝してるからー…。

 きっと御子もキャベツ畑から生まれると思ってますよコレ」

「思ってないよ?!知ってるからね!!」


 同期のあらぬ誤解に、思わず反論してしまう───と。


「ほう、ほほほう、ほうほうほう」


 テオはその言葉に食いついて、愉しそうに口の端を吊り上げた。

 我に返ってやばいと思ったがもう遅い。じりっと近づいてきたテオに気圧されて、ノアは一歩下がってしまう。


「な、何ですか」

「そこまででかい口叩くなら、ナニがドウしたら子供が出来るか説明してもらおうか?」


 返事に困って視線が余所よそに泳ぐ。こちらが騒いでいるのを食堂にいる人達がちょっとだけ気にしており、視線が集まっていくのが見て取れる。急に恥ずかしくなって身を竦めてしまう。


「え、えっと。ここでは、ちょっと…」

「おう、さすがに人目が気になるか。ならばささ、ちこう寄って耳打ちを許すぞよ」

「…誰の真似なんですかソレ」


 古い言葉で耳に手を当てて寄ってくる先輩に、呆れるばかりのノア。

 やや躊躇ためらったが、言ってしまったものは仕方がない。意を決してテオの耳元に近づき、こそっと囁いた。

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