第2話 薄情な女・2

「あ、そ、そうでした。リャナに、相談があったんです。

 先の見合いの時に、国所蔵の絵画が駄目になってしまいまして…。

 なんとかこう、修復が出来ないものかと」


 席を立ち、リーファは部屋の北側の壁に立てかけていた物の所まで歩いて行く。

 そして被せられていた白い布をゆっくりと取り、近づいてきたリャナに見せた。


 ”死の道を舞う乙女”───ラッフレナンド建国の物語を絵にしたものだ。


 多くの旗が立ち並ぶ黄昏時の戦場、遠くの城は煙が上がり、多くの戦士が倒れ伏しているその中、果敢にも剣を掲げて民衆を鼓舞する甲冑姿の女。

 その迫力のある絵に、左下から中央にかけて刃物で大きく切り裂かれたような痕が残っている。おかげで主役の乙女の上半身と下半身が泣き別れになってしまった。


 酷い有様の絵画を見て、リャナがしかめっ面で唸り声をあげた。


「うわあ………なんかこう、恨み、っていうか、怨恨、っていうか。

 呪いこもってそうな切りっぷりー…」

「他にも、書庫から借りていた本が駄目になってしまって…。

 貰っていた手紙は諦めたんですが…こちらはさすがに、何とかならないかと…。

 …もう…なんでこんな所に、重要文化財級の品を置いたのか…」


 リーファも、眉間にしわを寄せて唸ってしまう。


 学校の教科書にも紹介されているものだから絵画の存在自体は知っていたが、真筆だとはリーファも考えていなかったのだ。

 高い所に置いてあったから粗雑に扱った事はないが、置きっぱなしではさすがに劣化を早めるはずだ。破損は破損としても、管理については誰も文句を言わなかったのか不思議でならない。


 見ているだけで痛々しくなるような絵画の痕を、リャナはなぞる。


「魔力がこもってないなら、確か直す道具があったと思うけど…。

 …リーファさん、怪我を治す魔術って何が使える?」


 唐突な質問に、リーファは首を傾げた。


 怪我や病気を治す魔術は、大まかに三種類あると言われている。

 体液などを媒介に魔力を注ぎ、自己治癒を高める”治癒魔術”。

 個体の時を巻き戻して、負傷をなかった事にする”回復魔術”。

 そして、どんな病気負傷状態でも全快させてみせる”蘇生術”だ。


 蘇生術は、才能と修練を積まないと習得は不可能と言われている奇跡の術だ。現在会得しているのは、聖王領に住まう聖王のみと言われているらしい。

 よって、多くの魔術師が前者二つの術を習得するのだが、どちらもメリットとデメリットが存在し、使い分けが必要だ。


「え、ええと…治癒魔術と、回復魔術なら…。蘇生術まではさすがに…」

「じゃあさ、回復魔術の方で、傷つく前まで戻せばいいんじゃない?」


 しばらく、リーファは鳩が豆鉄砲を食ったような顔でリャナを見下ろした。何とはなしに虚空を仰ぎ、頬に手を当てて考え込んで。

 思い掛けない案に、リーファは目からウロコが落ちたような気がした。


「あれってモノにも効くんですか?!」


 呆れてはいなかったが、『やっぱり知らなかったんだ』と言いたげな表情でリャナはうなずいた。


「魔力こみのモノだと、術の構成がややこしくなるらしいんだけど。

 そうでないなら確かイケたと思ったんだけどなあ」

「そ、そうなんですね…。

 なんかこう、体を治すだけだとばかり思ってましたから、物も直せるとは…」


 知らなかった事実に、まだ考えが混乱している。

 この術を教えてくれたのは父のエセルバートで、詳しい仕組みなどは全く言わなかったものだから、傷を治す用途しかないものと思い込んでいた。


 リャナが暮らす魔王城は、魔術の研究をしている技術棟があった。当然、魔術に関する本などもあるのだろう。魔術の勉強するのなら、あそこほど適した場所はない。


(ああいう所でもう少し魔術の勉強をしてみたいな…)


 ちょっと羨ましいと思っていると、絵画の前でしゃがみ込んだリャナがぼそっとぼやいた。


「でもすごい魔術だよね。時を戻すってさ。

 それを繰り返しかけ続ければ、永遠に若くいられるんだよ?

 まあ、モノの劣化が早まる副作用はあるらしいんだけどさ」


 つまり一時的には若返るが、老化は加速してしまうという事らしい。若返ったと思ったらあっという間にはしわくちゃになっている。それはちょっと怖い話だ。


「やっぱり、何事にも限度はあるんですね…。

 でもこのままでは廃棄するしかありませんし、試しにやってみましょうか」


 リーファはそう言って、絵画を動かし始めた。

 絵画も壁も傷つけないようにゆっくりと絨毯の上へと降ろし、傷に指先を添え呪文を唱え始めた。


「”我が手は過去への導き手。紡げ紡げ、運命の歯車。

 絹布は生糸に、生糸は繭に、繭は蚕に、蚕は卵へ。

 老者は大人に、大人は子供に、子供は赤子に、赤子は胎へ。

 雷は雲へ、川下は川上へ、海は空へ、砂は大地へ、風は風へ。

 望む姿を臨むまで、戻れ、戻れ───”」


 リーファの指先から呪文が描かれた光の文字が現れ、絵画の全域を覆い循環し始める。

 一ヶ月近く経ってしまったから、一度の行使だけでは絵画に何の反応もないが、二度、三度と呪文を唱え続けると変化が始まって行く。切り裂かれた部分がみるみると塞がって行き、元の彩りへと戻っていく。


「”戻れ、戻れ───”」


 四度のループ詠唱を終えた頃には、傷などどこにもなく、リーファが覚えている絵画に戻っていた。


「でき、た…!」


 腰を上げ少し離れて眺め見て、修復成功の結果を心から喜んだ。

 隣で見ていたリャナも、満足そうにうなずいている。


「うんうん、傷も全然気にならなくなったね。

 劣化もぱっと見してなさそうだし、これなら大丈夫そう」

「今度は傷つけられないように、ちゃんと宝物庫に収蔵してもらいませんとね。

 あと念の為、アラン様に確認して───」


 そこまで言って、「あ」とリーファは声を上げ、口元を押さえた。


「私、入室を今断られているんでした………。

 ま、まあ、後でヘルムート様かシェリーさんに話をしてみます」


 リーファは苦笑いを浮かべながら絵画の縁を掴み、恐る恐るテーブルへと移動した。ゆっくりとテーブルの上へ降ろし、入ってすぐ見てもらえるように向きを直す。

 テーブルの端に置いていた栄養剤をキャビネットの一番下にしまっていると、リャナから声がかかった。


「ねえねえリーファさん」

「はい?」

「王様から、リーファさんに会いたがらない理由とか、何か聞いてるの?」


 リャナの質問に、リーファは顎に手を添えてぼんやり虚空を仰いだ。


 ───見合いが失敗に終わり、リーファの調子がまだ優れなかった頃、アランはリーファに会いに来ていたのだ。

 しかし部屋はここではなく、隣の部屋だった。

 側女の部屋が使い物にならない状態だったからで、アランの意向もあり家具の差し替えが済むまでは隣の部屋で逢瀬を重ねたのだ。

 やがて改装が終わり、ようやく側女の部屋へ移る事が出来たのだが───それから幾ばくかして、アランが部屋へ来る頻度が減って行った。


「いえ…特には。

 でも流産してまだ間もないですし、医務所の先生からは『安静に』とは言われているので。

 夜のお世話が出来ないんじゃ、側女の意味がないですから…」

「でも、夜のお世話って、色々やりようはあるんじゃん?」

「そ、そうなんですけどね…」


 この幼い風貌のサキュバスが、一体どこまで”夜のお世話の色々”を知っているのかが分からない為、どう反応して良いのか困ってしまう。


「でも、理由…知りたいですね………アラン様と色んな事、話したいなぁ…」


 アランとは、会話もここしばらくはしていない。

 昔の事も今の事もこれからの事も、言いたい事も聞きたい事もたくさんあるのに。


(こんなに心細くなるなんて…)


 母が亡くなり一人暮らしを始めた頃のような心許こころもとなさを思い出し、リーファの閉じた手が微かに震えた。これからもこんな日々が続くと思うと、ぞっとする。


「ねえねえ、リーファさん」


 呼びかけられてリャナが視界から外れている事にようやく気付き、リーファは辺りを見回した。

 見れば、少女はソファの向こうで白い頭陀ずだ袋を開け、両手を突っ込んでいる。


「誰にも邪魔されない自分の時間が作れて、仲直りも出来ちゃうかもしれない素敵なレンタル品があるんだけど、おためしで使ってみない?」


 満面の笑みを向けながらリャナが取り出してきたのは、───どうやって入っていたのか知らないが───少女が一抱えする程の玩具の家だった。

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