第3話 小悪魔に誘われて
この時期の執務室は比較的暇を持て余す事が多く、アランはソファで足を投げ出しぼんやりしていた。
ティータイムは過ぎ、シェリーは片付けに、ヘルムートも書類を出しに下階の部署へ行っている為、部屋にはアラン以外誰もいない。
別にここにいる必要はないのだ。今日の所はもう仕事はないし、どこかへ行ってもいい。
小腹は満たされているから食堂に行く気はないが、公文書館で本を漁るもよし、礼拝堂で祈りを捧げるもよし。暇を潰す方法は幾らでもある。
ちら、と別の暇つぶしも
───コンコン。
ノックする音が聞こえたが起き上がるのも面倒臭く、ソファに寝そべったままぼんやり応じた。
「入れ」
「お邪魔しまーす」
軽いノリで執務室に入ってきたのはリャナだった。
人間の面を被った騒動の種は、部屋の中でしんなりしているアランを見て、やれやれと肩を竦める。
「だらけてますねー、王様」
「カタログだけ置いて帰れ」
「はぁ?!ひっどい!絵が直ったから言いに来たのにー!」
顔を見ようともせずに投げやりに命じると、リャナが頬を膨らませて猛抗議している。
アランは眉根を寄せ、年寄りのように声をあげて嫌々体を起こしソファに座り直すと、ようやく少女の姿を視界に収めた。
「…何の話だ」
「リーファさんの所にあった絵、直したの。
ちゃんと直ってるか、持ち主が見ないと分かんないじゃん」
そこまで言われて、ようやく”死の道を舞う乙女”の事だと思い出す。
以前リーファが、『リャナに相談してみましょう』と言っていたから任せていたが。
「そんなものもあったな………どうでもよいが」
「はあ?王様のお気に入りの絵なんでしょ?」
「誰がそうだと?たまたまあったから飾っておいただけだ」
「うそつき」
呆れ顔を向けてくるリャナを気にするでもなく、アランは立ち上がった。
「…ところで何故お前がここに来る」
「リーファさん、今お花を摘みに行ってるの。あ、トイレの事ね」
「何のために言葉を濁した。意味がないではないか」
「だって本当に花摘みに行ってるようにも聞こえるじゃん」
そんなどうでもいい話をしながら、リャナの後を追ってアランも執務室を出て行く。
西側の廊下を抜け、中央の階段から3階へ上がる最中にも、リャナから話しかけられる。
「リーファさんにちゃんと感謝しといてよ?
直す道具はあるんだけどさ。今回はリーファさんの魔術で直したから」
「…うん?どういう事だ」
「リーファさんが使える、時間を巻き戻す術があるんだけど、あれ人にしか使えないと思ってたんだって。
『モノにも使えるよー』って教えて、やってみたらうまく直ったんだ」
「そんな方法が…」
時を戻す術はアランも受けた事があった。もう一年も前の話だ。
階段を上がった先から西へ進み、突き当りを南へと進んだ右側に側女の部屋がある。
リャナが扉を開け、アランも続いて入ると、部屋にリーファはおらず静まり返っていた。
(変わってしまったな…)
何もかもが様変わりした部屋を苦虫を噛み潰したような顔で見回すと、正面のテーブルに絵画が横たわっていた。
「ああ」
思わず、声が出た。
もう見たくもないと思っていた傷だらけの絵画が、完全な形でアランの前に置かれていた。派手に切り裂かれた乙女の腹は綺麗なままに戻され、かつての苛烈さを取り戻している。
「よく戻ったものだ」
テーブルに置かれた絵画を両手に持って掲げると、自然と胸が熱くなった。感慨深く目を細める。
「そうそう。魔術の副作用で、劣化が進みやすくなってるから。
ちゃんと手入れをしてあげた方がいいよ」
「ああ」
リャナの指摘に空返事を一つして、アランは部屋を横切った。暖炉の左側、ベッドから見える壁に掲げてみせる。
上機嫌に配置場所を考えていたら、横から驚いた様子の少女の声が聞こえた。
「ここに飾り直すの?国宝なんでしょ?しまった方がいいんじゃない?」
折角の楽しみを邪魔されたアランは、渋い顔でリャナを一瞥して鼻であしらう。
「なんだ、まだいたのか。
もう帰っていいぞ。私は忙しい」
「はー!?…もういいもん!リーファさん、返してやらないから!」
もう少し暖炉側に寄せようか───そんな事を考えている内に、聞き捨てならない言葉が降ってわいて、アランは険しい表情でリャナを見下ろした。
「…なんだと?」
「あ、反応した」
軽快な動きでぴょい、とリャナは二歩下がる。アランの間合いからちょうど外れた位置だ。
アランは持っていた絵画をその場に立て掛け、リャナへにじり寄った。
「おい、リーファに何をした」
「ないしょ。だってあたしの話聞きたくないんでしょ」
ウサギのようにぴょん、とリャナは今度は横に跳ね、テーブルの側まで移動した。
「お前の話など知った事か。リーファはどこへやったと聞いている」
「探したきゃ探せば?もしかしたらこの部屋にいるかもよ?」
「なんだと…」
言われるまま、部屋をぐるりと見回す。
部屋に隠れる場所など殆どない。テーブルは天板がガラスなので下は丸見えだし、あり得るとしたらクローゼットの中か、ベッドの下か。しかし、どちらも気配らしきものはない。
だが近くにあるベッドを覗くと、見慣れないものがあった。
「何だ。これは」
それは一抱え程の大きさの玩具の家だった。
オレンジ系の屋根と、白地の壁、窓が幾つもついて窓際に花が飾られている、いかにも女子供が好きそうな家だ。2階建てで、外観はほぼ四角い。2階からバルコニーにも出れる意外と凝った造りになっている。
裏面にも何か書かれているようだが───確認する前に、唐突に玩具の家の扉がパタンと開いた。
「?!」
そして、急激にアランの体が引き寄せられていく。
風などないのに髪が家に向かって引っ張られ、手で髪を押さえると今度は上半身を持って行かれそうになる。慌ててベッドの柱に手を伸ばすが、拳一つ分届かない。
振り向いてリャナを見やると、小悪魔というか悪魔の形相で嗤っていた。
「おい、なんだ!これは、おわ─────────?!」
絶叫はかき消され、アランの体が家の中へと吸い込まれていった。
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