第23話 懺悔はもう届かない・2
やがて、静寂に支配された謁見の間に、扉の開かれる音が響き渡る。五人の正妃候補達が近衛兵に伴われ、広間のレッドカーペットに進みゆく。
彼女達はクレメッティとジェロームが立つ場所よりも五歩程手前で横一列に並び、一様に首を垂れた。
「…私の側女が今日、何者かに階段から突き飛ばされて転倒した」
最後の正妃候補との見合いを中止し、講義中の正妃候補達を呼びつけての開口一番がこれだ。
顔を青くして口元を押さえていたエレオノーラ以外の正妃候補達は、さすがに怪訝な表情でアランを見上げている。
しかしアランは、彼女達の顔色を伺う事なく淡々と話を続けた。
「周知の通り、側女は私の子を身籠っている。
転倒した際出血をしており、今尚予断を許さない状態だ」
「───お言葉ですが、陛下」
アランの説明を遮って、一人の候補が挙手した。
波打つ黒髪を胸元まで伸ばした蠱惑的な美女。最後の正妃候補でもあるアドリエンヌ=ルフェーヴルだ。
「側女とは、深夜になっても朝方になってもお部屋へと戻らない、不誠実な方の事でしょうか?」
明らかに挑発した様子のアドリエンヌの
「そんな方の胎の子が、果たして陛下の御子様と呼べるのでしょうか。
わたくしとの見合いをすっぽかして、そんな方の事を心配なさるなんて───がっかりですわ」
アドリエンヌに続いて、ウッラ=ブリットも口を開いた。
「わたし知っているのですよ。側女の方、複数の男性と手紙のやり取りをされていたのです。
あんな情熱的な言葉を贈られるなんて…わたしだったらときめいてしまいますわ。
陛下の目を盗んで、密会などなさっていたのではありませんの?」
まるで手紙を
リーファに対するあんまりな言い様に、アランは動じた素振りを一切見せない。モノクルで見たアランの感情は、赤黒い激怒の色を更に膨張させていると言うのに。
何だか悔しくて、ヘルムートはつい口を挟んでしまった。
「おや、貴女方は、深夜も朝方もいちいち側女の部屋を見に来ていたのかい?
この城には彼女のファンが結構多いんだけど、貴女方もなかなか熱狂的なファンなんだねえ」
茶化すように候補達に言ってやると、アドリエンヌは顔を真っ赤にして言い訳をしてきた。
「た…たまたま、その通りを抜けた時に気になっただけですわ。
そ、そもそも従者が馴れ馴れしくわたくしに話しかけるなど、無礼ではなくて?」
「いや、よい。許す」
『それはそうなんだけど』と思っていたらアランが許可してくれたので、ヘルムートは玉座の主に首を垂れた。
「推測で物を言うのは良くない事だ。そして白黒をつける為に貴女方を呼んでいる。
───側女は筆まめでね。
手紙の送り先はどれも遠方で、会いに行けないから手紙を書く事を許可している。
ウッラ=ブリット。貴女が言ったのはヴェルナ=カイヤライネンの手紙だろう。
確かに彼女の手紙の書き方は男性的だが、れっきとした女性だ」
「そ、そうですの?でも他にも男性の名が」
「ニーク=アルケマは歌の師、ブリアック=ラモーは世話になった雑貨屋の主、ハドリー牧師は側女の伯父だ。
側女に届く手紙は、私も逐一確認している」
全ての名前を読み上げられ、ウッラ=ブリットは絶句していた。
続けてアドリエンヌに顔を向けて、アランはしれっと告げる。
「そしてアドリエンヌ。
昨晩、彼女は私の側に
「「「「───!」」」」
アランの嘘を真に受けて、正妃候補達は一様に動揺した。
リーファの動向を知っていれば嘘だと分かっただろうが、さすがに禁書庫まで行っていたのは知らなかったようだ。
アドリエンヌは、ぎり、と歯を軋ませ、心底悔しそうに吐き捨てる。
「ありま、せんわ…!」
「そうか、ならばこの話は終いだ。本題へ戻ろう」
そう言ってアランは組んでいた足を戻し、淡々と語りだした。
「───六年前。
当時の王子達の王位継承問題に絡み、王不在の時に貴族達が勝手に側女を尋問。
結果一名の側女が毒殺され、一名の側女が出奔する騒ぎがあった」
正妃候補達の感情を見る為にモノクルをつけたのに、アランの色ばかり見てしまう。
アランが一番話したくない事だろうに、感情の色は強い嫌悪を示す紫に染まっているのに、彼の言葉は止まらない。
「当時より側女は非公式な役職。
名が書陵部に登録されるのみで、側女の一切を守り罰する法は存在していなかった。
しかし当時の王はその一件を機に、国有財産法の普通財産の対象として”人”を加えさせた。
王が認めた者を国の所有物扱いとし、王の権限なくば彼らを自由に扱う事が出来ないようにしたのだ。
…そう、王のみだ。
貴族は言うまでもなく、正妃であっても彼らを好きにする権限はない」
理解の早い正妃候補達の中には、顔面を蒼白にしていく者もいる。感情を司る色も、それぞれ分かりやすく教えてくれている。どうやらやらかした事実を理解してきているようだ。
「仮に彼らを害した場合、国の所有物を傷付けたと
いけしゃあしゃあと
人を傷つけた事に対する賠償など、ある意味計算出来るはずもない。国有財産法の損害算定額の算出は、国が保有物を売却する為のものだからだ。
しかしこんな嘘も、正妃候補達にはそれなりに効いているようで、ウッラ=ブリットは俯き肩を震わせていた。
「それと…今調べさせているのだがね。
どうやら側女の部屋で狼藉を働いた者がいるようだ。
あの部屋は私が個人的に使っていた部屋でもあり、重要文化財級の物品が幾つか置いてある。
”死の道を舞う乙女”は教科書にも載っている事だし、知っている者も多いと思ったのだが」
絵画の話が出てきて、血の気の失せた顔を上げた者がいた。ペトロネラだ。
「そんな…レプリカではありませんの?!」
「王城の王の所有物に何故レプリカがあると?」
「………!」
至極真っ当な事実を受け、ペトロネラは唖然とする。
謁見の間に、気まずい雰囲気が広がっていく。正妃候補達は言うまでもなく、彼女達の身の潔白を信じていたクレメッティとジェロームすらも面目丸つぶれだ。
そしてヘルムートがモノクルで見るまでもなく、大体誰が何をやらかしたのか目星はついた。後は詳細を調べるだけだ。
「側女の在り方、そしてあの部屋の価値について知らないのは貴女方だけだ。
一時間後各部屋に訪問し、貴女方と側仕え双方に尋問を行う。それまでは待機しているように」
アランの下命は、ある意味死刑宣告にも似ていた。
王城での尋問自体、刑の執行を前提にしたものだ。
疑う余地もない罪がそこにあり、罰に向き合うべき罪人がおり、刑を科さねばならない理由が揃っているからこそ、王の膝元で厳正な判断が下される。
正妃候補達の親類縁者からどんな
アランの不退転の覚悟に怖気づき、
「あ、あの陛下、わたくしは国の宝物を傷つける意図は───」
「お許しください陛下。わ、わたしははじめからこんな事───」
「しかし、あのような部屋に貴重な品々を置くなど、あ、あまりにも───」
「わ、わたくしはただ、側女の方に序列というものを理解頂きたくて───」
無意味な言の葉は、アランが無言のまま玉座から立ち上がると一瞬で静まり返った。
かつては前線で戦いに明け暮れ、魔物すらも竦み上がらせたというその冷徹な眼光が、それぞれの正妃候補を鋭く射貫く。
「貴女方の側仕えには言ったはずだ………『次はない』、と。───以上だ」
懐柔を許さない拒絶の言葉に、四人の正妃候補達はもう何も言い返せない。ただ一人、エレオノーラだけは静かにアランを見据えていた。
最後にアランとエレオノーラの目がかち合うと、終始一貫して沈黙を貫いた最年少の少女は恭しく一礼し、他の誰よりも早く謁見の間を退出していく。
他の候補達は
彼らに引きずられるように、候補達も扉の向こうへと消えて行った。
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