第10話 王様のお買い物・2

「…お前の母方の家はどうなっているのだ」


 なじるようにアランが口を挟んできて、は、とリーファは我に返った。蔑むようなアランの睨みに身が竦む。


「…伯母夫婦が、お金に汚い所があるのは知っていました…。

 母が『診療所で稼いだお金の一部を実家に仕送りしている』と言っていた事はあったので…。

 母方の祖父から『今まで育ててやった恩は金で返せ』と言われていたそうです。

 私が独りになった時点で、仕送りはなしにさせてもらったんですが…」

「収入源のなくなったプラウズ家が、リーファを利用して結婚詐欺をした、と」

「そういう、事だと、思います…」


 ヘルムートの考えを、リーファは認める事しか出来なかった。


 伯母夫婦がやった事は紛れもない犯罪行為だ。おまけに貴族を相手にしており、極刑はまず免れない。

 恐らくその支度金を着服し、高飛びしたのだろう。国外にアテがあると聞いた事は無いが、こんな大それた事をしてなお国内に居続ける理由はない。


 ふと、今のこの状況が何の解決もしていない事に気付く。

 アダムチーク男爵に事情を説明しなければならない。支度金を返金しなければならない。

 そして伯母夫婦が受けなければならない罰を、代わりに請け負わねばならない。


 知らず知らずのうちに罪状が科されていたと思い知らされ、リーファの顔は土気色に染まった。


「あ、じ、じゃあ。私、その人の所へ、行かないと───」

「リーファ」


 気もそぞろに席を立とうとするリーファを、アランが呼び止めた。自分の膝を手で叩き、招いている。


「こちらに来い」

「………は…い」


 意図が分からず、リーファはふらふらと席を立ち、アランの側へ近づいた。

 いつもの定位置───左の大腿───に腰を下ろし、主を見上げる。


 すると、アランは無表情のままリーファの額にキスを落とし、背中を上下に撫で始めた。


(………?………??………)


 リーファの困惑を余所よそに、アランは黙々と体に触れてくる。自分の体温を伝えるかのように身を引き寄せて、頭に、頬に、手の甲にキスをして、そして背中をさする。


 訳が分からずされるがまま身を預けていたリーファだったが、何故だか少しずつ気持ちが落ち着いて行っている事に気が付いた。


 不安に駆られたペットをなだめているかのような光景に、ヘルムートは執務机の先で失笑している。


「縁談は三年以上前だし、アダムチーク男爵も騙されたんだって気付いて、渡した支度金は諦めていたよ。

 リーファという女性も元々いなかったんじゃないか、って思ってたみたいだね。

 でも今回リーファの名前が噂で届いて、アランが詐欺に巻き込まれていないか心配になったらしくて。

 情報共有に来てくれた、って話さ」


 アランに構われながら、リーファは泣きそうな顔をヘルムートに向けた。


「では、縁談は………お金は………」

「破談になってるよ。というか、息子のオタカル氏は昨年結婚したってさ。

 で、ラッフレナンド王名義で支度金の額にちょっと色を付けて、アダムチーク男爵に授与しておいた。

 理由は───なんだっけ?」


 へらっと笑ったヘルムートの問いかけに、アランはにやりと口の端を吊り上げて答えた。


「『除霊に貢献した女性をラッフレナンド城下に住まわせていた、アダムチーク男爵の先見の明を称えて』だったな」


 何とも出鱈目でたらめな理由だった。

 アダムチーク男爵がリーファをラッフレナンド城下に住まわせていた事にして、今回の騒動解決をアダムチーク男爵の功績にしてしまった訳だ。


「…すみませんでした………うちの事で、ご迷惑を………」


 身内の厄介事が原因で、見知らぬ貴族の方々だけに留まらずアランにまで迷惑をかけてしまった。知らなかった事とは言え、居た堪れない気持ちで胸が締め付けられそうだ。


 真っ白な頭では何も思い浮かばず、リーファはただアランに頭を下げる事しか出来なかったが───


 ───べちんっ


 軽い音と共に、額に痛みが走った。

 顔を上げれば、アランがリーファの眼前の少し上辺りで手を開いていた。どうやらデコピンを食らわせたらしい。


「違うだろう」


 そこそこ痛かった額を押さえるリーファに、アランが不機嫌に曇らせた顔を近づけてきた。このまま近づいたら、金糸のまつ毛に飲み込まれてしまうのではないだろうか。それだけ顔が近い。


「男爵預かりだった事を知った私が、遅れて金を支払った、というだけだ。

 要は男爵から買い取ったのだ。私が、お前を。

 そしてこうやって側に置いてやっている。───他に言う事があるだろう?」


 息がかかる程の至近距離で問われ、リーファは困惑しつつ頭を働かせた。どうやら求めているのは謝罪ではないらしい。


 アランがリーファを購入した、と考えれば、色々思いつくものはあるが、どれもこれも当たり障りのないものばかりだ。

 絶対違うとは思ったが、一応答えてみる。


「ま、毎度ありがとうございます…?」

「八百屋の叩き売りか。二十九点」

「点数が微妙?!」


 どうでもよい所をつい突っ込んでしまった。むしろこの答えでそれだけ点数をくれたのは、かなり甘い方かもしれない。


「もっと気の利いた言葉があるだろうが。こう、男の劣情を刺激するようなものが」


 アランから具体的な要望まで寄越され、リーファは唸り声を上げた。何かもう、アランが喜ぶ言葉なら何でも良いような気がしてくる。


 リーファは上目遣いでアランを見つめ、頬を赤らめておねだりした。


「………こ、今夜は、うんと、イジワルして下さいね………?」


 最近とんと見た事がなかった底意地の悪い笑みを浮かべ、アランはリーファを強く抱き寄せた。


「ふふん、まあいいだろう。百三十六点くれてやる」

「また点数がおか───」


 突っ込みを言い終える前に、アランはさっさとリーファの唇を塞いだ。舌を絡めたキスは早々に終えてくれたが、代わりにリーファの体を撫で回す。


「あ、ちょ………アラン、さまっ………!」


 さっきのなだめる触れ方ではなく、肉欲を刺激する無遠慮な撫で方だ。勝手を知っているアランの指先に全身を刺激され、リーファの吐息がどんどん荒くなっていく。


「…まあそれはそれとして、ね」


 蕩けかけていた頭にヘルムートの冷えた声音が響いて、リーファはここが執務室である事を思い出す。

 火照ほてっていた体から冷や汗が一気に噴き出て、風邪を引いたかのような不快感が全身を包んだ。


 緊張と羞恥で汗まみれのリーファの胸に、アランは顔を押し付けてきた。やめてほしいリーファの気持ちを無視して、満足そうに深呼吸すらしてくる。


「ああ。三年以上前とはいえ、貴族に詐欺を働くとは不届き至極。

 プラウズ家についてはしっかり調べてたっぷり罰を与えてやらねばな。

 ついでに男爵に支払った金もきっちり取り立ててくれる。

 ───リーファ。分かっているだろうが、身内だからと庇い立てはするなよ?」


 どうやらアランは、リーファ自身に罰を科すつもりは全くないらしい。

 あっという間に返しきれない程の恩が積み上がった気がして、リーファはがっくりと肩を落とした。


「…ここまでされたら私も庇えませんよ…。

 煮るなり焼くなり好きにして下さい………」


 せめて恩の利子分くらいになればと願い、ご機嫌に笑うアランの頬にリーファはそっとキスを落とした。

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