第十二章 奇譚・その後日談

第1話 禁書庫の老人・1

 ラッフレナンドの城下を襲った魂達の騒動から、一ヶ月が経とうとしていた。


 リーファが聞いた話によると、魂達による悪さは特になかったようだが、小火ぼや、窃盗、破損などの被害は城内外ともに散見されたらしく、終結から数週間は皆その対応に追われたという。

 予定されていた催し事も一部は延期もしくは中止となり、東部への視察も取り止めになったようだ。


 また、今回の騒動は未曾有みぞうの災害として記録に残される事となった。


 リーファが魂の回収をしてみせた事は、国の上層部には認知されている。

 しかし、神父ですら手をこまねいた除霊を容易くしてみせた為、無用な混乱を招かないよう、『王の招致に応じた専門家に除霊してもらった』とリーファの名を伏せたまま民には説明しているようだ。


 ◇◇◇


 リーファは、バスケットを片手に禁書庫へ赴いていた。

 この部屋の幽霊騒ぎがなくなってそこそこ経つが、相変わらず人気ひとけはない。好き好んで禁書を探す暇人など、そう多くはないのだろう。


(今日も…ない、か)


 禁書庫に入って左側の本棚、緑色の本と紺色の本の間を確認してから、リーファは西側にある司書室の扉に近づく。

 バスケットをテーブルに置き、司書室の扉をノックする。


 ───コンコン。


「爺様。少し教えてもらいたい事があるんですが、今お時間ありますか?」


 しかし扉からこれといって反応はなく、ノブを回しても鍵がかかっているのか開く様子はない。

 リーファは少しだけ後ずさり、扉をぼんやりと眺めて唸り声を上げた。


(これはもしかして………用向きを考え直さないと、駄目なのかも…)


 リーファの頭の中で一つの仮説がよぎる。根拠は全くないが、リーファがここに来たでは、この扉が開かないような気がしたのだ。


 溜息を零し、リーファはテーブルに置いていたバスケットを手に取って、もう一度ノックをしてみた。


 ───コンコン。


「爺様。マロングラッセを作ってみたんです。

 作りすぎちゃったので、少しおすそ分けに来たんですがー」

「───おお。ありがたいのう。開いておるから入っておいで」


 今度はすんなりと、しかも割と近い場所から返事が聞こえてきた。

 錠が外れた音はしなかったが、ノブを回したら扉が開いたのだった。


 ◇◇◇


 ラッフレナンド城、執務室。

 ”マスクを三枚重ねてつけていると声があまり響かなくなる”───そう日記に記されていたので、その通りにマスクをつけたリーファが、司書室での会話の報告をしていた。


「…それで?」


 少し苛立たし気に相槌を打つアランに、リーファは念を押すように言った。


「だから、今言ったとおりです。

 マロングラッセ食べて、紅茶飲んで、魂騒動の時のお礼をして、ちょっと世間話して、帰ってきました」

「そんな事を聞いているのではない」

「爺の事、聞いてきてくれるって話だったじゃないか」


 アランとヘルムートが不満そうにリーファをなじる。


 ───魂騒動の折、アランは禁書庫の老人の手引きでラダマスの城へ訪れたらしい。

 更に、司書室がラダマスの城のすぐ側と繋がっていたのだとか。


 その辺りの事情を老人から聞く為に、時々お菓子を持ち込んでお喋りに行っているリーファが禁書庫へ行く流れになったのだが───結果として、こう報告せざるを得なくなってしまったのだ。


「今回の魂騒動、爺の助けなくば打開策は見出せなかった。

 今回に限った話ではない。我々の窮地に、爺はなんらかの形で関与してきた。

 爺の司書室がグリムリーパー王の居城と繋がっていたなど、普通にありえん話だ」

「十年以上前の生命維持装置の研究も、思えば未来を予見していたとも言えるし…。

 ああ、なんで今までその事を気にも留めなかったんだ…」

「『教えて欲しい』って言ってノックしたら開けてくれなかったんですよ?

 入れてもらった途端話を戻したら失礼じゃないですか」

「でも部屋には入れたんだから、お茶の合間に話してみればよかったじゃないか」


 ヘルムートの指摘はもっともだ。結局は扉を開けてくれたのだから、入った後に話を切り出してみる方法はあったのだ。

 だが。


「…なんか、聞いちゃいけないような気がしたんですよね」

「なんかとはなんだ、なんかとは」


 曖昧な回答を問い詰められ、リーファは少し黙り込む。決して、なじられて拗ねているのではなかった。


「…爺様の事は、あんまり詮索しない方がいいような気がして…」

「どういう事だ」

「なんか、いなくなりそうな気がするんです」


 執務用の椅子に座っているアランが、眉間のしわを深くする。『おかしな事を言っているな』とでも思っているのだろう。リーファ自身もおかしな事を言っている自覚はあった。


「…何か知っているのか」

「う、ううん。言ってしまって良いものか」

「命令だ。さっさと答えろ」


 厳しく命じられてしまい、リーファは堪らず身を竦めた。


 ───先の魂騒動以降、リーファに対するアランの態度はかなり軟化した。


 記憶が戻った頃は、『ああ、その瑪瑙めのうの瞳に閉じ込められたい』だの『この夕焼け色の髪を見ていると夜が待ち遠しい』だのと、まるで砂糖を煮詰めすぎて苦味が混じってしまったかのような言葉を吐き、リーファに渋い顔をさせたものだった。

 やがて、さすがのアランも『これは良くないのでは』と思ったらしく、最近は甘い言葉は控えめにして、触れ合いに重点を置くようにしたようだ。


 アランの態度が変われば、リーファの心持ちも変化する。


 今までアランの機嫌を見ながら恐る恐るしていた奉仕を、気兼ねなく行えるようになったのだ。

 リーファから話しかける機会が増え、休憩時の菓子の要望を受け付けたり、夜伽の提案をする事も多くなっていた。


 ”雨降って地固まる”というべきか。

 気付けば連れ合う頻度が増え、誰からも『ようやくなりましたねぇ』と言われるようになっていた───


 そんな訳で、アランから頭ごなしに怒られる事は無くなったが、こうして仕事が絡む場合はその限りではない。

 どうしても身は竦んでしまうが、公私混同せずにちゃんと仕事に向き合っているアランの姿は、リーファも一国民としてありがたいと思ってはいるのだ。

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