第23話 徒労に終わった夜に・2

 ようやく気持ちが落ち着いて来たのか、アランはおもむろに体を起こし、腕や首を回していた。

 一通り体をほぐし、アランはヘルムートとシェリーに顔を向ける。


「あれがいなかろうと何がある訳ではない。

 ここ数日声を聞かなかったからか、いなくても良いと思うようになっていた所だ。

 ヴェルナの”瞳”と同じなのだろう。時間が経てば気にならなくなる。

 ───明朝町を出て、城へ戻る。ふたりとも、準備してくれ」


(…拗ねてるなあ)


 その態度からは、半ばやけくそな感じがにじみ出ていた。しかし打つ手がない以上、そうやっていじける事しか出来ないのも事実だった。


「了解」

「かしこまりました」

「………ふん」


 こちらが呆れているのは分かっているようだ。

 面白くなさそうに一瞥して鼻を鳴らしたアランは、気を取り直してテーブルの上に置いてあったパンフレットを手に取った。


「ふふん、せっかくだから最高級のホテルとやらを満喫してやるさ。

 頼めばマッサージもしてくれるのだろう?

 このホテル自慢のデザートも、全て平らげてくれる」

「…視察の日にも一通りのサービスは受けてもらうつもりなんだから、あんまり羽目外さないでよ?」

「分かってるさ。まずは露天風呂とやらに行ってみるか。それと───」


 サービスの一覧表を確認し始めたアランを横目で見て、ヘルムートは彼に気づかれないようにこっそり溜息を零した。


 ◇◇◇


「それじゃあ明日起こしに来るから、今日はちゃんと寝るんだよ。おやすみ」


 ヘルムートと別れ、アランは一人用の寝室で独り立ち尽くす。


 しばらく部屋の中をうろうろしたのだが、何をするにも落ち着かず、結局眠る事にした。

 ホテル備え付けのバスローブを着たまま、厚手のブランケットすらかけず、ベッドに寝そべり天蓋を見上げる。


 窓の先に見える木々は風に揺れているが、音はあまり聞こえない。

 静かな、心休まる時間だ。あっという間に寝る事が出来るだろう。


 目を閉じて、ホテルでのひと時を思い出す。


 ───”黄金の杯亭”は、良いホテルだ。


 まず露天風呂を楽しんだ。夕焼けを眺めながら湯に浸かり、森をイメージしたらしい植樹された庭を眺めると心が安らいだ。


 夕食は、メインであるサーモンのポワレやフィレ肉のグリルに舌鼓を打った。宣言通り、デザートは全て制覇してみせた。


 マッサージというものも試してみた。裸にされ、寝台に寝かされて二人がかりで全身を揉みしだくのだ。体が温まる一方、場所によっては痛みを伴う事もあり、丸一時間喘ぎと悲鳴を上げる羽目になってしまった。


 でも───足りない。


(ああ)


 あの声が、聞こえない。

 喋り声が、笑い声が、困り声が、そして腕の中で上がる嬌声が。

 あれと一緒にこのホテルに来たら、どんな反応をするだろうか。


『体がぽかぽかですねえ。ここのお湯はお肌がツルツルになる効果があるそうですよ』

『そんなにデザートばかり食べると胃もたれしますよ。今日はここまでにしましょう。ね?』

『ぎゃー?!待って、待って!そこ!そこは駄目なんです痛いんですいやー?!』


 色々と想像していたら何だかおかしくて、クスクスと独り笑ってしまう。

 しかし、そうして笑っているのにも次第に飽きてきて、飽きを自覚した途端、気持ちが一気に沈んでいった。


(ああ───声が、聞きたい)


 リーファには決して言えない、素直な想いだと思った。

 声を聞けば、それだけで気持ちが幾らか楽になるはずだと。

 しかし、心のどこかでそれを否定した。


(違う。───私は、あいつらとは、違う)


 あの宿屋の男のように、吟遊詩人のように。

 リーファの”声”の魔性に踊らされている訳ではないのだと、言い切りたい。


 アランが求めているのは、リーファの”声”などではないのだ。


「リーファ───お前に、会いたい」


 リーファに言えない気持ちが、今度こそ口から零れて行った。


 リーファが見たい。困った顔も笑った顔も見たい。

 自分の周りをちょろちょろと動き回る所が見たい。

 膝にはべらせて、時折ちょっかいをかけたい。

 菓子を山と作らせて、夜は絵本を読ませて。

 思いつく限りの奉仕をさせて、ベッドの上で思うさまがらせたい。


 今まで共にしてきた事を全て。そして、これからしていく事を全て。

 リーファと共に、して行きたい。


(きっと…きっといつかは、戻ってくるはずだ)


 記憶を取り戻し、ほんの少し申し訳なさそうな顔をして、帰ってくるに違いない。


 その時が来たら、どんな顔で迎え入れてやろうか。

 笑って許してやろうか。怒って叱ってやろうか。


 いずれにしても、町を越え村を越えて追いかけていった事を伝えよう。

 それだけ心配したのだと、それだけ想っていたのだと。


 ───いつか訪れる再会を夢見ながら、アランは瞼をゆっくり降ろしていった。

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