第22話 徒労に終わった夜に・1

 ビザロの最高級ホテル”黄金の杯亭”。

 町の南東の一区画を丸々使った広大なホテルは、大理石をふんだんに使った建物、最高級の調度品、広い庭、そして舌の肥えた貴族すらも唸らせる料理の数々と、まさに一級品のホテルである。


 ヘルムートは、ここを今夜の宿にするとは思っていなかった。

 もう一ランク下の宿にすると思っていたのだ。翌週の視察の宿に予約をしていたはずなので、短い期間に何度も行くのはどうなのだろう、と考えてしまった。


 ガルバートから戻ってきたヘルムートは、駐留所にいた御者と合流し、共にホテルの廊下を歩いて行く。

 大体の事情は御者から聞いていた。だからアランの消沈している姿を見ても、大して驚かないと思ったのだが。


「うわあ」


 頑張って、驚かなかったと思いたい。しかし声だけは出てしまった。


 部屋のグレードはラグジュアリーあたりだろうか。

 右側にはベルベッド生地の天蓋付きベッドが置かれており、右奥はバルコニーになっているようだ。

 左側には暖炉とテーブルが置かれており、ちょっとした打ち合わせくらいは出来そうだ。左奥はトイレ付きバスルームが備わっているらしい。


 そしてアランは、テーブルに突っ伏してしんなりしていた。目を伏せてうつむいているシェリーが側に立っていなければ、テーブルのシミかと勘違いしたほどだ。


 ヘルムートは、後ろで控えていた御者と兵士達に声をかけた。


「君たちは自分の部屋へ戻っていてくれ」

「かしこまりました」


 御者と兵士は一礼して、廊下を後にする。どうやら階下に部屋を取ったらしく、彼らは階段を降りていく。


 扉を閉め、アランの席の向かいの椅子に腰かけた。シェリーに声をかける。


「話は聞いたよ、お疲れ様。

 お互い、徒労に終わっちゃったみたいだね」

「ヘルムート様も、お疲れ様でした」

「ああもう、本当に疲れたよ。ヴェルナに散々罵られちゃったんだから。

 こちらのキッツイ訛りこみで、『ふざけんな!一体あんたらは何をやってるんだ!』って」

「ほ、本当にそんな風に仰ったのですか?あのヴェルナ様が」


 シェリーが懐疑的になるのも無理はない。ヘルムートですら光景を目の当たりにして、これがあのヴェルナかと目を疑った程だ。


 少し切ったのかウィッグだったのか、以前見た時よりも髪のボリュームは控えめになっていたし、厚化粧もしていなかった。男物の貴族服を着崩して、必要がなくなったからか胸に入れていたらしいパットもなかった。

 その為、下品な程にグラマラスだった以前と比べて、今日の彼はスレンダーで逆に好感が持てた程だ。


「あれが彼の地なんだろう。普通に男物の格好をしてたしね」

「あの方が男性だったなんて、まだ信じられませんわ…」


 シェリーは頬に手を当てて肩を落とす。

 ヴェルナがラッフレナンド城に来た時、シェリーは真っ先に彼の”瞳”に魅了されてしまったのだ。未だ、あの長身グラマラスな魅惑の美女のイメージが付きまとっているのだろう。


「まあ僕は、自分の用事が一つ片付いたから、全くの徒労でもなかったんだけどさ。

 ───御者から大体の話は聞いたけど、もう少し詳しく教えてくれるかい?」

「はい」


 アランは未だテーブルに伏したまま動かない。

 シェリーはぽつりぽつりと、今までの出来事を話し始めた。


 ◇◇◇


 一通りの事情を聞いて、ヘルムートはひとしきり唸り声を上げた。

 こうなる事が分かっていたなら、わざわざ城の外へ出なくても良かったのでは、と思わずにはいられないが、何にしても後の祭りだ。


「グリムリーパーの城かー。さすがに行くのは非現実的すぎるなぁ」

「この場合、リーファ様の無事が分かっただけでも良しとするべきでしょうね」


 確かに、リーファにとってグリムリーパーの王の城は一番安全な場所と言えるだろう。行った事がある訳ではないが、少なくともの城の主はリーファを大切にしていると聞くし、こちらとしても場所が把握できているのは良い事だ。


 側女不在を快く思っていないヘルムートとしては、早く記憶が戻って帰ってきて欲しいのだが、こればかりはどうしようもない。


「…しかし、グリムリーパーが牧師をやってるとはなあ…。

 まあ、魂を回収するなら打ってつけなんだろうけど…なんか、気持ちいいものじゃないなあ」

「リーファ様が、ラッフレナンド城下の魂の回収を任されているそうですから…他の町も、そうなっていると考えるのが妥当なのでしょうね。

 ハーフばかりがいる訳でもないでしょうから、恐らく純血のグリムリーパーが人に交じって生活しているのでしょう。

 ………彼らも大変なのでしょうね」


 妙に同情的なシェリーが気になって、ヘルムートは揶揄からかうように冷笑した。


「ふふ、シェリーは、グリムリーパーがいる事を否定しないんだね?」

「リーファ様まで否定したくはありませんもの。

 ここの牧師も…胡散臭くは感じましたが、町の方々と友好を築いているようですし。

 人間とて、良い方も悪い方もいらっしゃいます。ならば…と思うべきかと」


 シェリーは、リーファの事に関しては肯定的だ。

 貴族の娘という窮屈な立場、エリナという師を持った結果、無駄に気位の高い居丈高な者をシェリーは好まない傾向がある。面と向かって歯向かう事はないにしても、好んで側にいない様子は傍目から見て分かりやすい。


 一方リーファは、グリムリーパーと人間のハーフである事に肩身の狭い思いをしているようだし、魔術の素養もある。控えめな態度に庇護欲が掻き立てられるのもうなずける。


「僕は…その考え方はあんまりないんだよねー。

 最近まで、身の回りには人間しかいないと思っていたから。

 それが、町中にグリムリーパーはいるし、サキュバスが襲撃してくるし、魔王とは顔を合わせるし…。

 本当、リーファが来なければこうはならなかったと思ってるよ」

「…何か、『リーファ様が城に入らなければ良かった』と聞こえた気がしたのですが?」


 シェリーの不穏な物言いに、ヘルムートは肩を竦めて応えた。


「否定はしないよ?」


 そのおどけた姿勢に、シェリーは少なからずショックを受けたようだ。


「…わたし、ヘルムート様はリーファ様に対して好意的なのだと思ってましたわ」

「ここ一年魔物絡みでごたごたしているのは、リーファがきっかけだっただろう?」

「そんなリーファ様に助けられた事も多いでしょう?」


 痛い所を突かれ、ヘルムートは思わず苦笑いを浮かべた。


「それを言われると弱いんだよなあ。

 僕はただ、波風を立てたくないだけなんだよ。アランの治世は穏やかであってほしいんだ。

 …今まで何事もなく過ごしていたのに、リーファが来てから急に慌ただしくなってしまった。

 それによって良かった事もあるんだけれどさ。

 このバタバタが良くない方向に進んでいかないか、心配なんだ」


 ヘルムートの述懐を、シェリーは心底呆れたようだった。


「らしくもない。リーファ様おひとりがいただけで国が傾くはずがありませんわ」

「…全くだ」


 思わぬところから声が聞こえて、ヘルムートは視線をテーブルに落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る