第11話 城暮らしの始まり・2

 あの時の事を思い出しながら、リーファはとりあえずベッドから立ち上がりソファへ移動していた。


 今まさに起きたばかりだが、体は思っていた以上になまってはいないらしい。

 体はそこそこ重く、ふらつきもあり、軋むような痛みは酷いが、歩けない事はないようだ。


 アランとヘルムートは向かいのソファに座って、コーヒーを嗜んでいる。

 アランが砂糖を大量にカップに投入しているのが気になるが、あまり深く考えない事にした。


「まあ、私はむしろその後の方が大変でしたけどね。

 王…先王陛下の魂、殆ど記憶が飛んでるんですもの。

 おふたりが動いて下さらなかったら、どうなっていたか」


 先王オスヴァルトの記憶を探ったリーファだったが、執政に関わる内容は殆ど残っておらず、主に若かりし頃の恋模様の思い出ばかりが思い起こされた。

 結局、一年執務を請け負っていたアランに泣きつく形で体裁を取り繕った形だ。


 一方身体面はそこまで酷いものでもなく、高齢にも関わらず一日三食ちゃんと食事を摂れる丈夫な胃袋は持っていたし、メイドに付き添ってもらっての散歩で役人を驚かせる事もあった。


 付き添われたメイド長には『女性への興味が失せてようやく年寄りらしくなりましたね』と褒め言葉とは言い難い、しかし以前はどんな人物だったのか察せられる一言を頂戴している。


「うんうん、よく頑張ったと思うよ。

 …ちなみに、アランがあの時『魂だ』って言ったら、どうするつもりだったの?」

「あー…そうですね。

 私が先王陛下の魂を出て行かないように体に押し付けるしかないですねー」


 その光景を想像したのだろう。ヘルムートが虚空を仰いで小首を傾げた。


「それは…シュールだね…」

「当たり前ですけどそんな状態ですから、会話位ならともかく、執政なんて出来るはずもありませんけどね」

「アランが『体』って言ったのは、ある意味間違ってなかった訳だ」


 そこで、今まで口を開かなかったアランが不満げにぼやいた。


「おかげでこっちは王だがな。全く…私はなるつもりはなかったのだが」

「しかし、殿下………いえ、陛下以外に選択肢はありませんでしたよ。

 第1子は逝去されてるし、第2子は継承権を放棄済み。第4子は十歳そこそこでは…。

 …そういえば、ヘルムート様は第2子だったんですよね?なんか、意外でした」


 ヘルムートに顔を向けると、彼は苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

 容姿はアランと似ているとは思わないが、その藍色の瞳だけはアランや先王オスヴァルトとの血の繋がりを感じさせる。


「僕は母親似だからかなあ。

 王政とかどうでもいいんだよね。ここにいるのも、アランの従者ってだけだし。

 アランも、王子として先王が認めてた訳じゃないけど、武勲を立てすぎたからなあ」

「先王は私の力を恐れていたからな。

 もう少し長生きできれば、第4子のアロイスに任せたやもしれんが…どの道過ぎた話だ」


 リーファもその意見には頷くしかない。


 アラン達の長兄であり王太子でもあった第1子ゲーアノートは、五年前に亡くなっている。

 後顧の憂いを考えるならば、すぐに次の王太子を選出しただろう。

 しかし結局先王オスヴァルトは、王子としての権限を持たせていたアランを王太子にはしていなかったのだ。


 また、ラッフレナンドの血筋自体は貴族間にも広がっていて、王位継承の条件に当てはまりそうな人物は何人かいたが、いずれにもアプローチをかけてはいなかった。

 第4子のアロイスの成長を待って、王位を譲るつもりでいた───と考えるのが一番しっくりくる。


「…そういえば、おふたりとも今日の御用は?

 世間話をしにきた訳じゃないですよね?」


 不思議な面持ちでリーファがふたりに問いかけると、アランが不機嫌に目を逸らし、ヘルムートが言い出しにくそうに顔を掻いた。


 先王の体に乗り移っていた時は、一応王としてふたりが接してくれていた為会話が成立してはいた。

 しかし先王が死に、リーファが目を覚ました段階で彼女の役目は終わっている。


 牢屋に放り込まれて尋問を受けた前科はついている訳だが、その件はお咎めなしという結論になっていた。


 つまり、もうリーファはここにいる理由がないのだ。

 出来ればさっさと家に帰り、長く無断欠勤をしてしまった診療所にお詫びの品を持って行きたい。


「あのね。アランが王位を継ぐに当たって、一つ条件がある事を伝え忘れててね」

「は、あ…それが私に関係あるんですか?もう用はないはずですよね?」

「受け取れ」


 ふて腐れた顔のアランから渡された書面に目を通す。

 リーファも何度か見た事がある。王だけが持つ事を許される朱印が捺された書状だった。もちろん、効力はこの国中なら一番強い。


 短く簡潔に書かれた文言を、リーファは読み上げた。


「『リーファ=プラウズ…この者、先王オスヴァルトの救命に尽力した功を称え、現王アラン=ラッフレナンドの側女に任ずる。』

 …そば…め?」


 聞きなれない単語に首を傾げていると、ヘルムートが要約してくれた。


「まあ要は、アランの愛人になれって事だね」

「はあ?!」


 寝耳に水の話に、リーファは素っ頓狂な声を上げた。

 ふたりを改めて見ると、ヘルムートは相変わらずのニコニコ顔で、アランは相当に不機嫌だ。


 はっとして、リーファは一ヶ月半前の事を思い出す。

 確か先王に乗り移る直前、ふたりが何かを話し合っていた。


(まさか。あの時にはもう───?)


「王位継承の条件に、妻もしくは側女を迎えている事が含まれていたのだ。

 王になる者が、女の一人も抱えていないのは体裁が悪いという話だ。

 しかし一ヶ月弱探して、条件を満たせる女はお前以外にいなかった。

 …まあ、庶民の小娘が一ヶ月近く城の一室で過ごしていたのだ。

 諸侯らにも噂程度に話は飛んでいたし、丁度良かったがな」


 アランが言っている事は理解できる。


 王の務めの中には、次期王位継承者の育成も含まれる。

 王子王女を育て、王に相応しい器の者に王太子を任ずる務めは、国の情勢を安定させる為に必要不可欠な要素だ。

 だから王となる人物が配偶者を持つ身であれば尚良く、最低でも愛人を抱えていれば、子を成し国を存続させる意思はある、と見なすのだろう。


 でもそれは、たまたま城に来ていただけの、貴族でも何でもない庶民のリーファである必要はない。

 あまりに荷が勝つ務めに、リーファは慌てて拒絶した。


「い、いやあの、家に帰して下さい。困ります!」

「奇遇だな、私も困っているのだ。

 深夜に不法侵入してきた庶民に、無理矢理なりたくもない王位に就かされて。

 おまけに色気も胸も無い小娘を側に置けとかな。

 拷問されていた方がまだましだ」


 魔物すら射殺しそうな眼光で睨まれ、リーファは身を竦ませる。この目で見つめられると、どうにも心臓に悪い。

 季節に不釣り合いな嫌な汗が、握りしめていた拳からにじみ出てきた。しどろもどろと言葉を返す。


「だって…それは、仕方が…なくて…!」

「さあ、私は腹を括ったぞ。───お前も腹を括れ」

「~~~~~~っ?!」


 かつてアランに言った事がそのまま返ってきて、リーファは声にならない悲鳴を上げた。


(何でっ…何で、こんな事に!?)


 頭を抱えて肩を落として、リーファは自問自答した。


 同胞のグリムリーパーにアランが殺されたら、国が荒れる元になっていたかもしれない。

 薬は、頼まれたから持ってきただけだ。

 正体は、『言わなければここから出られない』と言われたから可能性を賭けたに過ぎず。

 リーファが来なくても、いずれ大亡霊は暴れ出していただろう。浄化に非はないはずだ。

 先王を起こす方法は、リーファにはあれしか思いつかなかった。

 アランを王に据えたのだって、皆で打ち合わせた結果だ。


(ただ、守りたかっただけだったのに…!)


 毎日仕事に行き、お金に不自由なく、飢える事なく不便する事無く、”独り気ままに”暮らす。

 そんなささやかな平穏を守りたくて行動しただけだったのに、こんな事になってしまった。

 誰かに媚びへつらいながら、一所に留まる愛人生活など、考えただけでゾッとする。


「この部屋は代々側女が使う部屋だから、そのまま好きに使うがいい。

 …さて、明日からどうしてくれようか。

 そういえば先王がコレクションにしていた拷問器具があったな。

 色々試してみるのも面白い。庶民だからきっと体も丈夫だろうしな。ははははは」


 席を立ちながら告げられた物騒な発言に、リーファの顔色がより一層酷くなった。


 リーファの青い顔を見て満足したのか、アランは上機嫌に嗤いながら、部屋を出て行ってしまった。


 部屋に残ったヘルムートは、いきなり重大な務めを押し付けられて塞ぎこんでいるリーファをフォローしてくれる。


「ま、まあ、側女って、一応体裁もあるから、そうそう乱暴な事はしないはずだよ?」

「本当、ですか…?」

「………ごめん、アランの事だから保障はできない」


 ヘルムートの言で、リーファはがっくりと肩を落とした。

 今すぐ過去に戻って、アランに警告に赴く前の自分を殴りに行きたい。


「何で、こんな事になったんだろう…」


 涙目になりながら、リーファは静かにソファに突っ伏したのだった。

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