第二章 子守歌は絵本の中に

第1話 一週間が経って・1

 獣ですら眠りに落ちる夜の、ラッフレナンド城の一室。

 高級な家具で彩られたこの側女の部屋に、血生臭い匂いが立ち込めている。

 長らく香は焚いているが、それもあまり意味を成していないようだ。


 月夜に照らされ影が落ちる。


 天蓋つきのベッドの上で、小柄な女の体の上に男の体が覆いかぶさる。

 男がぬるりぬるりと動く度、女の喉元から悲鳴にもならない空気が漏れる音だけが聞こえてくる。

 めきめきめき…、ぶちり…、と、安物の肉を力任せに食い千切るような品のない音を立て、獣のような藍の眼光を持つ男はそれを満足げに咀嚼した。


 ベッドから絨毯に転がり落ちる、女の腕。

 腕の先からは血がゆるゆると零れ、赤い絨毯をより一層鮮やかに染めていく。


 口にあったものを嚥下した男は舌なめずりをしてみせ、女の下腹部に喰らいつく。

 女の体が小刻みに痙攣し、不穏当な音と共に臓物が引きずり出された。

 男の口元には肉塊がぶら下がり、もはや生きているのか死んでいるのかも分からない無残な姿の女を見ながらほくそ笑む。


 女の、瞳孔の開いた目が訴える。

 ───『どうして』、と。


 ◇◇◇


「っていう夢まで見てしまいました…」

「まあ…」


 ハンカチを手に半べそで訴えるリーファと向き合い、メイド長のシェリーは悲しそうに声を上げる。

 シェリーの後ろにはメイドが二人控えているが、彼女らの表情も渋い。


 ラッフレナンド城、側女の部屋。


 ただの平民であるリーファが、ひょんな事からラッフレナンド国国王アランの愛人───もとい、側女としてラッフレナンド城に住む事となって、早一週間が経過していた。

 城で不自由なく過ごして貰う事は、メイドにとって大切な事なのだろう。聞き取り調査の為、今日シェリーがリーファを訪ねてくれたのだ。


 シェリーは品のある美女だ。

 プラチナブロンドの髪をポニーテールで結わえ、透き通るような碧眼は宝石のようだ。

 身の丈は、成人女性にしては高い方だ。腰の位置が高いので、足が長いのがよく分かる。

 そして何より、メイド服越しでもよく分かるグラマラスな肢体は、溜息が零れる程の色気を放っている。

 王城メイドの容姿水準が高いのは他のメイドを見ていてもよく分かるが、シェリーは一際群を抜いていた。これで独身だというから更に驚きだ。


「そりゃあ確かに、色気も汁気もないし、胸はぺったんこだし、陛下の御眼鏡に適うとは思いませんけど。

 だからって、あちこち傷だらけにして寝るとかあんまりだと思いません?

 おまけに『苦痛に歪む顔が見たい』ってどれだけなのか。

 見て下さいよ、この痣」


 シェリーは親身になってくれるものだから、つい愚痴も進んでしまう。

 悲しみ半分怒り半分で腕をまくると、リーファの柔肌の至る所に痣と歯型が現れた。

 さすがに今すぐ服は脱げないが、傷は体中につけられている。

 服は長袖で襟元がすっぽり隠れるものを、足は厚めのタイツを履かなければならないほど全域に及んでいた。

 人の目が及ぶ手先や顔には手を出していないのが、リーファにとってはまた憎らしい。


 側女として住み始めてからずっと、リーファはアランから毎晩この手の仕打ちを受けていた。

 服を脱がされ、縛り上げられ、肌に痣をつけられ、噛みつかれ、言葉で責め立てられる。

 時には道具を使われ、時には酒や媚薬で酔わされ、肉体的にも精神的にも追い詰められる。


 抵抗など、最初から出来るはずもなかった。

 アランには『自分は人間ではない』と伝えてしまっているから、最悪”王を誑かした魔性”とみなされて処刑だってされかねない。


 リーファはベッドの上で、ただアランが満足してくれるのを待つしかないのだ。


「うわー、痛そう…」


 後ろで控えていたメイドの内、レモンイエローの髪をツインテールに巻いたサンドリーヌは、口に手を当てて露骨に顔を青くする。


「本当。お辛そうですね…。

 リーファ様は魔術、というものを嗜まれるのですよね?体を癒す術などはないのですか?」


 銀糸に近い金髪を編み込んでまとめているマルタに訊ねられ、リーファは渋い顔をする。


 かつて国を興した初代ラッフレナンド王が、魔術や魔術師を悪しものと排斥した思想。

 それは民衆にも広く浸透しており、ラッフレナンドでは魔術は忌避の対象となっている。

 兵役と薬草学に特化した国家となったのは、魔術に頼らない生活をする上で自然と育まれた文化なのだろう。


 そんな中、リーファは『病床に臥しあらゆる薬草を以てしても目覚めなかった先王を、魔術によって蘇生させた魔術師』という触れ込みで、アランの側女に据え置かれていた。


 勿論リーファが、グリムリーパーと人間のハーフという事は、アランとヘルムート、そして目の前にいるメイド長のシェリーしか知らない。


「回復の魔術は知ってるんですけど、傷を癒すとまた爪痕や歯形をつけてくるんで…。

 程々に残しておいた方が被害は少ないんですよね…」

「あ、ああ…そう、でしたか…」

「ああっでも、思いっきり噛まれて血が出た時があったんですけど、その時はすぐに止めてくれましたよ。

 なんか『コレジャナイ』って感じで。

 だから、血肉が好きとか、そういう怖い方じゃ、ないと、思うんですけど…」


 この城に仕える者として、城主の悪い噂を聞いていい気持ちはなれないだろう。

 困った顔をするメイド達に慌ててフォローしようとするリーファだが、あんまりフォロー出来てなくて余計に落ち込んでしまう。

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