第13話 王の旅立ち
翌日の朝。
大勢の役人や兵士達に見送られ、アラン達はお忍びの旅行に出かける事となった。
便宜上は、”翌週行われるラッフレナンド東方面の視察の下見”、という事になっている。
こういうお忍びの旅行は先王の時代には少なからず行われており、行事が絡まない限り外出する機会がない王を
人に任せる事が苦手なアランの性格から、アランが即位してからはあまり行われなくなってしまったが、出来ない事はないのだ。
正式な行事などで使われる豪華な馬車では目立つので、ワンランク低い箱型馬車を使う事になっている。
それでも官僚が使う事の多い馬車なので、居心地は決して悪くない。青いベルベッド生地の長椅子には綿がふんだんに詰められていて座れば体が沈むし、キャビンの装飾も悪くはない。
今回同行するのは、アラン、ヘルムート、シェリーと、御者一名と兵士二名の六名だ。
御者台に御者が、兵士二名がそれぞれ馬に騎乗して後ろに追随し、三人はキャビンにいる事になる。
見送りの者達に笑顔で手を振ったアランは、馬車へ乗り込んだ。程なく馬車は動き出し、ラッフレナンド城の城壁を抜けて石橋を通過する。
湖を渡り切って程なく、アランはキャビンのカーテンを広げて外からの視界を遮り、三人は座れるであろう長椅子に倒れこんだ。側にあった、椅子と同じ生地のクッションに頭を埋める。
「寝る」
一言そう呟いて、アランは
「どうぞ、ごゆっくり」
「アーシーで一度宿を取れるだろうから。休憩になったら起こすよ」
「………………」
向かいの長椅子に座っているシェリーとヘルムートの言葉に、アランは無言を貫いた。寝ている訳ではないのだろうが、当分の間は何があっても返事をしてこないだろう。
「…しかし本当に七日分片付けてしまうとはね」
「皆様のお力添えもあっての事ですけどね。
いつもこうであれば、リーファ様と過ごすお時間も増えますのに」
はあ、とシェリーが溜息を吐く。
───結局、昨日アランは丸一日かけて業務を黙々とこなした。
トイレ以外は席を立つ事もなく、昼食は執務室で済ませ、三時のおやつは気が散ると言って断った。
夕食の時点でペンを取る手が震えるようになってきてしまった為、簡単な軽食を取る程度に留めて、終わったのは深夜に差し掛かった頃だ。
そこから寝支度をしたので、結局四時間位しか寝ていないらしい。
勿論、アラン一人で成せた話ではない。
驚いた事に、『王がお忍びで出掛ける』と役人に通達した途端、皆が皆、積極的に仕事を引き継いで行ったのだ。
そして特に何も言ってはいなかったのに、『早く側女殿を探してきてあげて下さい』と口を揃えて言われてしまった。
リーファは、城の中では評判が二分されている娘だ。
庶民という身分、魔術という力、未だ子が成せていない事実もあり、上の役人達には好まれてはいない。
一方で、その性格の良さとアランの扱いの酷さによる同情心も相まって、下っ端の兵士達を中心に好感を持たれているらしい。
しかしこの状況に対して、リーファに否定的な者達すら『いなければいないで何故か気になる娘』と考えを改め始めている。
ヘルムートとしては、リーファに依存しすぎるのは快く思っていないのだが───
(もう手遅れなのか…?)
不安が
リーファがいて困るというのではないが、彼女が城にいるには側女という立場しか席はない。それは時間制限のある席だ。いつまでもという訳にはいかない。
(アランが正妃を娶れば、あるいは時間が、解決してくれる事もあるだろうと、そう期待する他ないのか?………僕みたいに………)
「ヘルムート様?」
声をかけられて我に返る。隣でこちらを覗き込んでくるシェリーに、ヘルムートは慌てて訊ねた。
「え、な、なに?」
ヘルムートの様子をしばらく見たシェリーは、不躾にヘルムートの額に手を当ててきた。
「熱は…ありませんね。
ヘルムート様も徹夜されていたので、調子が悪いのではと思ったのですが。
…しかし、陛下がああいう体たらくですので、ヘルムート様も調子を崩されては困ります。
わたし、御者台に座っておりますので、どうぞこちらの席を悠々とお使い下さい」
と言って、シェリーはさっさとキャビンのドアを開けてしまう。
馬車はまだ城下町を闊歩している最中だ。見慣れた街並みの空気が一気にキャビンに入ってきて、カーテンがばたばたと揺れている。
「き、君だって昨日は徹夜だったろう。
女性は体調を崩しやすいんだから、シェリーが自重しようよ」
「お心遣い痛み入りますわ。しかしわたしは
それでは失礼」
そう言うとシェリーは優雅に馬車の外へと飛び出し、さっさとドアを閉めてしまった。
しばらくして、御者が驚く声が聞こえた。キャビンにいたメイド長がいきなり御者台に上がってきたのだ。驚いて当然か。
賑やかな御者台が静かになっていって、何となく気になってアランを覗き込む。既に寝入っているようで、主はクッションに突っ伏したまま寝息を立てていた。
会話できる相手もいなくなってしまった事だし、お言葉に甘えてヘルムートも長椅子で横になった。クッションを枕代わりに、キャビンの天井を仰ぐ。
(恋なんて…そう簡単に割り切れるものじゃないんだよね…)
遠い先の問題ばかり気にしてしまう。悪い癖だ。
まずは目先の問題を解決していこう。そう決めて、ヘルムートはゆっくり瞼を閉じた。
◇◇◇
ガルバートへの道のりは、馬車で進んだ場合、片道で五日間ほどかかる。
朝、ラッフレナンドから出発した場合、マゼストの先にある町アーシーへ、夕方までには到着出来る。
問題は、次の町ビザロへ行くまでの距離だ。
朝、アーシーを発ったとして、ビザロへ到着するのは三日後の夕方頃になる。
その為、最低でも二回は街道で寝泊まりをする事になるが、宿を取れる宿場は二ヶ所しかない。
旅人は自然とその宿の世話になるのだが、大部屋にベッドがたくさん置いてあるようなプライベートのカケラもない施設で、ベッドの空きがなければ床でごろ寝をするような環境だ。
加えて、食事もあまり期待できるものではないという。
人によってはこの宿場のどちらかで腹を壊し、数日寝たきりになる者もいるのだとか。
アーシーの町を出た者はこの二つの宿場ですっかり疲弊し、何とか三日かけてビザロへ到着する事になるという。
もちろん、アラン達貴族はそれなりに対策をしてこの道を渡るようにしている。
宿は使わず宿場の側にテントを張り、持参した食料でこの二日間を凌ぐ。
城の生活に慣れて湯浴みの習慣があるアランにとって、風呂なしのキャンプは苦手だが文句は言っていられない。
時折、テントを襲おうと企む不心得者もいるから、決して油断は出来ない。
今回は、護衛の兵士が二人───実質三人───いるから、そう心配する事もないのだが。
旅人に易しい町環境を作るのも王の務めなのだが、この宿場周辺は特産になるものは何もない。
食材は隣の町からの仕入れ頼りと聞いているから、畑を耕すにしても産業を構築するにしても一からとなる。
実入りがあるかどうかも分からない場所に町を作るのは、これからの課題となるだろう。
◇◇◇
ビザロへ至るまでの道中は何事もなかった。
山賊による襲撃もなく、また誰かが山賊に襲われたという話も聞かなかった。
独りの女性が旅をしているという話も、これと言って聞く事はなかった。
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