第7話 声が嗄れた吟遊詩人

 引き寄せられた勢いで背中に何かが当たり、顔をそちらに向ける。


 背の丈はリーファよりも少し高いだろうか。波打つ黒髪をオレンジ色のバンダナでまとめている、同年代くらいの女性だ。

 肌の色は健康的に焼けていて、どこまでも見通せそうな空色の瞳が輝いている。服格好はリーファと似たり寄ったりの旅装風の姿だが、バンダナや衣服に宝石の飾り物を散りばめていてお洒落だ。


「そんなもんにしときなよ。この子、怖がってんじゃん」


 声は老婆のようだが、腕を掴む力はかなり強い。リーファを引き寄せて、じりじり男から距離を取ってくれる。


 男は不機嫌に鼻を鳴らした。どうやら顔馴染みらしい。


「ああ?うっせえな。歌えねえ吟遊詩人は黙って寝てろよ」

「飲みすぎて喉痛めただけだよ。すぐに治るさ。

 …それとも昨日の勝負の続きをするかい?オレと飲みで勝てたら、この子くれてやってもいいぜ?」


 勝手に景品のような扱いにされてしまったが、男は「ぐ」と唸り声を上げた。

 不敵に笑う女性と犬歯をむき出しにして睨む男の間で、しばらく火花が散る。

 ───が。


「ちっ!」


 男は舌打ちして、早々に背中を向けた。

 彼は宿屋の中の適当な席を見つけ、乱暴な音を立てて椅子に座る。周囲の男たちがやや遠巻きにする中、男は座ったままカウンターの老人に当たり散らした。


「おいジジイ!さっさと麦酒持ってこい!」

「でかい声出さなくても分かっとるわい」


 老人はこういう手合いの扱いにも慣れているのだろう。さほど急ぐでもなく、グラス片手にカウンターの奥の部屋へと引っ込んでいく。


 不満そうながらも男が静かになった事で、宿屋の中が次第に賑わいを取り戻していく。


 リーファも、肩から力が抜けて行くのが分かった。思ったよりも力んでいたらしい。小さく溜息をついて、女性に頭を下げた。


「あ、ありがとうございました」

「なあに、良いってなもんよ。困ってる時はお互い様さ」


 そう言って、気さくに女性は笑う。しかし、今さらっと何か言ったような気がする。


「…困ってる?」


 食いついたのが良かったのか悪かったのか。女性はリーファの肩をがっしり掴み、頼んでもないのに事情を説明してきた。


「そうなんだよー。

 オレは、サン=ルタルデ。吟遊詩人やってんだけどさ、昨日飲みすぎちゃって声ガラガラでさあ。

 このままじゃ、宿代も満足に払えやしない。

 で、だ。あのアンセルムから助けたお礼として、一曲歌っちゃくれないかい?

 客からチップをたんまり貰って、それを宿代に充てるって寸法さ」


 と、持っていた楽器をポロンと奏でる。丸みのある三角の形をした、何本もの弦を張った楽器だった。

 木製のようだがきれい磨かれており、ねじりや植物の葉のような模様が彫り込まれているそれは、一介の吟遊詩人が持つには品が良すぎるような気がする。


 吟遊詩人と言うものが何なのか、先程ニークに聞いていた為、何となくは分かっている。旅をして歌って生計を立てる、そういう稼ぎ方もあるのだと言うが、宿代や食事代程の額が稼げるものなのか。


 アンセルムだろうか。さっきリーファに近づいてきた大柄な男が、こちらに向かって大声を上げた。


「けっ、チップは出さねーぞ!」


 吟遊詩人の女性───サンも、負けじとアンセルムに言い返す。


「お前にゃ頼んでねーよ!なあ、どうだい?」

「歌…」

「ここいらの曲なら一通り弾けるぜ。あんたが知ってる歌でいいんだ」


 食い下がるサンに気圧けおされて、リーファはおずおずと歌の名前を口にする。


「”救国の聖女”の歌なら、さっき教わったからなんとか…。

 でも、人前で聞かせられる出来かは…」

「おっし決まりだ」


 サンは早速楽器をポロンポロン鳴らし、演奏の準備をし始める。

 リーファは慌てて、彼女を呼び止めた。


「ち、チップを出してもらえる自信はないんですけど?」

「いーんだよ。あいつらは女の子に飢えてんだ。可愛い女の子が歌ってくれるだけで大喜びさ」

「そうかなあ…」


 ちらっと周囲を見回す。


 店主らしき老人は、アンセルムの所へ麦酒とつまみを持って行っているようだ。

 仕事を終えたらしい男たちがちらほら入ってきて、各々席について食べ物を注文している。

 給仕の女性達もにわかに動き出し、慌ただしくなっていく。


(わ………緊張、してきた…!)


 大衆の前で歌う、という事実にリーファは身が竦んだ。自分の鼓動が早くなっていく。

 多くの人たちは飲み食い喋りに夢中のようだが、曲が始まればこちらを見てくるだろう。多数の視線に晒される。恐怖以外の何物でもない。


『周りの人が気になるんなら、人だと思わなきゃいいのさ。かぼちゃか何かだと思えばいい。

 せっかく歌えるようになったのに、歌わないなんてもったいないじゃないか』


 教わっている間、ニークが言っていた事を思い出す。


 ニーク自身は、歌っている自分を見て欲しいらしいのでそうは思わないそうなのだが、もし人の目が気にするなら、そういう考え方を持つのもありなのだと言っていた。


(…でもこの場合、かぼちゃっていうよりは………ジャガイモ?)


 土地柄か、顔やら服やらを泥や土埃で汚している客がそこそこ多い。外にいる事も多いのか、日焼けもしやすいのだろう。かぼちゃというよりはジャガイモに近いのではないか。


 ふふ、とリーファは笑った。ジャガイモが建物の中でゴロゴロ転がって話し合っている。不思議な光景だ。


「さあさあ、皆、聞いていってくれ!

 今日の曲は、ここらでおなじみの”救国の聖女”の歌だ。

 上手く歌えたら拍手喝采と一緒に、心ばかりのチップをお願いするぜ!」


 リーファの目の前に楽器のケースを開いた状態で床に置いたサンが、嗄れた声を精いっぱい宿屋に響かせる。


「へえ、俺たちに”救国の聖女”の歌を聴かせるたぁ、いい度胸してるじゃないか」

「音痴だったら承知しねえぞ!」

「うるせえな黙って聴いとけ。むせび泣いて飯代以上にチップ出すんじゃねーぞ?」


 チップをもらう立場なのに、ついでに言えば歌うのは自分じゃないのに、サンは何だか偉そうだ。


(ジャガイモ…ジャガイモ…ジャガイモ畑…)


 リーファはサンに背を向けて、深呼吸をした。


 サンの荒っぽい性分とは裏腹に、しっとりとした楽器の音が建物中に広がっていく。


 曲に合わせて、リーファは大きく息を吸った。

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