第12話 魔王との邂逅・1

 ───どさどさっ!


「めぎゃっ?!」

「あぐっ?!」


 一面真っ白な庭園は、一瞬にして城を思わせる厳かな石畳の空間に早変わりした。

 しかし情景を満喫する前に、リーファとアランはレッドカーペットに叩きつけられた。


「いったたたた…」


 最初にカーペットに接触した腕と膝に痛みが走ったが、高さはそれほどなかったのか動けなくなるほどではない。

 状況を確認すべくリーファは顔を上げ───次の瞬間、理解した。


「遅いから心配したではないか、リャナ」


 そう言いながら鎧を軋ませ歩いてきたのは、一人の大男だ。

 大男、と表現したのは、人間の基準で言えばあまり見かけないほどの身の丈だったからだ。長身のアランよりも頭二つ分くらいは高いかもしれない。


 どこまでも深い闇色の全身甲冑。腰には金縁の黒い鞘の剣を帯びている。素顔を晒しているが、人間のそれよりも大分色白い。赤い瞳、雪のように煌く白銀の長い髪を持つ美丈夫。


「まぁあの老人の事だ。菓子や箱庭をちらつかせてそなたの興を誘ったのだろうが。

 まさか丸三日も抑留させるとは…ラダマスも物好き───もとい、リャナも随分気に入られたものだ。

 さすが、私の娘と言うことでもあるがな。ふふん。

 ───さあ、あの何もない城で年寄りに付き合わされてさぞ疲れた事だろう。

 今日の所は早めに休んで───うん?」


 優しい声音で話しかけてきて、その相手が自分の愛娘ではない事に気づいた男は、その場で立ち止まり可愛らしく首を傾げた。


「………誰かね、そなた達は」

「魔王…陛下…っ?!」

「いかにも。私が今生こんじょうの魔を束ねる王、魔王だが」


 眼前にいたのは、ラッフレナンドの北方にある魔王領を統治している魔物達の王、魔王だった。


「ま、魔王だと…!?」


 アランの絶望的な声音が、後ろから聞こえてくる。

 当然と言えば当然か。身の置き所がないグリムリーパーの王城から無事帰れるかと思えば、今度は魔王の眼前だ。これが夢であればどれほど楽だろうかと、普通ならば考えるだろう。


(あ───この状況、すごいまずい)


 リーファは思い出す。

 アランはラッフレナンドの王で、ラッフレナンドと魔王領は隣接していて、且つ領地を取り合う状況だ。ここでアランが敵対している国の王だと知られたら、どんな結果が待ち受けているか。


「わ、わ、わたっ…私…あのっ!」


 体中から汗が噴き出てくる。緊張で体が震え、目眩めまいすら覚える。

 慌てて言葉を紡ごうとして、何とも情けなく両手をばたばたと動かして気を引く事しか出来ずにいると、魔王は何かを悟ったようにリーファを手で制した。


「ああ、話さなくてもいい。

 そちらの人間はともかく、そなたは私を『魔王陛下』だと言うのであれば、そなたは私を知っていて、加えて私に忠誠を誓う者なのだろう。ちょっと心当たりはないが。

 …うむ、どうやら直接体に聞いた方が良さそうだ───目を閉じるがよい」


(物分かりが良くて………ありがたいって言っていいのかなぁ…?!)


 何とも複雑な心境を抱えていると、魔王は片膝をつき、逞しい人差し指をリーファに近づけてくる。

 目を閉じていいかダメなのか悩みつつ、意を決してリーファは目を強く瞑った。


 魔王の指先はリーファの額に触れた。触れられた場所がじわりと温かくなって行き───そして。


 ───ジリッ


「うっ───あ、あ…っ?!」


 次に来た感覚にリーファは眉をしかめた。


(やだ………なに、これ!?)


 指先に力が入らない。体が動かない。それと同時に、体の中をかき乱すような不快感が額から広がっていく。


「ぐっ…ううぅっ…!」


 感じた事のない感覚から苦悶の声が上げていると、魔王から労わりの言葉がかかる。


「すまないな。こういう小手先の術は苦手なのだ。

 だが恐れることは無い。力を抜いて、ただ受け入れるだけでよい」


 なだめるように背中を撫でた魔王の一言で、リーファの苦痛は少しだけ収まっていく。


「…ふむ」


 少し間を置いて、魔王がその指先を離すと、


「───っ!」


 リーファの全神経が一斉に解放された。体の主導権が戻ってきて、一度だけ体が大きく震えた。


「はあっ、はあ…はぁ………あぁ………うぅ………!」


 体中をかき乱す不快感は途切れ、肢体も動くようになる。解放された途端息が上がったので、どうやら呼吸も満足に出来ていなかったらしい。


「…大体の事は理解した。

 そなたはエセルバートの娘、リーファだったな。

 以前来た時はグリムリーパーの姿を取っていたが、今回は人間の身でこちらへ訪れたか」


 どうやら、魔王はリーファの額に触れた事でこちらの事情を読み取ったらしい。

 記憶を読み取ったのか、思考を読み取ったのか。どちらかなのかは分からないが、これが魔王の力なのだろう。


(そっか…あの時は、グリムリーパーの姿で来たから…)


 人間の自身は魔王とは初対面だった事をようやく思い出し、リーファは呼吸を正しながら頭を垂れた。


「き、急な謁見で申し訳ありません。

 …ご無沙汰しております、魔王陛下…」

「うむ。そなたも元気そうで何よりだ」


 言いながら、魔王は手を差し伸べてきた。その手を差し出すと、リーファの体を起こしてくれる。


「…して、そちらはラッフレナンドの王だそうだな」

「「!」」


 アランとリーファが、同時に息を呑んだ。


 魔王の視線は、既にアランの方に向いている。


 リーファの手を離しそちらへと魔王が歩こうとしたので、リーファは慌ててアランとの間に割って入った。


「あ、あの、魔王陛下…その」


 さっきも似たような事をしたと思いながら、困り果てた顔で大柄な魔王を見上げる。


 魔王はそんなリーファを見下ろして怪訝そうに眉根を寄せたが、こちらの気持ちを汲んだのか朗らかに笑ってみせる。


「何を心配する事もない。私は一個人として彼と話をしたいだけだ。

 とって喰おうなどとは考えていない」

「は、はあ…」


 そうは言われても、不安が解消されるはずはない。

 おろおろしている間に魔王はリーファの横を抜け、座り込んだままのアランの前に立ちはだかる。


「お初にお目にかかる。ラッフレナンドの若き王よ。

 私は魔王。そなたの領地、ラッフレナンド領に隣接する魔王領の主である。

 ───古今、我等は互いに領地を取り合う仲。

 こちらは昨年、国境アキュゼの侵攻に失敗したばかりで、そなたもまた私に思うところはあると思うが。

 まずはそのむき出しの敵意を、一度治めてはくれまいか?」


 魔王の後ろからアランを見下ろすと、その右手に抜き身の短剣が握られていた。長剣を持ってくる余裕はなかっただろうから、護身用だろう。


(この状況で魔王陛下に抵抗しようと…?)


 リーファの背中に冷たいものが走る。


 アランは歯がゆそうに眉根を寄せたが、やがて諦めたようで短剣を魔王の足元に放った。

 すっとその場から立ち上がり、魔王を睨み上げる。握り締めた拳を、わずかに震わせて。


「…私は、アラン=ラッフレナンド。ラッフレナンド国の、王だ」


 アランに名乗り返され、魔王は満足げにうなずいた。


「アラン。良い名だ。そして良い目をしている。

 騎士…ではないな。戦士としての矜持を持ち合わせた目だ。

 誰かを護る為に剣を振るうのではなく。

 眼前の敵のその喉元に、いかなる手段を用いて迅速に剣を突き立てるか。

 ただそれだけを夢見る、とても強固な瞳だ。

 …ふふ、誰かを思い出してしまうな」


 上機嫌に思い出し笑いをした魔王は、足元に転がった短剣を拾い上げる。

 刃を摘み、


 ───パキンッ!


 容易くその切っ先をへし折り、残った柄の方をアランに差し出した。


「私と違って、王の身分ともなると剣を振るう機会はないのだろう。

 だが、王とは常に国民全ての見本。

 なまくらな剣など持っていては、兵の士気にも関わろうというもの。

 …私の宝物庫を見ていくかね?そなたが気に入るような剣もあるとは思うが?」


 不機嫌に舌を鳴らしたアランは、乱暴にその短剣を受け取った。ほぼ意味を無くしてしまった武器を、鞘にしまいこむ。


「いらぬ世話だ…!」

「…ふむ、残念だ。武具が好きそうに見えたのだがな」


 犬歯をむき出し睨み返されてしまい、魔王は残念そうに肩を竦めた。


(…なんだか、ラダマス様を見ている気分…)


 ラダマスがアランに向けていた感情に似たものを覚え、リーファは不安を覚えた。


 魔王の表情は、アランを何か面白いものとして扱い、楽しんでいるように見える。

 人間の、加えて一国の王という滅多に会う事のない人物ともなれば、興味も湧くのも仕方がないのかもしれないが。

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