Ⅱ.

第七章 小さな災厄の来訪

第1話 その災厄は唐突に

 ラルジュ湖の中に王城が臨めるラッフレナンド城下町の昼は、多くの人達で賑わっている。


「いらっしゃいー、いらっしゃいー。じゃがいも安いよー」


 八百屋のおばちゃんの声が、はつらつと街路に響く。子供達がはしゃぎながらどこかへ走っていく姿も見える。

 町の中央にある大きい噴水は、ランドマークとしての役割がある。恋人達の待ち合わせ場所としても有名らしく、人を待つ着飾った男女の姿がちらほらと見られた。


 そんな中、兵士達の巡回も抜かりはない。

 小国とはいえ町は広いので、鎧を着込んだ兵士数名が定期的に町の中を歩き回る。

 彼らの厳しい眼差しが、町での犯罪の抑制に一役買っていると言っても過言ではない。


(いつか、あんな風に…)


 きびきびと規則正しく行進していく巡回兵の姿を眺めながら、少年ノア=アーネルはそう思う。


 彼もまた、城に仕える兵士の一人である。

 先日訓練課程を終えたばかりで、まだ正式な配属は決まっていない。

 その為、上官について回って城内の見回りをしたり、勉学や剣の稽古に励んだりするのが業務になってはいるが、そんな日常にほんの少し苛立ちを覚えている頃合でもあった。


 出来る事なら、兄達のように外を見て回って、戦場で戦果をあげたい。国に貢献したい。その気持ちが彼にはあった。

 だが気持ちが強くても、体がついていけなければ意味がない。

 彼は同僚達と比べても小柄で、体力もあるとは言えない。

 さすがに着込んだ鎧の重さでふらつく事は減ったが、剣術稽古をしているとつばぜり合いでどうしても競り負けてしまう。

 兄達を見ている限り、いつかは背も伸びて筋肉もつく見込みはあるのだろう。でもそれがいつになるか分からないというのは、ノアの心に大きくのしかかる問題だ。


 だから日々の鍛錬は大切なのだ。

 上官から、『買出しくらいで鎧と剣持って出向く奴なんかなかなかいない』と笑われようとも、ノアはやめるつもりは毛頭ない。帰る頃には後悔する事になったとしても。


(あれ…?)


 荷物と鎧と剣の重量に辟易へきえきしながら、ノアは不審な動きをしている小柄な人影を視界に留めた。


 身の丈は自分と同じくらいだろうか。フードを深々とかぶったマント姿の子供らしかった。

 それは城下の入り口に程近い民家の前をうろうろして、時々民家の中を覗きこんでいる。


 人影に心当たりがあったのではない。あれが見ている民家をよく覚えていた。

 少し前に、護衛の任に就いて一緒に行った事がある。城に住まう女性の実家だった。


 こんな真昼間に人通りの多い場所で空き巣、なんて事はあまり考えたくないが、何があっても後味が悪い。

 崩れそうになった荷物を抱えなおしながら、ノアはその人影に声をかけた。


「あの…そこの人?」

「えっ?」


 声をかけられるとは思わなかったらしい。人影はちょっとびっくりした様子で、恐る恐るノアの方を振り返ってきた。

 フードを取り、色白な肌と、波打つ金髪と、紅い大きな瞳をさらけ出す。女の子だった。


 想像していた人物とは大分違っていて、ノアは面食らった。

 ただの偏見かもしれないけど、とても泥棒とは思えなかった。清楚というか、気品みたいなものすらかもし出しているこんな子が、悪事に手を染めるような子だとは思いたくなかった。


 声をかけておいて情けないが、しどろもどろとノアは言葉を続けた。


「え、ええっと…な、何を、し、してるんですか?」

「あ…うん、えっとね。あたし、この町に住んでる女の人に会いに来たんだけど…」

「ここの方と、お、お知り合いですか?」

「うん。町入ってすぐの家、って聞いてたし。

 多分ここだと思うんだけど…留守らしくって。どうしようかなって。

 夜には帰ってくるかなあ…?」


 困り果てた様子で再び民家を眺める少女を見つめて、ノアは少し悩んだ。


(ここに住んでいた方は、今王城にいる…。

 でも王城には許可がない者は入れないから、この子を案内する事は出来ない…)


 しかし、何も言わずにこの場を離れるのは良心がうずいた。

 兵士が巡回するラッフレナンド城下であっても、夜はさすがに治安が良いとは言えない。

 いつ戻るとも知れない女性を待ち続けて、女の子がトラブルに巻き込まれる可能性だってある。


(あ、いや…この子に城下門の前で待ってもらって、あの方に来て貰えば…)


 最善の策が頭を駆け抜けた。これなら女の子も危なくならない。一件落着だ。


「…そ、そこに住んでいた方なら、今はお城にいらっしゃいますよ」

「え?」


 家の真横にあった物置小屋を眺めていた少女が、きょとんとノアを見やった。


「お城?なんで?」

「ぼ、僕も詳しい事はあんまり…」


 目に穴が空くんじゃないかという位に顔を近づけてきて、ノアはたじろいだ。

 良く考えたら、最近同い年くらいの女の子と会話なんてした事もなかった。それを思い出したら急に動揺が走った。


(何を、言えばいいんだっけ?)


 戸惑っていると、少女はノアをじろじろと眺めつつ、首を傾げながら聞いてきた。


「あなたもしかしてお城の兵士さん?」

「は、はい。まだ、見習い、ですけど」

「あたしと同い年くらいかな?それでお城でお仕事ってすごいねー」

「そ、そうですか?」

「ネェ、オニィサン?」

「は、はい?」


 再び顔を覗き込まれた直後。

 いきなりノアの視界がぼやけ始めた。


「???」


 少女の紅い瞳だけ鮮明に。しかしその周りの景色はぼんやりと。灰色に濁っていく。

 鎧の重さも、手荷物のわずらわしさも、全てが遠くなっていく。


 焦点が合わない視界の端で、少女の口と思しきそこが毒々しい声音を吐き出した。


「アタシノ、オネガイ…キイテ…クレルヨ、ネ?」

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