第14話 退路、断たれる
次の日、朝になって第一報をシェリーから知らされ、リーファは支度をそこそこに執務室に飛び込んだ。
「マイサが城を飛び出したって本当ですか?!」
丁度その時、アランが執務机に、ヘルムートは彼の前に立っていて、書類の説明をしている所だった。
リーファの顔を見ると、ヘルムートはにこにこと、アランは機嫌悪く応える。
「おはよう、リーファ」
「執務室へ入ってきて挨拶の一つも出来ないのかお前は」
当然の事を指摘され、リーファは扉を閉めてあわあわと頭を下げた。
「あ…う、すみません。おはようございます…。
で、ですね。マイサの事なんですが」
「ああ、出て行った。昨日の深夜の話だがな」
事も無げに言うアランを見て、リーファは困惑した。
深夜の時間帯は、城壁門も城下門も閉じられている。
一応、開けられない事もないと聞いているが、余程の理由が無ければ開門はしてくれないはずだ。
マイサは側女になる気満々だったから、アランが断らない限り城を出るはずもないと思っていたが───
「な、何で…?」
「何でって…ねえ?」
不安を覚える謎めいた笑みを浮かべ、ヘルムートはアランに顔を向ける。
つられてアランを見ると、彼はつまらない物を見るような目でリーファを睨んだ。
「お前の代わりになる側女を探していたのだ。
当然夜の務めも、お前にしていた事をそのままさせるつもりでいた」
鉄面皮でしれっと言われ、リーファの血の気がさっと引いた。
アランの加虐癖はリーファに限って向けられている───そう思い込んでいたから、ソフィやマイサに向けられる心配は全くしていなかったのに。
「え、あ、じゃあ、拘束具の…」
「ああ、させた」
「
「そこで抗議が上がったな」
「ま、まさか、ぎ、銀の杭とか、木馬も…?!」
「説明した所で逃げられたな」
「当たり前じゃないですかーーーっ!!!」
城全域まで届きそうな声量で、リーファは絶叫した。
あらゆる者の興味を引き付ける才”セイレーンの声”の力は、ガラス窓がびりびりと振動する程の威力を部屋に与えていた。ヘルムートはもちろん、アランですら顔をしかめて耳を塞ぐ。
興奮したリーファは息を切らしてアランを睨みつけるが、彼は両手を耳から離すと背もたれに身を預けて少し楽しそうに腕を組んだ。
「毎晩側にいさせるのだ。当然私の性的嗜好も理解してもらわねばなあ。
…ん?何か言いたい事がありそうだな」
「………っ!………っ?!………っ!!」
罵倒、叱咤、暴言、批判───言いたい事は山程あるのに、リーファの頭には何も浮かんでこない。口を魚のようにぱくぱくさせるだけだ。
「まあ、ソフィはともかく、マイサの方は側女に迎える気はなかったがな」
「あ、そうなの?」
「見てくれはこれよりもマシだが、私の”目”にはどす黒い物が見えた。
底なし沼のような強欲の持ち主だな、あれは。伴侶に迎える男が不憫でならん」
マイサに対する批評が耳を掠めて、リーファは少しだけ怒りを抑えた。
確かにマイサは玉の輿に乗りたがってはいたが、あんなものは庶民の女性なら誰もが思うものだ。彼女を『どす黒い』と評価したら、世にいる全ての女性など真っ黒になってしまう。
「い、いえ、あの子はそんな酷い子では…っ!
確かにちょっとせっかちで突っ走りすぎる所はありますけど、社交的で気配りが利く子で………は、あ、まずいです。
あの子の事だから、昨日の事を皆に言いふらしてるはず…」
「その心配はない。一服盛っておいたからな」
そう言って、アランは引き出しから瓶を取り出し机に置いた。
アランの親指位の大きさの透明の小瓶で、中には白濁色の液体が入っている。
「…これは?」
「自白剤だ。
味は甘めで飲みやすく、極めて効果は高い。
わが国が薬草学に特化している事を知っていたか?
副作用で、飲んでから数時間の出来事を忘れるおまけつきだがな。
床に着く前に酒と偽って飲ませたから、マイサは昨晩の事は何も覚えていない。
…今頃薬が切れて、何故自分が家に戻ったか、首を傾げている頃だろう」
「…そんなに効くんですか?これ」
怪訝な顔をして小瓶を手に取ったリーファを見上げ、アランは口の端を吊り上げた。
「ならば、お前は三日前の晩の出来事を覚えているか?」
「…三日前………ふたりを連れてきた日ですよね?
確か、陛下が、部屋に、来て………
件の日に飲んだ甘いお酒と同じ色の、白濁色の薬を見つめ、リーファの額からたらたらと汗が零れた。
(あの日、陛下と何話したっけ…?陛下が出て行ったのは、いつ?寝たのは───?)
アランが来たのは覚えている。しかし、酒を飲んでからの記憶が全く出てこない。
ただそれだけを思い出したら、背筋に冷たいものが走った。
アランは薄く笑っている。とても優雅で、とても残酷で、悪魔のような微笑みをこちらに向けていた。
「何を話したか。家に戻ったらどういう生活をしたいか、そんな話をしたな。
結婚観の話もした。好きな
家で過ごしていた時は、ウサギのぬいぐるみを抱いて寝ていたのだろう?」
「いや、え、あれ」
「半分グリムリーパーの血が流れている事に、負い目を感じているとも言っていたな。
魂が見える事で、肩身が狭い思いをしたと。
嘘を見抜く私に親近感を抱いたと。だが、恋愛感情というものはよく理解できないと。
…あと、私の顔は綺麗だが、好みじゃないとも言われたな」
話した覚えがない個人的な事柄が次々と吐き出され、リーファは懸命に記憶を掘り起こそうとする。しかし、その時間、情景、会話の流れなど、何も頭から出て来ない。
「あ、あの、それは…!」
「お前の記憶はどこから抜け落ちている?結婚観の話をした時か?
まさか…望むままに抱いてやったのに、忘れたとは言わんだろうな?」
「!!!!!」
リーファは言葉を失った。
アランはしてやったりという顔でほくそ笑み、ヘルムートはリーファの様子を眺めて不思議そうな顔をしている。
「ああ、あの時の記憶がないんだ。てっきり覚えてるもんだと思ってたのに」
「あれほどの嬌声を上げておいて、記憶が飛んでいるとはな。
我が国の薬も捨てたものじゃない」
「あ、あ、あ、あのっ、わた、私は一体何、なにを…!?」
「聞きたいか?」
にやりと嗤うアランに気圧されて、リーファは顔を赤くして目を逸らした。
「い、いや、やっぱりいいです!」
「いやあ、廊下にも声が聞こえてきて何事かと思ったよ」
「腰に絡まれた時は我が目を疑ったな。一体どこでそんな技術を覚えてきたのか。
…ああ、”オルロフの悲劇”シリーズだとか言っていたかな?」
「──────」
心臓が、止まった気がした。
どうやって息をしていたのか、思い出せない。
視界がゆっくりと濁り、アランの輪郭が歪んでいく。
程なく思考も鈍り、次に
意識が飛びそうになっている中、ヘルムートが興味ありげにアランに訊ねている。
「え、何それ?」
「今流行りの小説らしくてな。なかなか際どいせい───」
それはある種の生存本能だったのかもしれない。
「きゃー!きゃー!やめてぇー!!」
リーファは即座に正気を取り戻し、悲鳴を上げながらアランに飛びついた。机を回り込み、半狂乱でアランの口を塞ごうと手を伸ばす。
だが彼にはお見通しだったらしく、素早くリーファの腕を掴まえ阻止した。
「ぐうううぅぅ~~~っ!」
歯を食いしばり負けじと力を込めるが、非力なリーファが敵うはずもない。顔を真っ赤にしてしばらく抗ってみたが、やがて諦めて力を緩めた。
抵抗しないと分かると、アランは腕を引き寄せ、リーファの腰に左腕を回して抱き寄せた。
アランの愉悦に満ちた顔が目と鼻の先にある。
「側女候補は帰ってしまった。お前の代わりはいなくなったが。
…どうする?」
新たな知人を差し出せば、マイサと同じ目に遭うだろう。知人達は確実に悲劇に見舞われる。
隠していた事も言っていなかった事も、彼の前ではあっという間に露見する。ついでに弱みも握られた。
───退路は断たれた。
涙と一緒に、ぶわ、と溢れた感情が何だったのか。
満足そうに嗤うアランを見上げ、リーファは只々懇願した。
「陛下の側女でいさせて下さい…!」
「三日前に聞いた」
「ああもう、穴があったら埋まりたいです…!」
「それも聞いたな」
泣きたいやら恥ずかしいやら悔しいやら。
ない交ぜの気持ちを隠そうと、リーファは静かに両手で顔を覆った。
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