第15話 初夜は半信半疑の内に・1

(───嘆かわしい)


 今日の公務を滞りなく終えたアランが、2階の廊下を歩いて行く。階段の側に立つ衛兵の敬礼を素通りし、その足は階段を上がっていく。

 この時間は、昼間の賑やかさにわずらわされる事はなく、真夜中の静寂に嫌な事を思い出させる風情もない。実に心地良い時間だと言える。


(あんな女で我慢せねばならんとは)


 代わりの側女など、最初から期待はしていなかった。庶民の知人は庶民だ。大した女が来るはずもなかった。


 ソフィという女は、体は悪くなかったが従順とは言い難かった。研究者に向いているだろうか、と思ったぐらいだ。

 マイサという女は、一見従順に見えたが胆力に欠けていた。よく喋る女だったから周囲の受けは良いだろうが、それは側女には必要ない。


(しかし普段あれだけ痛い目に遭っていて、よくもまあ親しい知人を寄越したものだ)


 ヘルムートに、リーファを取り調べるよう指示したのはアランだった。

 マイサは彼女を快く思っていなかったが、ソフィは彼女を好意的に見ており、どういう基準で連れてきたのか気になったが。

 どうやら”独身で城入りに興味があるだけの女”を連れてきたようだ。


(馬鹿な女だ)


 アランの普段を見れば、代わりとなる女がどういう目に遭うか分かりそうなものだが、自分以外には優しくするだろうと期待したらしい。


(どんな女が来ようと、この”目”の在り方は変わらんという事か…)


 ソフィもマイサも、アランの”目”はその姿を黒く濁らせるだけだった。ソフィは大分マシだったが、不快である事に変わりはない。


 アランの足は、目的地である3階の側女の部屋で止まった。

 ノックもせずに部屋へと入ったが、リーファの姿はベッドにもソファにもいない。


 また禁書庫にでも行っているのかと訝しんだが、中ほどまで部屋に入ってきて、ベランダのガラス戸のカーテンが広がっている事に気が付いた。


(………カーテンが、怯えている………)


 我ながら馬鹿な事を考えたなとは思ったが、そう形容するに相応しく、カーテンが不自然に膨らみ震えていた。


 アランは溜息を吐き、怯えるカーテンに声をかけた。


「何を怯える必要がある。いつも成している事に毛が生えた程度の事だろう」

「…そ、そうなんですけど…」


 カーテンの端からおずおずと、リーファが顔だけを出してきた。


「何かこう、顔を合わせにくくて…」

「今更だな」

「…そう、ですよね」


 自分に言い聞かせるように言ってはいるが、彼女がカーテンから出てくる事はない。


 カーテンの端に手を伸ばすと、リーファはびくりと身を竦ませる。アランは気にせずにカーテンの奥から彼女を引きずり出し、抱え上げた。


「あ、あの、ちょっ…」


 恥ずかしそうに目を逸らしたリーファは、純白のネグリジェに身を包んでいた。

 シルクの透き通るような生地の先で、滑らかな白い素肌が露わになる。夜毎あざをこしらえていた体は、ここ数日触れていなかったからか随分綺麗になっていた。纏っている香りは乳香か。

 まるで初夜の花嫁のようだ。どうやら、事情を聞きつけたメイド達が気合を入れて手入れをしたらしい。


(ご苦労な事だ)


 メイド達の熱心さにほとほと感心しながら、アランはベッドの縁に座りリーファを膝に乗せた。


 アランを見つめてくる彼女は抵抗する素振りはないが、緊張しているのか顔が強張っている。


「…お前は言ったな。私の子を生みたいと」

「お、覚えてません…」

「だが私が死んだ時、私の魂にサイスは降ろしたくないとも言っていた」


 リーファの瑪瑙めのう色の瞳が大きく瞬いた。眉根を寄せて、不思議そうに小首を傾げている。


「…?そんな事を?何故?」

「自分が言った事なのに信じられんのか。

 …まあいい。その返事をし忘れていたからな」


 ふん、と息を吐いて、アランは目一杯意地悪に嗤って見せた。


「お前に魂を回収されるなど、こちらこそ願い下げだ」

「な…!」


 リーファが言葉もなくアランを見つめている。口をだらしなく開けて、何を言っているか分からないという風に。


 その顔が見たくて言ったのだから、アランの中では大成功だった。調子に乗って、更に畳みかける。


「どこまでも逃げてやる。お前は追いかけてくるな。

 逃げ切って、いつか大亡霊になってお前の眼前に現れてやろう。

 その体を食いちぎり、私の腹のうちに収めてやる」

「──────」

「その後の事は知らん。

 私の子がグリムリーパーの仕事をやると言うなら、浄化の刃とやらを受けてやってもいい。

 ………ん?何故泣く」

「…は?」


 言われて気が付いたらしい。リーファの頬を、涙が伝って零れ落ちている。


「え、あ、何これ。どうして…どうし、て…?」


 驚きながらネグリジェの裾で目を拭くが、何度拭っても止め処なく涙が流れ落ちる。この状況に、彼女は更に混乱しているようだった。


 予想外の反応をされ、アランは不満げにリーファを見下ろした。しかし一向に泣き止まない彼女に呆れ、アランは側女の頭後ろに腕を回した。引き込んで、自分の胸元に沈める。


 胸に押し付けられながら、リーファの戸惑う声が聞こえてきた。


「へ、陛下…?」

「生地が傷む。胸くらい貸してやるからさっさと泣き止め」

「は、はい…」


 身を小さくしていたリーファは、肩の力を抜くとおずおずとアランの背中に手を回してきた。

 それからしばらく、彼女は子供の様にすすり泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る