第13話 帰り支度の途中で

 次の日の朝。

 空の明るさがベランダから差し込んできた頃合いになって、側女の部屋にヘルムートが訪れた。


「おはようございます。ヘルムート様」

「やあ、おはよう」


 リーファは扉の前で恭しく頭を下げ、ヘルムートを部屋へと招いた。


 ヘルムートは部屋の中に入ってくると、中がやや雑多になっている光景を不思議そうに見回した。


「…ああ、荷物を片付けてたんだ」

「はい。…まあ、荷物らしい荷物もないんですけどね。

 片付けられるうちに片付けておきませんと」


 そう言いながら、ヘルムートをソファに促す。


 クローゼットに入っていたリーファの私物は、目の前のテーブルの上に置かれていた。

 家の鍵、呪い解析用の杖、時間つぶしに持ってきていた編み棒と毛糸、呪術関連の書物、色んな人とやりとりした手紙などは、広げた風呂敷の上でひとまとめにしてある。

 ここに来た時に着てきた服は、クローゼットにかかったままだ。


 呪い判別用の杖を手に取って、リーファは赤い宝石のついた装飾具を見下ろした。


「陛下に頂いたこれ…お返しした方がいいですか?

 宝石箱も、どうしたらいいかなって思ってて…」

「貰っておけばいいよ。

 報奨金は渡すつもりでいるけどさ。

 お金に困った時、こういうものは手元に残しておいた方が心配ないだろう?」

「報奨、金?」


 杖を膝の上に置いて小首を傾げるリーファに、ヘルムートは柔らかく笑った。


「解呪代だよ。

 二百年も前から王家に代々受け継がれ、教会関係者や研究者達を悩ませ続けてきた呪いを、君はあっさりと解いて見せたんだ。

 これで報酬を支払わないって周りに知られたら、『ラッフレナンド王はケチな王様だ』って馬鹿にされちゃうだろう?」

「ああ…」


 リーファから得心の吐息が零れる。忘れていた訳ではなく、金銭的報酬と結び付けていなかったのだ。


 呪いに組み込まれている魂や残留思念は、グリムリーパーの回収対象であると同時に主食でもある。

 服装は自在に変えられるし、睡眠も不要なので、グリムリーパーの務めに対価はほぼないと言っていい。


「今まで呪いを解いて褒美なんてもらった事がなかったので、何だか不思議な感じですけど………でも、そういうものですよね」

「なるほど、そうだったんだ。

 …僕達も相場が分からないから、安いか高いかはなんとも言えないけど。

 それなりに出すつもりでいるから、期待してて」


(側女の務めは果たせなかったけど、陛下の子孫を残す手伝いが出来たって思えば、まあまあ、頑張ったって思ってもいいのかな…)


 自分の中でそう言い聞かせ、リーファは恭しく頭を下げた。


「ありがとうございます。

 ………そういえば、今日の御用は?」

「ああそうだっけ。報告と、あと聞いておきたい事があってさ」

「はい、何でしょう」


 リーファは杖と一緒にテーブルの上の風呂敷を結わえてまとめ、荷物をソファに移した。


 テーブルに物が無くなったのを見計らって、ヘルムートは少し楽しそうに教えてくれる。


「ソフィは今朝方、城を出たよ」


 その話は、リーファも予想出来ていた。


「…ああ、やっぱりそうでしたか」

「心当たりがあったって感じだね」

「元々、お城に興味があって来た子でしたからね。

 側女とか、そういうしきたりに縛られるのに抵抗があるような話はしてましたし」


 うん、とヘルムートもうなずく。もしかしたらそんな話を彼も聞いていたのかもしれない。


「昨日は薬剤所や公文書館を見て回ってたみたいだね。あとは礼拝堂」

「そうなんですか?へえ…信心深い子なんですね」

「知らないの?」

「診療所でしか顔を合わせた事がなくて…一人暮らしとは聞いてましたけど、それ以上は」

「そんなもんなんだ。

 …いやしかし惜しかったなあ。顔はともかく、体はアランの好みだったろうに」


 ヘルムートはにこにこしながら、ソフィの体型を示すように両手で風を切っている。


 リーファは呆れの吐息を零した。


「そう言うと思いましたよ。

 …まあ私も、陛下はソフィみたいな体型の子が好みだろうとは思いましたけど。

 でもその様子だと、陛下の御眼鏡には適わなかったようですね」

「『悪くはなかった』って言ってたから、アランにとっては十分及第点だったと思うけどね。

 ソフィの気持ちを尊重したのかな。

 …そういえば、アランの才のような話を振ってたんだけど…何か知ってる?」


 う、とリーファはか細くいた。後ろめたい気持ちを抱えて、口を押さえる。

 嫌な予感はしていたが、どうやら探りを入れてしまったようだ。


「…ごめんなさい………嘘を見破る話をしたので…」


 ヘルムートは口をへの字に歪め、ほんの少しだけ語気を強めてリーファをたしなめた。


「だろうと思ったよ。話しちゃダメって言ったじゃないか」

「もっ、もちろん、言葉は変えましたよ?か、勘が鋭いとか、そういう感じで言いましたからっ。

 ソフィはオカルトめいたものが好きで、陛下の事が気になったらしく…。

 あ、あとマイサにはこの話はしてません…っ」

「…まあ、アランも途中から気づいて適当にあしらってたから、彼女に気取られなかったと思うけどね」

「………すみませんでした」


 肩を落としてしょげているリーファを見て、ヘルムートはすぐにクスクス笑いだした。

 本気で怒っているのかと思いきや、割とそうでもなかったようだ。


「大丈夫、気にしないで。

 …それで今日は、マイサがアランにくっ付いて回ってるよ。

 いやあ、何か彼女凄いねえ。

 アランの前だとおしとやかに振る舞うのに、目を離した隙に周りに話を聞いて回ってさ。

 色んな女性は見てきたけど、あそこまでの行動派はなかなかいないなあ」


 腕を組み、感心しながらヘルムートは笑う。


 リーファも、昨日マイサと一緒に城を見て回った時の事を思い出した。


 メイドが通れば美容のアドバイスを求め、役人が横切れば日々の勤めに庶民として感謝を述べ、衛兵を見れば仕事の奥深さに感銘を受けたりと、マイサを見た誰もが『彼女、すごいねえ』と言ったものだ。


「昨日、ヘルムート様に会いに行った後から夕方まで、目一杯時間を使って聞き込みをしてましたからね。

 人から情報を聞き出して、話を合わせるのが上手なんですよ。

 …あと、玉の輿に乗るのが夢だそうですよ、彼女」

「ああ、やっぱりね」

「出来る子なんですよ。

 自力でドレス作れる位裁縫は上手ですし、料理も得意ですし。

 美人でそつがなくて、診療所でも受けは良かったですし」

「へえ、随分彼女を買ってるんだね。

 その割には、彼女は君を快く思ってないように見えたけど?」


 そう言ってみせるヘルムートの表情は、笑っているような、悲しんでいるような、何とも複雑な感じだ。


 ヘルムートの才”山彦の耳”は、遠くの声や音が聞き取れるという。

 城内でのソフィやマイサの会話、あるいは診療所でのやり取りも、彼の耳には届いていたのかもしれない。

 その会話の中で、リーファに対する愚痴が出ていてもおかしくはないが。


「…元々、薬を届けに行くのはマイサの仕事でしたからね。

 診療所に行った時、恨み言を言われてしまいました。

 …ちょっと言い方がキツい子ですけど、根はいい子なんですよ?

 診療所に務めていた頃は、何度も助けてもらいましたから…。

 彼女には、幸せになって欲しいなあって思います」


 微笑を浮かべたつもりだったが、ヘルムートにはどう映ったのか。


(………?)


 どこか困った顔をしている彼を見て、首を傾げたが。


「ふーむ、なるほどねー…。

 …うん、ありがとう。そろそろ戻るよ」

「あ、はい。もう、いいんですか?」

「ああ。彼女達の人となりを聞きたかっただけだから。それじゃね」


 いつもの愛想の良い笑顔に戻った彼は、席を立って頭を下げたリーファに見送られ、部屋を後にした。


(…何だったんだろう…今の…?)


 閉じた扉を眺め、ヘルムートの表情の微妙な変化が気になってしまうが、考えてもどうにもならないような気がした。


 リーファは改めて、部屋を見回す。


 半年もの間ずっと使い続けてきた部屋だから、感慨深い思いがある。

 出来るだけ部屋は汚さないように努めていたから、ぱっと見汚れはないと思いたい。細かい汚れは城にいる人達で何とかしてもらうしかないだろう。


 気がかりは、禁書庫から借りた本だ。

 あれから禁書庫に時々寄ってはいるが、司書の老人が不在なのか司書室への扉は開かず、”セイレーンの声専用 子守唄の絵本”を返せていない。

 帰るまでに会えない場合、返却は誰かに頼むしかない。


(もしマイサが側女として認めてもらえなかった場合は、他の人を頼るしかないかなあ…)


 友達が少ないリーファの場合、紹介出来る女性が少ないのは悩ましい。学生時代の交友関係は広いとは言えず、元仕事先に相談しても良いものか考えてしまう。


(色々あったなあ…)


 気分転換に部屋のガラス戸を開け、西の庭園を見下ろす。


 今はバラが開花する時期で、ほんのりピンクがかったバラが庭園の一角を鮮やかにしている。カーネーションやポピーの花も可愛らしく、もしかしたら一年で一番華やかな時期かもしれない。


 色んな事があった。

 牢屋に放り込まれたり、大亡霊を浄化したり、側女として据え置かれたり、王家の呪いを解いたり。


 心に決めていた事もあった。叶う事はなかったけど、分不相応という言葉もある。

 自分には相応しくなかった、それだけの事だ。


「何にしても明日…かあ」


 見納めとばかりに庭園をぼんやり眺めながら、リーファは独りごちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る