カッコと子ども達




ルビーノは広間を過ぎた廊下の先まで私達を連れてゆく。

差し掛かった部屋の扉の前で止まると、その扉についた大きな硝子ガラスまどから部屋の中にいる少女を見つめて、小さな声で私達に話し始めた。


彼女はベッドで上半身だけ起こして日記をつけていた。


「彼女はチェルカ……17歳よ。3年前の災いの日に家族を亡くして、彼女自身も片耳の難聴なんちょう記憶きおく障害しょうがいになってしまった。爆撃ばくげき後遺症こういしょうでその日からあったことを覚えていられなくなってしまったの。頭の中の治療はとても難しくて今の医学では治療法がわからない。だから毎日ああやって、その日あったことを細かく日記に書いてるわ」


リヒトはじっとその子を見つめていた。

やがてこちらに気付いたチェルカちゃんは筆を持つ手を止めて、少し余所余所よそよそしそうにすると含羞はにかんで笑った。


手を振って笑顔を返したルビーノを見て、彼女はまた日記に筆を走らせ始める。

ルビーノは悲しそうに目を細めた。


「素敵な笑顔でしょう?優しくてとても良いお姉さんなのよ?でもね……彼女の朝は涙から始まるの。毎朝起きるたびにこの3年間のこと全てを忘れてて、彼女の記憶は14歳のあの日に戻っている。毎朝あの日の恐怖とかなしみに声を上げて泣くのよ?私は毎日彼女を必死に落ち着かせて、お友達になることから始めるわ。それから細かく傷病しょうびょうを説明して一緒に過ごすの。最初の半日は日記を読んで自分の3年間を埋めていく時間。もう半日は新しい毎日の息吹いぶきを吸い込みながら日記にしるす時間。つらいはずのに、合間に小さな子達の相手もたくさんしてくれるのよ?」


そんなのまるで地獄じゃない。そんなひどい話があるだろうか。

本当に争いなんてこの世から無くなればいい。どうしていつの世も、罪の無い人々ばかりが苦しまなくてはならないのかしらと思う。


「レノンもちゃんと聞くのよ?」


ルビーノの話を聞きながら、私はレノンの目を見て手をキュッと握った。

返事をするレノンの向こうでリヒトはひたすら黙って部屋の中のチェルカちゃんを見つめていた。


ルビーノは静かにそのリヒトの手を引きながら、今度は隣の部屋の前へ連れて歩く。

その部屋では若い看護師が付きっきりですすり泣く小さな男の子を看病していた。


「あの子はインペデ……7歳よ。でも他の7歳の子よりちょっと小さいでしょう?こつ形成けいせい不全ふぜんしょうって言ってね?産まれつき骨がとても弱くてすぐにれてしまうの」


───レノンと同い年の子だ。ああ……こつ形成けいせい不全ふぜん


私は思わずため息をこぼしてくちびるんだ。

骨が変形したりとにかくもろかったりでキチンと成長出来ない難病だ。毎日想像を絶する痛みで、くしゃみをするだけでれてしまう子もいる。


ルビーノは続けた。


「ひどい親御おやごさんでね……生まれて病気がわかった途端とたん、まだ小さかったインペデを近くの礼拝堂のそばに捨てたの。彼の痛みは私達には想像も出来ない痛みよ?心も体も。なのにインペデは涙こそ流しても今まで一切いっさい弱音をいたことは無いわ」


───信じらんない……。その親ども!子どもを何だと思ってるのかしら。


私は鼻息をあらくした。


「最初のうちは皆でその親御おやごさんを探し回ったけど見つからなかったし、やがて探すのも止めた。探す時間よりも少しでも一緒にいて寄り添う時間を選んだ。インペデはもう私達の家族だから……。名前も彼に相応ふさわしい……『立ち上がる』という意味からインペデと、ここの皆で名付けたのよ?」


それはまさに彼に相応ふさわしい素敵な名前だった。


「パミルネートの処方は?」


「さっすが先輩、情報が速い。認可が下りて最近処方しょほう始めました」


心配で思わず話に横槍よこやりを入れると、ルビーノは驚いた顔で振り向いた。


「まだ新しい薬だから、医師とこれでもか!ってくらい話し合って逐一ちくいちこの子の状態を報告なさいね。小さな変化も絶対見逃しちゃダメよ」


「はい!もちろんです!」


パミルネートは、ほんの数年前まで不治とまで言われた難病『こつ形成けいせい不全ふぜんしょう』にようやく見えてきたわずかな光だ。


ほんの最近になって作られた新しい薬で、一部で効果が認められ始めている。この薬がこの子達の救いになってくれることを期待されている。


それからルビーノは引き続き部屋の子達を案内しながら話してくれた。

その子達の抱える傷病しょうびょう。誰と誰が仲良しか。好きな食べ物、苦手な食べ物。特技なども。


生まれつき目が見えないけれど音だけを頼りに皆と仲良くなった子。


災いの日に両腕を失くしたけれど絵がとても上手な子。


気管きかん狭窄きょうさくしょうで上手く呼吸が出来ないけれど皆と遊びたくて懸命けんめいに治療する子など。

1人1人のことを丁寧ていねいに話してくれた。


ルビーノがある程度の案内をしてくれたところで私は彼女にお礼を言い、静かにここの子達を眺めていたリヒトに向き直って話しかけた。


「ねぇ、リヒト。さっきのソリディもね、見た目は元気だし年長さんとして皆の面倒まで見てあげてるみたいだけど、片方の目と耳が極端きょくたんに悪いの。それに何より、血友病けつゆうびょうっていうとても難しい病気を持っているのよ?」


「けつゆうびょう?」


リヒトは広間で子ども達と遊んでいるソリディに目をやった。


「そう。怪我をして血が流れても、他の人みたいに中々なかなか血が止まらない病気なの。数十年前までその病気の人は成人まで生きれなかった。ここ20年くらいでようやくその治療法に光が見えてきたの。リヒトも良く知ってる……フィブリーナよ」


「あ……」とリヒトは声をらした。


近年になって確立されつつある、とある技工士ぎこうしさんが開発した、鏡を利用して小さな目に見えないものを調べる『きょう透過とうか検微けんび』という検査方法は医学界に革命をもたらした。


医学の過剰かじょうな進歩は、まるで神の領域にまで手を伸ばすかの様で烏滸おこがましい……なんて怒って否定する人も昔からいるけれど、まさか空じゃなくて小さな小さな世界へ手を伸ばしたら進歩しただなんて、ある意味面白いお話だと思う。


それはともかくとして、血液の中に何があるのかも少しずつわかってきて、血液を固めるのにフィブリノゲンという物質が必要だと判明した。

そこから、この血友病けつゆうびょうに有効な薬の開発が始まっていった。


「フィブリーナとはまた全然別物べつものなんだけど、血友病けつゆうびょうに有効な薬が少しずつ確立されてきたの。でもまだまだ治療法も進化の途上とじょうだから、ソリディもあちこちの医療院に行きながら自分のやまいと戦ってるのよ?」


私はぐるりと院内を見渡した。







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