惜別と壮途



僕は何度も呼び掛けながら駆け寄り、震えながらゆっくりと手を伸ばすお父さんに思いきり抱きついた。


「お父さん!……お父さん!」


お父さんは何も襲うようなことはしなかった。

抱き締めるとも言えない程に力無く震える手を僕に添えていて、その冷たさに驚いた。


「あ…………ぁ……」


お父さんの目は赤黒く虚ろで僕のことを認識しているのかすらわからない。

ただひたすら低いうめき声を上げていて、その爪も指もがボロボロに傷ついていた。


「お父さん、ごめんなさい!」


こんなになってまで、ずっと僕を探してたくれていたのかと思い、僕は泣きながら思わず謝った。


「お父さん、何処どこにいたの?ちゃんと見つけてあげれなくてごめんなさい。勝手にいなくなってごめんなさい!」


僕は迸る感情のままに今までの生い立ちを話し始めた。


「僕、地下にいたんだ。ルワカナが助けてくれたの。おかげで生きてこれたんだよ?」


涙が止まらないまま次々と言葉があふれてきて、僕はゴホゴホとみながらお父さんを抱き締め続けた。


「お父さん!どうして屍人になっちゃったの?僕、たくさん新しい家族が出来たんだよ?なのに、ずっとお父さんを1人ぼっちにしてごめんなさい」


お父さんはずっとうめくばかりで何を言ってるのかわからない。

そのうちにみんなが近付いて来て僕達のそばに立った。


「リヒトの……御父上?」


「お父さんです!僕のお父さんです!」


僕は泣きながらノヴォさんを見上げて叫んだ。

その横でノシロンがいぶかしげに言う。


「間違いだろ?そんなことある訳ねぇ……」


「間違えるワケないよ!」


「なんでリヒトの親父が屍人になるんだよ……」


「わかんない!でも、僕のお父さんだよ!」


みんな驚いた様子で立ち尽くしていた。

狼狽うろたえるノヴォさんにカシミールが静かにたずねる。


「リヒトの父様とうさまが……ガリヤ人?」


「いや……そんなはずは……」


やがて皆はお父さんのてのひらにあるラズリの印に気付いて言葉を詰まらせた。


「クラウディア人が屍人化などあり得ない。何故だ?」


呆然ぼうぜんとするノヴォさんを、お父さんはうめきながらゆっくり見上げると静かにまた顔を下げる。

たまたまかもしれないけれど、一瞬それがまるでお辞儀じぎをしているように見えて、ノヴォさんも戸惑いながら慌てて返礼をした。


「お父さん、ごめんね。寒かったでしょ?痛かったでしょ?僕、何も親孝行出来なくてごめんなさい」


僕は繰り返しうめごめしか上げないお父さんをギュッと強く抱き締める。

冷えきったお父さんを温め直すように、泣きながら強くお父さんを抱き締め続けた。


「ウソだろ?……こんなことって……あるのかよ……」


ノシロンは信じられないといった声をらす。

冬の夜風も悲しそうに泣いている。


どうしてお父さんが屍人になってしまったかなんてわからない。それでも僕は会えたことへの感謝をめながら震えていた。


───ラズリ様……ありがとうございます。

───本当にありがとうございます。


みんな戸惑とまどって言葉をしまいこんだまま、夜風に吹かれて立ち尽くしていた。





「リヒト……」

暫くった頃、後ろで呆然ぼうぜんと眺めていたノヴォさんはやがて言いづらそうに静かに口を開く。


「わかってると思うが……屍人は……」


僕は顔を上げてゴシゴシと涙をぬぐった。

わかっている。それは初めてノヴォさんに会った時も、ピアナ様にも教えられていたことだった。


───屍人は見つけ次第、排除しなければならない


「わかって……います」


僕は一瞬、お父さんを戻せないのか、とも思った。だから返事をした後も少しの間動けずにいた。


───(リヒト………リヒト………)


いつも優しく名前を呼んでくれたお父さん。

おだやかな声。大きな手。暖かい笑顔。

その全てを昨日のことのように思い出す。


僕が取り戻したかった故郷は、お父さん達のいたあの温かい毎日だったのかもしれないと、奇跡を願うような色んな想いがめぐって、心の中の葛藤かっとうに体をしばられた。


それでも、もう二度とあの日々が戻ってくることはないんだ。


───お父さん……。


僕は強く強く唇をんで、顔を上げた。


「僕が……」


「おい、リヒト……」


右の腕当ての針を出すと、ノシロンが少し狼狽うろたええながら僕の肩をつかむ。

ノシロンらしくない、まゆゆがめた悲しそうな顔だった。


「大丈夫。大丈夫だから……」


そう言うと、ノシロンはゆっくりと手を下げる。

僕は鼻をすすりながらお父さんを見つめた。


「お父さん、ごめんなさい。あのね……僕ね……お父さんの言うような良い子になれなかった」


じっとお父さんの目を見つめると、その虚ろな瞳の焦点はふわふわと漂いながら、やがて僕の瞳と重なった。

また色んな思い出とたくさんの涙が溢れてきて、僕は泣きながらも必死に言葉をつむいだ。


「ラズリ様の印もね……傷つけちゃった。僕ね……たくさん辛いことがね……あったんだよ?」


声がうわずって上手く喋れない。

それでも必死に話しかける僕を、お父さんはただじっと見つめていた。


「お父さんは……真面目な人だから……僕のこと怒るかもしれないけど……。僕は……お父さんみたいな人に……なりたかった」


皆は黙って僕の背中を見守ってくれていた。


「もっと……お父さんと……一緒にいたかった」


惜別せきべつ壮途そうと狭間はざまにありったけの感謝を捧げよう。

お父さんが教えてくれたことは、僕の中に1つも欠けることなく残っている。

お父さんと歩んだ色々な思い出を胸に、僕は涙を流しながらも懸命に微笑みを浮かべて頭を下げた。


「……ありがとう……ございました……お父さん」


その時、お父さんは最後にもう一度か細い声を上げた。


「アィ……エ……ォ……」


その声は今までのうめき声とは明らかに違っていて、懸命に何か言葉をはっしようとしているように聞こえた。


僕は確かに聞こえた。それは決して聞き間違いなんかじゃあない。

僕は確かに聞こえたんだ。


──(愛してるよ……)


僕は泣きながら、もう一度強くお父さんを抱き締めて、首元にそっとフィブリーナの針を刺す。

お父さんは何も言わず次第に固くなって、僕のひざの上で動かなくなっていった。


「お父さん……」


僕は震える声で膝の上にお父さんをかかえて、固くなったその手を握りながら故郷の空に向かって何度も泣いた。


僕の初めての大きな罪。

それは、この手で父に別れを告げたこと……。


皇歴198年。その年の始まりの日。

空はまばゆい程の星達でめ尽くされていた。

いつまで経っても忘れることのない星空がそこにあった。


涙にまみれても、罪を背負っても、僕は歩いてゆく。


あの頃とても大きく見えたお父さんのネモフィラの入れずみは、少し弱々しく小さく見えて、握った僕の手にある傷ついた入れずみと寄り添うように花を咲かせていた。


2つのネモフィラを、僕の涙が濡らし続けていた。





   お父さん……

          ねぇ、お父さん……?


   僕もずっと……

             愛してるよ……










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