努力の道筋



彼は驚く私の所まで来ると、前屈まえかがみになって息を切らした。


「ビックリしたよ。見つけたと思ったらかばん投げて急に走り出すから……」


「どうしてここに?」


彼は息を整えながら頭を上げる。


「僕、最近よく走ってるんだ。カッコさんに聞いたら、多分カシミールはここだって。料理のお礼もしたくて、ついでに手伝えないかなって……」


───カッコねぇ。余計なこと言わなくていいのに……。


「名前も?」


「あ、カッコさんに聞いて。ごめん」


私は重たさにふるえる彼のひじからキルティングバッグをそっとつかんで手に持った。


「いいえ。ありがとう」


私は素直に感謝した。一瞬われを忘れて大切なバッグまで放り投げてしまった。

もしかしたら盗られていたかもしれない。


───大切なバッグ。彼のおかげだわ……。


私は少しれてしまったバッグの生地をそっとでて歩き出す。


「でも、もう終わったの。帰るわ」


「あ、持つよ」


無邪気に笑顔を見せて手を差し出す彼を見て、感謝はあれど私は戸惑とまどった。


まるで周りの人と同じような希望にあふれたぐな笑顔。

ホセさんのお店でノヴォ兄に聞いていたイメージと違う。災いの日に全てを失って3年も生き延びて、自ら印を傷つけて参戦を懇願こんがんする男の子。


私と同じように過去に足を向けた子だと思っていた。でも目の前の彼はみずから他人に近付いて、平穏へいおんな周りのクラウディアの人々と同じ笑顔を見せる。


どうしてそんな顔で笑えるのだろう。私は不可解ふかかいで言い様のない違和感いわかんを覚えた。


かまわないわ。怪我してる子に持たせる私の気持ちにもなって」


少し突き放すように言うと、彼は狼狽うろたえながら「うん」と答えた。


私は早く事を済ませたい一心で孤児院への帰りを急ぐ。

すると彼も後ろをついてくる。


「もう買い物はいいのよ?走らないの?」


振り向かずに言うと、彼は私に壁を感じたようにモジモジと申し訳なさそうに言う。


「あ、ええっと。少し話がしたくて……」


「私にはないわ」


「そ、相談に乗って欲しいんだ」


───まぁ。お礼なんて言っておきながら、本心は話がしたかったのね。用件があるなら最初からそう言えばいいのに。


黙々もくもくと歩く私の斜め後ろで、彼はすれ違う人の流れを戸惑とまどいながらけていた。


「なぁに?」


私は不必要に他人と関わりたくないけれど、バッグを失くさずに済んだ感謝もあったからそっと聞き返した。

わざわざ手負ておいでここまで来た年下の男の子を、これ以上突き放すのに可哀想な気持ちもあったし。


「僕、今ノシロンと手合いしてるんだ」


「知ってるわ」


私は横に並んで歩き始めた彼のあざをチラッと見た。


「僕、みんなと一緒に国をまもりたい。そのためにはひと月のうちにノシロンにさわらないといけないんだ。でも、1週間経っても全然駄目で……。どうしたらいいと思う?」


「どうして私に聞くの?」


「カシミールが一番すごいって」


そこまで言って彼は言葉をまらせた。


───カッコねぇね?バカ……。お喋りなんだから。


彼は改めて申し訳なさそうに言った。


「あ、ごめん。カッコさんにはカシミールの邪魔しちゃいけないってくぎされたんだけど、どうしても……。僕必死で」


「私のこと、どこまで聞いたの?」


「ノヴォさんの次にはやい。すごい子だって。立派だって」


そう言ってぐに私を見つめる。


───カッコねぇ、さすがに多くは言ってないのね。でもやめてよ、すごくも何ともないわ。私にあるのは復讐ふくしゅうへの執着しゅうちゃくだけだもの。立派でも何でもないの。

───彼も必死なのはわかるわ。でもどうしてそんなに未来を期待するような眼差まなざしが出来るのかしら。


私はまるで私と真逆の彼を不思議に思った。

本来他人になんて興味は無いけれど、何故かそこだけが引っかかった。


「走っても何してもノシロンのはやさにはかなわないんだ。どうすればはやくなれるの?」


「ノヴォにぃに聞いたら?私は上手うまく言えないわ」


「カシミールしかいないんだ」


確かにノヴォにぃはガリヤ人だし聞いても参考にならないかもしれない。

私は少し困ってため息をついた。


「一朝一夕で都合良く身につくような近道なんて、この世界に無いわ」


「でも少しでも知りたいんだ。何かヒントが欲しいんだよ」


そこまで言われると戸惑とまどってしまった。

彼の向ける眼差まなざしの必死さに昔の自分が重なったから。

人と関わるのはわずらわしかったけど、バッグのお礼もあって私は「そうね……」と少し考えた。


「無駄な努力はめることね」


「そんな……」


彼は少し泣きそうな顔をする。


「意地悪な意味じゃないわ。努力にも方向性があるってことよ」


「方向性?」


「正しい努力と間違った努力よ」


私は、きっとたくさん走ったであろう彼のボロボロになったズボンの裾を見つめた。


速筋そっきん遅筋ちきんよ。瞬発力と持続力をつかさどる筋肉はそれぞれ違うの」


彼は口を開けてキョトンと私を見上げた。


「瞬時のはやさを身に付けたいのなら速筋そっきんきたえなきゃダメ。短時間で疲れるような鍛練たんれんよ。だらだらと長い間走っても意味は無いの」


「短時間で?」


「そう。素早い鍛練たんれん。力のいる鍛練たんれんね。」


彼は大袈裟おおげさに思えるほどに驚いて声をらす。


「す、すごい」


「何が?」


「すごいよ、カシミール。頭いいんだ」


「何もすごくないわ。すごいのは時代をまたいで知識を積み重ねた学者達よ」


私は歩きながら静かに返す。


「ううん、正しい鍛練たんれんかぁ。悩んでたんだけど、何かそれ聞けてスッキリしたよ」


彼は本当にスッキリした顔を見せて

「ありがとう」

無邪気むじゃきにお礼を言った。


そして笑いながら「まるでピアナ様みたい」と言われて、私は表情こそ変えなかったけれど一瞬顔を赤らめて困ってしまった。


───やめてよ……。私なんか……、ピアナ姉さんとは大違いよ。


私の横で彼は手を広げて続けた。


「ピアナ様がね、知は自分を知り歩むためのかてだって言ってたんだ。落ち込んでたんだけど、カシミールのおかげで頑張れそう」


「そう……」


私は少し視線を落とした。


───私なんか、自分のことすらちゃんと知りてもいないのに。


「もういいかしら。あとはノヴォにぃに聞いて」


もういいでしょう?と、私は逃げるように話に区切りをつける。


彼は笑顔のまま「うん」と言って、咄嗟とっさに私の手からキルティングバッグを奪い取って走り出した。


「あ、ちょっと」


完全にきょを突かれて驚く私に、彼は少し先で振り向いて手を振った。


「本当にありがとう。後でノヴォさんにも聞いてみる。これ食堂に置いとくね。鍛練たんれん鍛練たんれん


そう言ってとても嬉しそうに、れとした顔で勢いよく駆け出してゆく。

寒風さむかぜが彼の背中を押すように少しだけ吹いた。


───不思議な子……。


そう思いながらほうけて見つめていた彼の無邪気な後ろ姿は、すぐに見えなくなってゆく。


───こんなに人と話したの、久しぶりかも……。


私は少し乱れたポニーテールを直して、再び家路を歩き始めた。




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