市場




私は孤児院を出るとそのまま北の方にある市場へ向けて足を運んだ。


スルグレアの中でも北西部はセイリオス区の影響を受けて比較的物流がにぎわっている。繁華街のはしには少し街とは風情ふぜいの異なるバザールストリートが伸びていた。


たくさんの野菜、色とりどりの見たこともない香辛料、冬になって保存の効く燻製肉くんせいにくも多く並び始めた。

少し治安の悪そうに見える所だけど、騒ぎをあまり聞いたことがないのはラズリの教えによる国民性かもしれない。


何よりとにかく安いの。私は孤児院の買い物の時はよくここへ来る。

着いた頃には日もしっかり登っていて、日射しと人混みで足元の雪はほとんど溶けていた。


───ここで日持ちのする食材を多めに買っておこう。


私はいつも初等科のキルティングバッグを使っている。

ピアナ姉さんのご先祖様、ずっと昔のスルグレア家当主が子ども達にみな等しく教育を受けて欲しいと願って配布を始めた学術院のバッグ。

中等科は布革ぬのかわのリセ・サックになって高等科はブリーフケース。


素材が良くなる分なのか、何故かだんだん小さくなる。だから私はたくさん入るキルティングバッグが一番お気に入り。はしっこにちっちゃく可愛い猫の刺繍ししゅうも入っているし、何よりピアナ姉さんにもらったものだから。


数多あまたの人が行き交い数多あまたの品が並ぶ一角で、私は秋植えのジャガイモに目を止めた。

秋植えの物はホクホクして美味しい。11月頃から出回るけれど、今になって出てきた物の方がより美味しそうに見えた。


───少し多めに買っておこうかしら。


私はジャガイモをメインに他のものも合わせて買うと詰め込んだキルティングバッグを手に歩き出した。


───早く孤児院に届けて終わらせよう。


私は人混みが嫌い。

あちらこちらへ歩き回る人々のにぎわいが、まるで各々おのおのの明日に抱く希望がれているかのように聞こえるから。


歩く方向は違えど、皆それぞれ等しく未来へ向かって進んでいる。その中で私はただ1人取り残されているように思う。1人きりでいるよりも人混みの中の方が落ち着かない。


それでも私は食堂当番がなくとも、ピアナ姉さんのお供がなくともよく街中を歩いた。

そうしていればいつかアイツと出くわすと思っていたから。きっとそれだけでしか私は時計の針を進められない。


両手でキルティングバッグを支えながら少しうつむき加減で歩いていた私は少し目線を上げて人混みを眺めた。


白い息を吐いて大声で呼び込みをする店主達。

幸せそうに買い物をするカップル。

値切りに必死な若者。

品定しなさだめに目移りしているおばさん。


皆、様々な服を着て様々な顔を見せている。

形は違えど、それは一様に明日への生への渇望かつぼうだと思った。人々の未来へ向けた希望の喧騒けんそう


その中で私の周りだけが静かだった。私の生は過去に置いてきたから。私はきっと過去へ向かって歩かないと時計の針を動かせない。

それは逆流の中を泳ぐような息苦しさに似ていた。


歩きながら、私は詰まるのどに空気を通すように息を吐く。

静かに静かに白い息が喧騒けんそうの中へ消えてゆく。


しばらくけるように人混みの中を進んでゆく中、私は不意に目に入った遠くの影に驚いて目をらした。


───ウソ……。


それは本来なら目にとどまるはずなんてない大勢の中の1人だった。

それでも私の目はそこに吸い寄せられて離れない。


先の広場に立つ、細長い布切れを肩にかついだ男。フードを深くかぶって横顔はほとんど見えない。

でも私はわずかにのぞいた右頬だけを鮮明にとらえて固まった。


間を行きう人々がひどくスローモーションに見えて、一瞬時間が止まったかのような感覚を覚える。


立ち止まっていた男はゆっくり向こうへきびすを返すと、人混みの影に埋もれて見えなくなってゆく。


濡れた石畳いしだたみを人々が踏みしめて跳ねる水滴。その音までもがひどくゆっくりとピチャピチャ音を立てて聞こえて、その音にまぎれて時間の針がカチリと音を立てて動いた気がした。


私は息を飲むと

「どいて!ごめんなさい!」

と叫んで人の流れをけて走り出す。

思わずキルティングバッグを放り投げて必死に追いかけた。


───待て!……待て!

───お前なの?……お前が!


突然のことに驚きまゆひそめる人々の流れをくぐり、その男がいた広場まで来ると人混みの真ん中であちこちを見渡した。


───いない……。


先の通り、来た道、路地裏へつながる隙間すきま

周りを囲む人混みを、隅々までぐるりと見渡すように必死に探したけれど、ついにその影は見えなかった。


途中、無意識に左肩の『DK』をつかんでいた手は、うっすら汗ばんでいた。


───見失った……。


怪訝けげんそうに見つめる人々の視線にさらされながら、眉のあたりが熱くなって久しく表情を変えていた自分に気がつくと、私は目を閉じた。


───見間違い?……いえ、そんなことないわ。確かにアイツだった。


少し荒くなった呼吸を戻すように深くため息をつく。白い息の向こうに見えた人の往来おうらいは、やがて私なんか見向きもせずにいつものにぎやかさと流れを取り戻していた。


───リア姉さん……。

───キリエさん……。


喧騒の中で私の時計の針だけがまたカチリと音を立てて動かなくなる。

私はうつむいてもう一度ため息をつき、来た道へと引き返し始めると、そこで自分の名前を呼ぶ意外な声に出くわした。


「カシミールー!」


一生懸命こちらへ駆けてくる男の子。


私が思わず放り投げてしまったキルティングバッグを、重そうに両のひじに乗っけたリヒトだった。





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