手合


それからずっと誰とも喋っていない。


月をまたいで今年初めての雪も少し降った。

積もる程ではなかったが、明らかに増した寒さに空や街の空気も冬の雰囲気をまとい始めている。


今月の双月そうげつの戦いも終わった。

悔しいが、また奴らを仕留しとめきれずに防衛するので手一杯だ。 


───もっと鍛練たんれんしねぇと……。いつまでもノヴォ兄に頼りっぱなしでいたくねぇ。


俺は白い息を吐きながら、来る日も来る日も人のいねぇ所で鞭をるい続けた。

もっとはやく!誰も近づけねぇように、誰にも見えねぇように。

もう2度と泣かなくていいように……。

俺は鞭を振るい続けた。


そんなある日に、俺は唐突とうとつに当主に呼び出される。


───来たな……。


リヒトとの手合いだ。

あれから右手の具合は大分順調みたいだ。

孤児院の生活と治療の合間にトレーニングのつもりなのか、走ってるアイツを見かけたこともあった。


無駄な努力だ。

アイツはアイツなりに頑張ってるつもりだろうが所詮しょせんお子様のお遊戯ゆうぎだ。

今日はとことん思い知らせてやる。俺もかまってる場合じゃねぇ。


知らせのあったその日、約束の17時に差し掛かると俺は革鞭かわむちを持って当主の屋敷の方へと向かった。


すぐ側にある屋敷の庭に行くと、すでにリヒトは待っていた。

当主は庭に椅子を持ち出して脚を組んで座っていて、その横にはカッコのババァまでいやがった。


───面倒くせぇな、見せ物じゃねぇんだぞ。


「さっさと終わらせようぜ」


俺は右手に革鞭を持って左手をポケットに突っ込んだまま、ぶっきらぼうに言う。


「慌てるな。今から1時間付き合ってもらうよ。リヒト、覚えているね?ノシロンにれてみなさい。それが条件だ」


「はい」


脚を組んだまま静かに言う当主に、リヒトは緊張したつらぁしながらも元気良く答えた。


───丸腰かよ……、とことんめられたもんだ。


俺は何も持たないリヒトを見て革鞭を地面にポイッと投げ捨てる。


「ノシロン、何をしている?」


「鞭なんかいらねぇ。何もなくても充分だ」


どうせ出来試合だろうが、間違ってもリヒトの手が俺に届くことはない。


───テメェらの考えが間違いだったって知らしめてやらぁ。


「前方防衛のかた


「は?」


当主に言われて俺は固まった。


「聞こえなかったのか?当主命令だ、鞭を取れ。前方防衛のかた


驚く俺に、当主は大きな声で言った。


力、はやさ、動体視力、戦術……。この俺がガリヤ人に勝てるものなんてほとんど無い。

そんな俺が奴らに対抗出来るものといったら持久力とこの鞭術べんじゅつぐらいだった。


一時当主にも指導してもらって血反吐ちへどが出るまで努力して、自分の手の延長、まるで手の一部そのものみてぇに身につけた鞭の武術。でもそれでも奴らを仕留しとめるまでは昇華しょうか出来てはいない。


何せれられたら終わりだ。

奴らとやり合う上でまず大事なのは自分の身を守ること。

例え仕留められなくても仕留められることだけはあってはならない。

最低限の目的は戦線を守ることだし、何よりノヴォ兄や他の奴らに迷惑を掛けるだけだ。


──自分も守れないようでは誰も守れないよ。


最初に当主に言われた言葉。

手に肉刺まめが出来て血塗ちまみれになろうが腕が動かなくなろうが、俺がまず初めに叩き込まれたのが対ガリヤ人用の特殊な鞭術、その防衛の型だった。


それは間合いに入って来るガリヤ人ですら寄せ付けねぇ程のものでなくちゃならない。鞭全体で身をおおうんじゃなくて鞭のさきだけで身をおおうくらい高速で扱えなくちゃならない。


俺にとって全面防衛のかたが高速の鞭のよろいなら、前方防衛のかたはそれよりも前の防御に特化した超高速の鞭のたてだ。俺を守ってくれる命綱のかた。ましてや普通の人間がくぐれるもんじゃねぇ。


当主にいきなり言われて驚いた。


───相手はただのガキだぞ?んなことして俺に触れる訳ねぇだろ……。そんなことしたってテストに受かるどころか戦場に駆り出すための修練しゅうれん指標しひょうにすらならねぇし、怪我するだけだぞ。

───どういうつもりだ?


俺は戸惑とまどった。

しかし命令された以上は仕方がなく、黙って鞭を取り上げて言われた通り前方防衛の型を披露ひろうする。

ヒュンヒュンと甲高かんだかい音を立てながら、目の前に鞭の残像で描かれた壁を見て当主はまた言った。


「遅い」


───あ?


「ノシロン、お前の鞭術はその程度のものか。それでよく殺されずに生きているな。本気でやれ」


───んだとぉっ!?


俺のこめかみの血管はブチブチと音を立てて切れた。


───っざけんじゃねぇ!こんなガキ相手に本気出す訳ねぇだろ!お望みならそうしてやるよ!どうなっても知らねぇからな!


俺は息を吐き腹に力を込め、いつもの戦線で対峙たいじするガリヤ人に向けるように鞭を振るう。隙間なく響く鞭の音は耳をつんざくような疾風の音に変わった。


「ふむ。よし、リヒト。行け」


リヒトは俺と自分をへだてる見たこともない鞭の壁に驚きながら、冷や汗をかいて固まっていた。

そりゃあ、そうなる。

『行け』と言われても、自分から死にに行けと言われているようなものだ。


リヒトはしばらく固まっていたが、意を決したのかスゥッと息を吸うと思いっきり踏み込んだ。




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