疑念



次の日の俺はあんじょう、寝不足だった。


まだ夜は明けていない。

どんだけ布団にくるまろうとも、あれ以上あの部屋にいたら横になってるのも苦痛だ。

あんなもの慣れるわけがない。近いうち病んで倒れてしまう。


───肌寒はだざみぃ……。


俺は医療院の診察室に綿を取りに来た。

薬品室は鍵が掛かって入れないが診察室はいつも開いている。

そこに少しだけ残りがあるはずだ。これ以上は耐えられない。ちょっともらうくらいはいいだろう。


───えーと、どこだっけ?あったあった。耳栓みみせん代わりにさせてもらうぜ。身の安全のためだ。


綿をまんだ俺はかすかに聞こえてきた話し声に動きを止めた。


───なんだ?……誰だ、こんな時間に。


耳を澄ますと、声は壁の向こうの隣の部屋から聞こえてくるようだった。

その部屋は確か看護師の休憩部屋だ。宿直がもう起きているのかだろうか……。


聞き慣れた声。

それはカッコのババァの声だった。


───げっ、あいつか。もう起きてんのかよ……。見つかったらまた面倒くせぇ、さっさと戻ろ。


「これではわからないな……」


足音を立てないように立ち去ろうとした俺は、もう一つの声に立ち止まった。


───ん?当主?……今の、当主の声だ。

───珍しい。当主までこんな時間に?

───2人で何しゃべってんだ?


俺は思わず息を殺して聞き耳を立てた。


「細かいところは詳しく調べないとわかりません。でも、全くもって普通のクラウディア人の子と変わりませんわ」


静かな声でババァが当主に言う。


───調べる?クラウディア人?


「そうだね……特に異常もない。いたって健康な普通の血液だ。細かく調べるのには時間が掛かりそうだね」


「私……その話いまだに信じられません。ガリヤ人にれるどころか、血霧ちぎりを浴びても無傷なんて……」


───ガリヤ人に触れられる?血霧を浴びても無傷?


「私もだよ。原因なんてわからないが、東地区の廃墟にずっといたから、もし血液のやまいにでも掛かっていたらとも思ったのでね。とりあえず健康で良かった。皮膚ひふ粘膜ねんまくなど、細かく調べていくと時間はいくらあっても足りない。カッコ、忙しい中無理だけはしなくていいからね」


「大丈夫ですわ、させて下さい。無敵のカッコちゃんですから」


寒くとも汗ばむ程に驚いてしまった。

俺は気付かれないうちに、物音を立てないよう静かに診察室を後にした。



───リヒト……?


話の流れからしてリヒトのことに違いない。


───どういうことだ?


少し考え込んだ。

そういえば妙だ。詳しい状況は知らないがルワカナって奴が大火傷してて、どうしてアイツは何とも無いのか。

幾らなんでも無傷はおかしい。一緒にいたなら多少なりとも血霧にはやられるはずだ。


俺は診察室から少し離れると足早に歩き出し、急いで医療院を出た。

右手の傷のことばかりで気付かなかったが、そんな話は聞いていない。


───アイツはガリヤ人に触れることが出来る?血霧も平気?そんな人間がこの世にいるのかよ……。


もちろんノヴォ兄もそれを知っている。そしてあの2人はそれを調べている。

俺は自分の心臓の鼓動こどうが大きく脈打みゃくうつのを感じた。


───じゃあ何か?ハナからガリヤとの戦いに連れてくつもりだったのかよ……。そりゃそうだよなぁ、さわれるんだから。

───そして俺を物差ものさしにしてアイツの鍛練たんれん指針ししんにするための手合いなのか?だよなぁ?条件がさわることなんだから……。

───全くめられたもんだ。俺ぁお払い箱かよ。どいつもこいつも特別か?カシミールもシエロもヒンメルもアイツも……。


俺の中に、昨日からの苛立いらだちとは比べ物にならない程の怒りがこみ上げてきた。


───その茶番のためだけに俺がこれだけ迷惑こうむってんのかよ……。

───冗談も大概たいがいにしろ!まるで今まで俺がやってきたこと全部馬鹿にされた気分だぜ。


歯軋はぎしりが眉間みけんしわを寄せた。


───マジで気持ちのしんまでボキボキに折ってやるよ。二度と戦いに行きてぇなんて言えねぇくらいに……。


俺は首を鳴らして薄明かりの見え始めた中を走り出した。



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